91 16歳のハーラルト 4
それから、話題は2人のことに移っていった。
「クリスタは19歳に、ハーラルトは16歳になったのだけれど、2人も結婚の予定はないの?」
先日、クリスタがハーラルトともに自由恋愛の権利をもぎ取ったと言っていたけれど、その権利は行使されているのかしら?
そう考えての質問だったけれど、途端にクリスタが渋い顔で唸り始める。
「うーん、お義姉様、絵本の中にいるような夢見る王子様は、一体どこに隠れているのかしら?」
「えっ、それは……クリスタだけの王子様だから、クリスタにしか隠れ場所は分からないのじゃないかしら」
「まあ、お義姉様ったらいいことを言うわね! そうね、私以外の者が隠れ場所を見つけたとしたら、それはもう私だけの王子様ではないわよね」
納得したように頷くクリスタに対して、ハーラルトは脱力した様子でテーブルに突っ伏した。
「クリスタ姉上はいつまでも夢を見ていられるからすごいよね。僕はもう夢見ることを諦めちゃったよ」
「ハーラルト?」
一体どうしたのかしらと心配になって名前を呼ぶと、彼はテーブルに突っ伏したままくぐもった声を出す。
「だって、今やこの国以上の大国は、大陸にないのだもの。スターリング王国は有名になりすぎたから、そこの王弟だと自己紹介をしたら、10割の確率で色眼鏡で見られるんだよ」
「まあ」
そうだったわ。先ほども説明されたように、フェリクス様はこの10年の間に2国を併合して、この国を大国に造り上げたのだ。
そして、大国の王女であった私は、大国の王族が他国からどれほど丁重に扱われるかについて、幼い頃から身をもって体験してきたためよく知っているのだ。
「兄上はこの国を大国にし過ぎたんだよ。この国には今や何だって揃っているから、魅力的過ぎて、誰もが目が眩んでしまう。たくさんの女性たちが僕の前に列をなしたが、皆はこの国の王太弟という僕の立場しか目に入っていないんだ」
フェリクス様が王になった時から、ハーラルトは次期王継承者である王太弟の立場にあり、それは今もって変わっていないとのことだった。
ハーラルトの前に現れた女性たちの中には、彼の立場に魅力を感じた者がいるかもしれないけれど、誰もがハーラルトの立場だけに魅かれることはないはずだ。
「そんなことないわ。ハーラルトが大国の王太弟だとしても、あなたに魅力を感じなければ、お近付きになりたいとは考えないはずよ」
きっぱりと言い切ると、顔を少しだけ上げたハーラルトが眩しそうに目を細めた。
「うん……そんなことを言うのは、お義姉様くらいだよ。そもそも、お義姉様以外の者が同じことを言ったとしても、僕は素直に受け入れられないだろうね」
「えっ?」
純真なハーラルトらしくないセリフを聞いて、驚いて聞き返す。
すると、ハーラルトは伸ばした手で握りこぶしを作り、こんこんとテーブルを叩きながら言葉を続けた。
「今やこの国にはすごい力が集まっているし、王族の権能の大きさといったらただ事じゃないからね。そして、そういった力を熱心に欲する者は大勢いるんだ。特に上位貴族や王族になるほど顕著になるんじゃないかな」
それは幼い頃から私も感じてきたことだったため、その通りねと頷く。
「ハーラルト、あなたの言う通りだわ」
「うん、そうだよね。全てを従えさせて思い通りに動かすことは、とても気持ちがいいものだ。最上級の美酒のように人を酔わせる。だからね、突然、僕の周りに酔っぱらった女性たちが集まり出したんだ。だが、近付いてきた目的があまりにも見え見えじゃないか。もしもスターリング王国が凋落したら、彼女たちはあっという間に僕の前からいなくなってしまうだろうね」
ハーラルトは体を起こすと、疲れた様子でだらりとソファにもたれかかった。
「そんな権力欲にまみれた女性に側にいてほしいとは、これっぽっちも思わない。彼女たちは本心を隠して、綺麗な言葉を連ねてくるけど、だからこそ気持ちが悪く感じるんだ。腹の中で何を考えているのかが一切見えない相手と、一緒に暮らせるはずもないし。そんな相手と結婚したら、いつ寝首を搔かれるのかと、毎日ビクビクし続けないといけないよ」
スターリング王国が大きくなったために新たな悩みを抱えたハーラルトはため息をつくと、そのきれいな瞳で私を見つめてきた。
「そうやって考えると、ルピアお義姉様はすごいよね。大国の王女として、幼い頃から同様の恩恵を享受してきて、大国の王族が持つ権能の大きさと価値を誰よりも理解しているのに、一切執着しないのだから。お義姉様の存在は奇跡だよ」
「まあ、私が権力に執着しないというのは、ハーラルトの推測でしょう? 私は意外と欲深いかもしれないわよ」
あまりに私に夢を見過ぎているように感じたため、わざと怖い顔をしてそう言うと、ハーラルトは呆れた様子で頭を振った。
「この国の頂点にいるのは兄上だよ。だから、権力が好きならば兄上に取り入って、気に入られようとするはずだが、目覚めて以降のあなたは兄上から一歩引いているじゃないか」
「一歩引いているというのは……」
当たっているわね。
10年前の私は、魔女として心からフェリクス様に恋をしていたから、彼の顔に笑みが浮かぶようにと、ほんの少しでも幸せになりそうなものを見つけるとせっせと運んでいた。
その際も、フェリクス様の邪魔にならないように、まとわり付き過ぎないように、と気を付けていたけれど、……今思えば、それでも彼の側にい過ぎたのかもしれない。
一方、最近はフェリクス様と適度な距離を保つことができており、私も四六時中彼に付きまとうことはしてない。
だから、結果として、フェリクス様も快適に過ごしているのではないかしらと思うのだけど……そんな新たな関係になったことを、ハーラルトはどうやって知ったのかしら?
