5 スターリング王国王妃 3
「おはようございます、王妃陛下。カーテンをお開けしてもよろしいでしょうか」
目が覚めた絶妙のタイミングで扉がノックされたかと思うと、侍女が入室してきて声を掛けられた。
視線を巡らすと、黄色いメッシュが入った緑色の髪を持つ、侍女服姿の美しい女性が寝台の近くに立っていた。
洗練された立ち姿から、貴族の娘に違いないと考える。
恐らくフェリクス王が選んでくれたという、彼の乳母の娘なのだろう。
王族の乳母になれるのは貴族のご夫人のみのため、その娘も貴族のはずだ。
「昨夜、陛下は乳母の娘を私に付けるとご説明くださったの。大変優秀な侍女だから、私専用にしていただけると。それはあなたかしら?」
「はい、王妃陛下の専属侍女となりました、クラッセン侯爵家当主の妹のミレナと申します。誠心誠意、王妃陛下にお仕えいたします」
ミレナはそう言うと、とても綺麗な侍女の礼を執った。
「まあ、それは助かるわ。この国のことを学んできたつもりだけれど、私が知らないことはまだまだ沢山あるはずだから、教えてもらえると嬉しいわ」
笑みを浮かべて素直にそう言うと、ミレナは戸惑ったように瞬きをした―――勿論、フェリクス王が優秀だと評するほどの侍女なので、表情に表すことはなかったけれど。
「ミレナ?」
問いかけるように名前を呼ぶと、もう1度瞬きをされる。
何が彼女を戸惑わせているのかしらと首を傾げると、彼女は恐る恐るといった様子で口を開いた。
「申し訳ございません。王妃陛下は大陸一の大国から嫁いでこられたので、私ごときにそのようなお優しいお言葉をいただけるとは思っていませんでした。ましてや、私の名前を呼んでいただけるとは思いませんでした」
私はまあ、と驚いて目を丸くした。
「ミレナ、私がどこで生まれたにしろ、今はあなたと同じスターリング王国の者だわ。だから、これからは同じ国の同胞として扱ってもらうと嬉しいわ」
フェリクス王折り紙付きの優秀な侍女は、誰が見ても分かるくらいに目を丸くした。
「…………………王妃陛下、私は一介の侍女です。そのような過ぎたるお言葉は、勿体のうございます」
「あなたは私の専属侍女なのでしょう? だったら、一介の侍女ではなくて、大切な特別の侍女だわ」
にこりと笑ってそう言うと、ミレナは畏れ多いとばかりに頭を下げた。
「国王陛下は何時に朝食をお取りになるのかしら?」
フェリクス王から朝食を一緒にしようと言われた言葉を思い出した私は、朝食用の服に着替えながらミレナに確認した。
―――昨夜、フェリクス王は私を大切に扱ってくれた後、「処理すべき仕事が残っていてね」との言葉とともに自分の部屋へ戻って行った。
勿論私にだって、その言葉が体のいい退室の言い訳であることは分かっていた。
閨の授業の際、付帯事項として教わったのだ。
王族の多くは、夫婦であっても同じ寝台で眠ることはないと。
そのことを寂しく感じはしたけれど、フェリクス王の定められた生活を邪魔するわけにはいかないと強く思う。
なぜなら私が嫁いできたのは彼を幸せにするためで、何かを我慢させたり、不本意な行為を無理強いしたりするためではないのだから。
そして、少しだけ寂しくはあるけれど、彼が与えてくれるもので私は十分幸せだったのだから。
フェリクス王は退室時、私を甘やかすような言葉をくれた。
「ルピア、君は私の妃となったのだから、私のことはフェリクスと呼びなさい。その丁寧な言葉遣いも止めるように。そして、君が私の妃となったのだと、私に実感させてくれ」
ずっと夢でしか彼には逢えなかった。
夢の中に彼が現れるだけで、幸せだった。
それなのに、今の私は実際に彼を見つめ、見つめられ、言葉を交わし、時間を共有できているのだ。
そのうえ、優しい言葉をかけてもらえる。
「……私は幸せ者だわ」
ミレナに髪をすかれながら呟くと、同意するように微笑まれた。
その日の朝食は、私の出身国であるディアブロ王国の伝統的なメニューだった。
見慣れた料理を目にし、驚いてフェリクス王を見やると、悪戯が成功した子どものような表情で微笑まれた。
「驚いた? 私たちの初めての朝食は、君を育んでくれたディアブロ王国に感謝して、君の国のものにしてみたのだよ」
簡単に言うけれど、材料も調理法もこの国とは異なるものばかりだ。
思い付きで作れるようなものではなく、入念な準備が必要だったに違いない。
私は嬉しさで頬が赤くなるのを感じたけれど、俯くことなく真っすぐフェリクス王を見つめてお礼を言う。
「フェリクス様、ありがとうございました」
彼は労力を惜しまず、私のために母国の料理を用意してくれたのだ。
だとしたら、正しく謝意を示すのが私の誠意だと思ったからだ。
ついでに、君主号ではなく彼の名前をさり気なく呼んでみる。
すると、そのことに気付いたフェリクス王から褒めるように頷かれた。
「どういたしまして。あなたの好意は分かりやすくていいね。まっすぐにお礼を言われるのは気持ちがいいものだ」
その言葉とともに、食事が始まった。
「昨夜はよく眠れたかな?」
黙々と食事をするのではなく、フェリクス王は何くれと私に話しかけてくれる。
「はい、とても快適な寝台と寝具でしたので、朝までぐっすりと眠りました……眠ったわ」
丁寧な言葉遣いになる度に、フェリクス王から無言で見つめられ、訂正を促される。
けれど、彼の眼差しがあまりにも優しく見えるため、見つめられる度に頬が赤くなった。
「それはよかった。君は元々体が強くないと聞いている。今回だって、婚儀の数日前には我が国に到着していたのに、婚儀当日まで私と対面できないほど体調を崩していただろう? 母国から遠路はるばる旅をしてきたうえ、昨夜は新たなる体験をしたのだから、君が思っている以上に疲労しているはずだ。私を心配性だと考えてもいいから、今日は部屋で一日ゆっくりと過ごしてくれ。出来るならば、午睡を取ってほしいくらいだ」
仄めかされた内容に頬が赤くなった私は、照れ隠しに小さな声でつぶやく。
「まあ、初日からそんな怠け者の王妃はいかがなものかと」
「もしも君が一日だけの王妃なら、頑張ってもらうけどね。君はこれからずっと私の妃なのだから、無理をさせてはいけないだろう?」
フェリクス王はまたもや甘やかすような言葉を口にすると、控えていた給仕に合図をして、彼のデザートを私の前に並べ直させた。
「果実入りのゼリーは君の好物だと聞いている。頑張り屋の君に私の分もどうぞ。そして、甘いものが好きな私がデザートを差し出すなんて、よっぽど君を尊重しているのだと理解して、今日一日はゆっくりしてくれ……私のために」
フェリクス王の声が優しい響きを帯びる。
……本当に、何と優しい夫だろう。
私は世界一の幸せ者だわと、彼の穏やかな微笑みを見ながら、改めてそう思ったのだった。