いつまでも
後日、伯爵から再度招待状が届いた。
兄は行く必要がないと言ったが、コノエはどうしても行きたかった。
「大丈夫です。これで最後にするので」
確かめたいことがあった。あの人がニコラス伯爵なのかどうか。
馬車に乗って以前来た道を辿る途中に、物思いに耽る。
ニコラスがあの人だとして…何のために令嬢を集めたのかしら?本当に結婚相手を探す為?でも…
コノエはお茶会で得た会話の内容や出来事を振り返る。
南にだけ咲く小さな花の名前。
孤児院を支援している事。
あと優しいやら一途やら言っていたような気もするが、これはどうとでも言えるので除外した。
「情報が少なすぎるわ。もっと興味を持って聞いていたら良かった」
そして伯爵邸に着くと、すぐにコリンが出迎えてくれた。
「お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました」
「…ええ」
緊張しながら降りると、以前帰り際に通った庭園をコリンと一緒に歩いていく。色とりどりの花を見回しながら、コノエは口を開いた。
「あの鈴鳴草はないのね」
「あれはこちらにはあまり根付かないようで、株分けしたものをお渡ししたのです」
「そうなの。ねえ、鈴鳴草の名前はどこで聞いたの?伯爵からかしら?」
「はい」
それを聞いてコノエはやや後ろにいるコリンに向き直った。少し驚いたのか、コリンが目を丸くして一歩下がる。
「じゃあ質問を変えるわ。貴方はどこでそれを聞いたの?」
コリンは一瞬真顔になったかと思うと、嬉しそうに笑った。
「…ニコラス伯爵は貴方なの?コリン」
「どうしてそう思うのですか?」
そういえば納得する理由が必要だって言ってたわね…
「名前よ。ニコラスはファーストネーム、愛称はニック、または…コリンだって聞いたの。東の人間の愛称は、たまに名前と全く違った発音になったりするんですってね。伯爵が嘘をつかないって言葉が本当ならありえない話じゃないと思って…」
本当は偶然かとも思ったが、そんな人間があの場にいるとは思えなかった。しかも侍女にしては異様に他家の情報に詳しかった。秘書が有能だとしても、それをわざわざ屋敷の外に出向く機会が少ない侍女に話すだろうか?
顔を見せないくらい警戒心強い方が、口の軽い人間を側におくとは思えないしね
だからかまかけしてみたのだ。本当に侍女なら謝れば済む話なので、あのニコラスを名乗る三人の男性よりもリスクが少なかったのもある。
「まさか伯爵が女性だとは思わなかったけど」
「僕は女性じゃないよ」
そう言うと、コノエの両手を優しくとったかと思うと、コリン、いやニコラスは自身の胸にその両手を押し付けた。
ぎゃっ
「…あ!?ない」
胸は平らで固く、流石に胸のない女性とも言い難かった。ニコラスはねっというように笑って見せた。
「貴方、どうして女装までしてこんな事してるの!?」
「その前に僕も聞きたい。昔、南地区で拾った東の子供の事を覚えてる?君は捨てられた子供達と暮らしていたよね?」
「南…?待って、どうして私が貧民区域にいたのを知ってるの?」
覚えていないのだろうコノエの言葉に、ニコラスは少しだけ寂しそうな表情をした。
「そうだよね。君にとってはあれが日常だった。いちいち拾った子供の事なんて覚えていないのもわかってる。そんなに長い期間じゃなかったしね」
「そういえば、誘拐された事があるって聞いたわ。まさか南地区に?」
「そうだよ。僕にとってあれは非日常だった。怖くて痛くて…けれど嬉しくもあった不思議な思い出なんだ。他人を、しかも自分より小さな女の子を尊敬したのも初めてだった」
それが本当なら、彼が花を知っていたのも納得する。あれは南ではどこにでもあった花だから、会話のついでに母のつけた名を話してしまったのだろう。
「それだけのために、探していたの?何のために…?」
正直コノエはうろ覚えだった。確かに身なりのいい貴族の子を保護した事はある。けれど一度じゃなかったし、あの場所は子供が毎日のように捨てられていた場所なのだ。
「…与えた方は忘れても、与えられた方はずっと忘れられないものなんだ。それが良い事でも悪い事でも、ずっと心に残ってる。ただ、君に会いたかった」
