62 目覚め 2
フェリクス様の表情は怖いくらいに真剣で、彼が本気で私の子どもの父親になりたがっているように見えた。
それとも、まだ私の恋心が残っていて、見たいものを見ているのだろうか。
困惑して瞬きをしていると、バドがどこからともなく聖獣の姿で現れた。
彼は真っ直ぐ私に近付いてくると、ベッドの上に乗り上げる。
「バド」
「おはよう、ルピア。よく寝たね」
からかうような声音で挨拶をしてくるけれど、表情はすごく優しかった。
私は嬉しくなって、バドの首に抱き着く。
「バド、おはよう。長々と眠ってしまったようだけれど、それはきっとあなたが側にいてくれて、そのことが快適だったからだわ」
バドの体の先で、なぜだかフェリクス様が苦しそうに顔を歪めるのが見えた。
不思議に思って首を傾げると、バドが小声で囁いた。
「ふふふ、気にしなくていいよ。僕へのルピアの対応が、彼に対するものと違い過ぎていて、ショックを受けているだけだから」
そう言われて初めて、バドがフェリクス様の前で聖獣の姿をしていることに気付く。
「まあ、バド、フェリクス様と仲良くなったの?」
「……君は10年も眠り続けたからね。僕の前に現れるのは、フェリクスとミレナしかいないのだから、退屈に負けて話くらいするようになるさ」
バドはそう言ったけれど、彼は本当に頑固なのだ。
気に食わない相手ならば、10年くらい沈黙して暮らすだろう。
つまり、バドはフェリクス様の名前を呼ぼうと思ったほど、彼のことを気に入ったということだ。
「フェリクス様は優しいし、立派な方だからね。あなたが認めたことに、何の不思議もないわ」
そう言うと、バドは嫌そうな表情を浮かべ、フェリクス様は驚いて目を見開いた。
先ほどからのフェリクス様の態度に、以前とは異なるものを覚え、どうしたのかしらと彼を見つめると、フェリクス様は泣きそうな表情を浮かべた。
「ルピア……君は変わらず相手のいいところを見るのだね。そうか、君はまだ私を立派だと思ってくれているのか。……ありがとう」
それから、フェリクス様はまだ色々と話をしたい様子だったけれど、自らその感情を抑え込んだようで、私をもう1度ベッドに横たえる手助けをしてくれた。
「ルピア、君はすごく疲れているはずだから、もう1度眠った方がいい。すぐにミレナを寄越すから」
バドも同意するかのように、私の隣に横になると、ふさふさの尻尾をふわりと私のお腹の上に乗せた。
10年間も眠ったのならば、もうこれ以上眠る必要はないんじゃないかしら……と思ったけれど、気付いた時には再び眠りの中だった。
そして、目覚めた時、今度はミレナが涙目で私を見つめていた。
「……ミレナ?」
名前を呼ぶと、彼女はぼたぼたと涙を零しながら、ベッドに跪くようにして私の手を握ってきた。
「ルピア様、お帰りなさいませ。よくぞお目覚めくださいましたわ」
その姿を見て、彼女にすごく心配を掛けたのだと気付き、申し訳ない気持ちになる。
「ミレナ、ごめんなさい。10年間も眠り続けて、あなたに心配をかけたわ。それに、眠る私の世話を10年もしてくれたなんて……退屈で、大変だったでしょう」
けれど、ミレナはとんでもないとばかりに首を大きく横に振った。
「ルピア様のお世話をして退屈だと思うことも、大変だと思うこともありませんわ。それに、ルピア様は必要だから、10年間眠られたのです。……お痩せになりましたけれど、眠る前の苦悩されている様子は微塵もありませんもの。晴れ晴れとした表情をされています。私はそれだけで、この10年間に意味があったのだと思います」
「ミレナ……」
私の侍女は何て優しいのかしら、と感謝のあまり思わず涙ぐむ。
すると、ミレナは困ったように両手を差し出してきた。
「あ、それに、ルピア様が思っているほど、私はお世話ができていないのです。結構な部分を、国王陛下がやられていましたから」
「えっ?」
私は驚いて、声を上げた。
それは決して国王の仕事ではなかったからだ。
「それは一体どのくらいのことをやられたのかしら?」
恐る恐る尋ねると、ミレナは難しい顔をした。
「そうですね、期間でいうと、ルピア様がお倒れになってから、お目覚めになるまでですね」
「えっ、それは10年間ずっとってことなの?」
「そうなりますね。お着替えや清拭は私が行っており、日中は私がお世話をさせていただきましたが、夜から朝にかけては陛下が部屋に詰められておられました」
「えっ?」
私は驚いて、自分のベッドを見た。
身代わりになる前は、フェリクス様と別々に眠っていたのに、私の意識がない間は一緒に眠っていたのだろうか。
自然に頬が赤くなり、じわりと変な汗が吹き出てくる。
すると、そんな私の様子を見たミレナが、慌てた様子で手を振った。
「あ、申し訳ありません。私の言い方が悪くて、誤解をさせてしまったようです。国王陛下が休まれていたのは、そちらの長椅子です。ルピア様のベッドに入られたのは聖獣様のみですわ」
「え、長椅子って……」
フェリクス様は背が高い。
私の部屋にある長椅子では長さが足りず、とても快適に眠れるとは思えないのだけど、ここで毎晩眠っていたということだろうか。
いえ、毎晩のはずないわね。
彼には新しい生活があるはずで、眠る前に決まっていた通りにご側妃様を迎えられたはずだから。
だから、ご側妃様のところに通われるはずだし、……でも、その後に、私の部屋に戻ってきてくれたのだろうか?
そこまで考えたところで、胸がつきりと痛んだ。
……ああ、フェリクス様への恋心を全て捨て去ったつもりだったけれど、まだ少し残っているのかもしれない。
それとも、この感情は10年前のものを、今になって感じているだけなのかしら?
私はつと庭先に視線を移した。
すると、視界いっぱいに白い花と紫の花が見えた。
それは私の髪色と瞳の色だったため、私は大切にされているのだと自分に都合よく解釈することができた。
―――先ほど、妃は私一人だと、フェリクス様は言い切ってくれた。
あの言葉がどのような意味なのか分からないけれど、しばらくの間は言葉通りに解釈して、穏やかな気持ちでいてもいいだろうか。
彼への恋心を捨て去った今、彼が王として正しく進む邪魔をしないと決めていたにもかかわらず、具体的にご側妃様の話を聞く勇気がないことに気付かされる。
少し想像しただけで、胸がちくりと痛むことも。
……今の私には、フェリクス様の10年間の生活を知る勇気はなかったのだ。