そんな私の疑問は顔に出ていたようで、ハーラルトが苦笑する。
「不思議そうな顔をしているけど、僕に洞察力があるわけではなく、誰だって気付く話だよ。もしもお義姉様が以前と同じような態度でいるのならば、今頃この宮殿の半分は、兄上からお義姉様への贈り物で埋め尽くされているはずだからね。そうでないのは、あなたが受け取らないか、あるいは、そもそも贈り物をできるような雰囲気を醸し出さないから、兄上が我慢しているってことでしょう?」
「えっと、宮殿の半分が贈り物で埋め尽くされるの?」
突然、ハーラルトが荒唐無稽なことを言い出したため、目をぱちくりさせていると、それまで黙って話を聞いていたクリスタが同意を示す。
「ふふっ、お義姉様はハーラルトがおかしなことを言い出したと思っているようだけど、彼の言う通りよ。そもそもこの10年間、お義姉様が眠りっぱなしだったことを誰も気付かなかったのは、お義姉様に対するお兄様の執着が酷かったからよ。だからこそ、誰だってお義姉様は衰弱しているだけで、お兄様としゃべったり、笑ったりしていたと思われていたのだわ。だって、眠り続けている相手にあれほど構うなんて、常識では考えられないもの」
クリスタの言う通り、目覚めて以降のフェリクス様は、空いている時間の全てを私に使ってくれるし、私の反応にすごく注意を払ってくれる。
それらの行動を、「私に執着している」と表現しても誤りではないだろう。
「そして、お兄様はお義姉様に最上の物を捧げたいと思っているから、お義姉様さえ許してくれるのなら、世界中から最高の物を集めてきて、跪いて差し出すこと間違いないわ」
あまりにも大げさな物言いに困惑したけれど、スターリング姉弟は当然のことだとでもいうかのように真面目ぶって頷いていた。
「姉上の言う通り、兄上のお義姉様への執着は酷いものだよ。そう見えないのだとしたら、兄上があなたの前では必死にカッコつけて、隠しているのだろうね。嘘だと思うなら、『フェリクス様の髪色の宝石が欲しい』とでも言って、ウィンクしてみたらどう? 翌日には、この部屋が全て貴石で埋め尽くされているから」
この部屋が全て埋め尽くされるということはあり得ないにしても、もしもそのような言葉を口にしたら、本気にしたフェリクス様が半ダースほどの宝石を手配するかもしれない。
そう考えて、困ったように眉を下げると、ハーラルトがおかしそうに微笑んだ。
「ふふっ、お義姉様は欲深いんじゃなかったの? だとしたら、この部屋いっぱいの貴石を強請ることは、当然の行為じゃないかな」
「…………」
先ほど、私に夢を見過ぎているように思われたハーラルトの熱を冷ますために口にした言葉が、自分に返ってきてしまった。
返す言葉が見つからずに黙っていると、ハーラルトはにこりと明るく微笑んだ。
「ほーらね、お義姉様はちっとも欲深くないじゃない。だからこそ、僕は焦がれるのだろうね」
それから、頬を染めて私を見つめてきた。
「さっきも言ったように、女性たちは皆、スターリング王国の権能の大きさに引きつけられて、そこに執心するんだよ。僕自身が着目されることはないんだ。僕を僕として見てくれるのは、お義姉様だけだ」
「ハーラルト……」
何と言えばいいのか分からず、困惑して名前を呼ぶと、ハーラルトは昔を思い出すかのように目を細めた。
「幼い頃の僕にとって、お義姉様はとっても綺麗な妖精姫のような存在だった。ふわふわとしていて、可愛らしくて、決して僕を邪険にしない優しいお姫様」
そこでいったん言葉を切ると、ハーラルトは熱っぽい目で見つめてきた。
「そして、僕にとって、あなたは今も変わらずにお姫様だよ」






