心に文字を移植しよう
「先生。もう生きたくないんです」
僕は掛かりつけ医にそう言った。先生は仕事柄、表情を変えたり怒鳴ったりしない。ただ僕の日頃の話を聞いてくれた。躁鬱。そう診断されてもう十年目くらいになる。
オマケに世界中では大変な事になっていた。病気に戦争。そこら辺の情報はまた躁鬱が悪化するかもしれないから、見ないようにしていた。
家に籠る日が増えた。なんだか僕の世界が、みるみるうちに小さくなって、なくなってしまうのではないか。そう思うと、とてつもなく消えたくなったのだ。
それが、「生きたくない」に結びついた。先生は僕の話をひとしきり聞いた後で、一冊の本を渡してきた。
「……『君のための冒険の書』?」
聞いたことの無い小説のタイトルだった。僕にはそんなものを読む体力や気力すらない。この先生はきっと僕をバカにしているんだ。そう思うと腹が立ってきた。
僕の表情が変わるのを見ると、先生は、
「私はね。信じてるんです。人間には自然治癒力というモノがあるじゃないですか。きっと、脳にもあるのだと。そしてそれは、想像する力そのものだと」
そう言って小説の説明をした。
主人公は僕。僕は日をまたいで冒険が出来る異次元の者。ピラッとページをめくって確認してみる。うむ。真っ白だ。なるほど、いわゆる『妄想日記』のようなものだな。
そう考えると面白そうだ。先生は続けてこう言った。
「たった一行で良い。言い換えてしまえば、たった一行で君は何者にでもなれる。だから引っ張り出してみてほしい。いろんな君を」
「……わかりました」
そんなに熱く語られたら、断れないじゃないか。
帰宅後にページを開いてみる。他にすることもないし、早速今日の『妄想日記』を始めるか。えーと……。
最初に書いたのは、「異次元に行ってお酒を飲む」だった。薬を飲んでからというもの、大好きな南高梅酒が飲めなくなってしまった。今更ながらそれがなんだか悔しくなった。
次の日に書いたのは、「夢の中に出てきた大きな穴からの脱出」だった。鬱状態の時は悪夢をよく見る。そのせいで眠りも浅い。若干の怒りも含めて、太めの鉛筆で書いた。
そんな日が二週間ほど続いて、ちょっとした変化が出る。段々自分の気持ちがわかるようになってきたのである。そうすると今度は、その気持ちを誰かに話したくなった。
僕の『妄想日記』は文字数を増やし、そのぶんハチャメチャな展開もアリになってきた。例えば、「大きな雲で綿菓子を創って、世界中の飢えた子どもたちに配り歩く」とか。
僕は先生にそのことを嬉々として話していた。先生は、僕の妄想の話をツッコムでもなく、うんうん頷いて聞いてくれている。
そして最後にこう言った。
「これはね、私が初めて行った手術なんだ。心に文字を移植するという大切なね。でもそれは君の想像の力が無くては成功しなかった」
「障害の等級や薬はどうなりますか?」
「そのまま継続になる。けれど、この二週間で君は見違えるほど活き活きとした顔になった」
「躁状態なだけなのでは……」
「じゃあ、これからも続けて書いてくれるかい?」
「先生の実験体になるんですか」
「嫌かな?」
「……」
まんざらでもなかった。なぜなら、今すぐにでも“何者か”に成りたかったからである。きっと先生と僕の行った手術は良い方に向かうだろう。
だって、文字の中では、しんどい時は「しんどくない世界で」。落ち込んだ時は「なぐさめてくれる仲間たち」と簡単に出逢えるのだから。
僕は、先生の言うように、本当に時空を超えられるんだ!