78 10年間 5
<ルピア……>
フェリクス様が顔を歪めて見つめてきたので、私は努めて明るい表情を作った。
なぜならこれ以上、フェリクス様に悲しい表情をしてほしくなかったからだ。
「私が涙を零したのは、失ったものを懐かしんだからではなく、新たに与えられたものが嬉しかったからだわ」
そう口にすると、彼は私の気持ちを読み取ってくれたようで、無理矢理笑みを浮かべ、必要以上に大きく頷いた。
<そうだね>
それから、彼は再び閉じていた本を開くと、続きを読んでくれた。
再開して始めの数ページは、動揺を抑え切れなかったようで、何度か単語を読み違えていたけれど、しばらくすると元の滑らかな調子に戻っていた。
ディアブロ王国の言葉を話すフェリクス様の声は、普段のものより低く、ゆっくりしている。
その響きが心地よくて、私はいつの間にか眠りに落ちていたのだった。
翌日から、私は少しずつ行動範囲を広げていった。
フェリクス様の提案通り、少し離れた庭や日当たりのいい朝食室を訪れたのだけれど、心配性な彼はいつだって側に付いていてくれた。
そのため、フェリクス様の仕事は大丈夫かしら、と心配になる。
『私にはミレナと護衛騎士がいるから大丈夫よ』と、折を見て何度か口にしたのだけれど、彼は曖昧な微笑みを浮かべるだけで、返事をしてくれなかった。
「まあ、困った王様だわ」
思わずそう零すと、フェリクス様は「できるだけ君を困らせないようにしようとは思っているんだけどね」と口にする。
けれど、今回に限っては、どうやら口先だけのように思われた。
そのため、できるだけ怖い顔をして睨んでみると、「そんな風に上目遣いでじっと男性を見つめるのは、私だけにしてほしいな。勘違いする者が出てくるから」と困ったように言われる。
そのセリフからも、フェリクス様の表情からも、私を怖がっているようにはちっとも見えなかった。
……どうやら私は迫力が足りてないみたいね、とがっかりしていると、フェリクス様は自ら椅子を引き、私を朝食室の椅子に座らせてくれる。
見上げると、彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
そのため、これ以上言い合いをしたくないと思った私は、私が勝手に心配をしているだけで、フェリクス様の仕事は上手く回っているのかもしれないわ、と自分に言い聞かせると、彼とともにできるだけたくさんの朝食を取ったのだった。
それから数日後、いつものように散歩先を尋ねられた私が、「フェリクス様の執務室にお邪魔したいわ」と口にすると、彼は一瞬動作を停止させた。
そのため、私には大丈夫だと言っていたけれど、やっぱり彼の仕事の進捗に問題が生じているのではないかしらと心配になる。
じとりと見つめていると、フェリクス様は普段通りの笑みを浮かべた。
「ルピア、執務室を訪れるのは明日以降でも構わないかな?」
その表情に不自然な点はなかったけれど、長年彼を見続けていた私には、彼が何かを隠そうとしていることが分かってしまう。
そのため、訪問日が明日以降になった場合、フェリクス様が見られたくないものを私から隠してしまうように思われた。
私は首を横に振ると、彼の申し出に反対する。
「いいえ、ご迷惑でなければ、今から行きたいわ」
フェリクス様は数瞬、心の中で葛藤していたようだけれど、諦めた様子で小さくため息をつくと、承諾の印に頷いた。
「もちろん君が来てくれるのならば、いつだって歓迎するよ。では、これから執務室を訪れることにするか」
フェリクス様が同意してくれたので、私はミレナと護衛騎士に付き添われながら、長い廊下をフェリクス様と並んで歩く。
それから、見慣れた扉が目に入ったので、懐かしさを感じながらフェリクス様の執務室に入ったのだけれど、そこは10年前と何も変わっていないように思われた。
そのため、安心した気持ちで部屋の中を見回していたけれど、あるものを目にした途端、ぎょっとする。
「えっ!?」
なぜならその部屋には、黙々と仕事をしている様子の文官たちが数人いたのだけれど、その中に1人、顔全体を隠すような無骨な鉄仮面を被っている者が交じっていたからだ。
えっ、あの方は何をしているのかしら?
非日常的な光景にびっくりして目を丸くしていると、私に気付いたらしい鉄仮面の文官が驚いた声を出した。
「ル、ルピア王妃陛下!?」
「ええっ」
彼の声を聞いた私は、もっとびっくりして、思わず一歩前に出る。
それから、鉄仮面の文官をまじまじと見つめた。
なぜなら私の記憶に間違いがなければ、―――その声はギルベルト宰相のものだったからだ。