「覚えてもいないのに…?会ってどうする気だったの?まさか本当に見合い相手としてなんて言わないわよね?」
コノエは少し自虐的な笑みを浮かべると、ニコラスがその場にひざまづいた。
「まさか。令嬢の中から君を探すのに体裁が必要だっただけだよ。僕は未婚だったし都合が良かったしね。けれど名前を聞いておけば良かったと死ぬほど後悔したよ、こんなに遅くなってしまった」
そしてコノエの手をとって口づけた。
「今度は僕が許しを請う番だ」
「許し…?」
「君の側にいさせて下さい」
コノエは目を丸くして、女性にしか見えないニコラスを見る。女装しているからか、決め台詞も奇妙な事になっているが。
「幼い頃の君は誰にでも平等だった。仲のいい子を贔屓したり、気が合わない子を遠ざけたり、幼い子供なら普通の事だと思うのにそれがなかった。だからそれが誰よりも孤独に見えてた」
思わず目を逸らすと、今度は立ち上がって視線を合わされた。
「僕は君よりずっと考えが幼かったからあの時はわからなかったけど…、親と引き離されて何も思わない子供はいないよね。そう思うと君はずっと寂しさを堪えているようにしか見えなかった」
コノエは少し上を向いた。涙がこぼれそうだったから。
ニコラスは自分を尊敬したと言ったが、あの頃の自分は生きるのに必死だっただけだ。小さい子が多かったし、虚勢を張ってでも気丈にふるまっていた。誰かを守る事で自分の居場所を必死に守っていただけだ。
そしてそんな生活を失ってしまうかもしれない不安に怯えながら目を覚ますあの頃を、あまり思い出したくなかった。意識して忘れようとしていたのかもしれない。
だから兄に気に入られたかったし、いつも誰かの顔色を伺う日々だった。
もうひとりぼっちは嫌だったから
「それでも自分が辛い時に人に優しく出来る人はそういないと思う。あの時は僕を助けてくれてありがとう。だから今度は僕が君を守るよ。孤独や寂しさから、きっと」
今度こそ涙腺が崩壊して、ニコラスから背を向けた。けれどニコラスは何も言わずに肩に手を置いて、待ってくれている。自分はここにいるのだとその存在を主張するように。
その後、お茶会はそれきりとなったが、男爵家ではそれだけでは終わらなかった。
「コノエ、伯爵とはあれが最後と言わなかったか?」
「お茶会はあれが最後ですね」
「なら、なぜニコラスから求婚状が届くんだ?」
ちゃんと返事はしていないが、あれからニコラスからは個人的に会う機会が増えた。今日も来客の呼び出しで、ジーンは苛々している。
「アーランドの…」
「帰ってもらいなさい。今はいないと。何か言われたら約束もなく来るなと言いなさい」
執事の言葉を待たずにジーンが返すと、その執事の後ろからどかどかと数人が入ってくる。
「そう言うと思ったから勝手にお邪魔します」
「おい、不法侵入で訴えるぞ」
「やだなあ、私と貴方の仲じゃないですか」
そう言うのは、お茶会で真ん中に座っていた男性で、本当の名はカミル。伯爵家の秘書だ。
「コノエ…!」
仮面をつけて現れたのは、自分に求婚している伯爵であるニコラスだ。コノエを見つけると仮面越しなのになぜか嬉しそうなのがわかる。
「コノエにはまだ結婚は早い。親族の許しもなく近づくんじゃない!」
「お兄様も早く妹離れをなさって頂きたいものです。どうです?見目好い令嬢との結婚話をあちらで」
「ゴノ゛エ゛ッ」
笑いながら秘書に連れていかれる兄を見ながら、コノエは仮面を外したニコラスと向き合った。
「ユージーンは相変わらずだなあ。でもコノエが大事にされてそうで良かった」
「お兄様は最初からずっと優しいわ。でも許しが出るまでは嫁入りは出来そうにないわね」
ニコラスはむっとしながら、コノエの腰に手を回した。
「僕も諦めるつもりはないよ。長い間待ったんだから、これからだっていくらでも待てる」
「あら、おばあさんになっても?」
「流石にその前には結婚出来てると思いたい。けれどこれから何十年も君との時間があるんだからね」
優しい時間と未来への約束。
これからの日々を想いながら、二人は笑いあった。