53 後悔 14
アナイスの一方的で自分勝手な主張を聞き終えた私は、苦々しい思いが込み上げてくるのを止められなかった。
テオにしろアナイスにしろ、自分の主張ばかりだ。
これまでの彼らもそうだったのだろうし、そのような態度でも今までは気にならなかったが、ルピアを知ったことで彼らの身勝手さを許し難く感じる。
テオの嘘もアナイスの身勝手さも、ルピアは気付いていたに違いない。
にもかかわらず、彼女がそのことについて言及したことは一度もなかった。
『女神が私を治癒するところを、テオが見たと証言した』と、私がルピアに言い放った時も、彼女は一言だって『それは嘘だ』と言わなかった。
他人の悪口を言おうとしない、ルピアらしい行動だなと好ましく思う。
しかし、一方では、今後もずっとその性質のままでいてほしくないなと思った。
なぜなら誰にも言わずに抱えていることで、彼女自身が苦しむことになるからだ。
ルピアが悩みなく暮らしていくため、不快に感じることは何だって私に打ち明けてほしい。
もちろん、そのためには、私自身が彼女の助けになると信じてもらえる存在にならなければいけない。
あるいは、私がもっと様々なものに気を配り、彼女の気持ちを先に読み取るべきだろう。
アナイスに視線を移すと、全く悪びれていない様子で微笑んでいた。
彼女は3色の虹色髪をしており、我が国において誰からも敬われているが、身分的には王妃であるルピアが何倍も上だ。
そのため、アナイスがルピアに仕え、敬意を持って接するべき立場であるのに、アナイスの態度にはルピアを敬う気持ちが全く見られなかった。
先ほどからアナイスが口にしていることの多くは、どれほど心の中で考えていたとしても、決して口に出してはならないことだ。
にもかかわらず、彼女はべらべらと自分の考えを述べている。
それだけではなく、勝手にルピア以外の妃が必要だと判断し、虚言まで吐いてルピアを傷付けた。
恐らくこれまで、誰もがアナイスのことを『虹の乙女』と敬うあまり、自由にさせ過ぎたのだろう。
今回の事件を起こすまで、アナイスは与えられた役務を正しくこなしていたし、立場を逸脱することはなかった。
そのため、彼女に対して制約を課すことはなかったが、そのことでアナイスは何をしても正しいと認められるし、全てを許されるほど高い価値があると勘違いをしたに違いない。
そんな風に考えを巡らせている間に、ギルベルトが侍従に合図をして再度テオを呼び入れると、アナイスの隣に座らせた。
時間を空けたことで考えるものがあったのか、テオは反省した様子で俯いていた。
ギルベルトは少しの間を置いた後、2人を交互に見つめると口を開いた。
「君たちの考えは理解した。一方だけの話を聞いて結論を出すわけにはいかないため、君たちの発言内容を踏まえた上で、王妃陛下の侍女や現場の兵、ヘル伯爵などから入念な聞き取りを行うこととする。君たちへの沙汰はその後となるが、……少なくとも王族への偽証罪は免れないだろう」
テオは悄然とした様子で頭を下げたが、アナイスは激しい目で宰相を睨み付けた。
「私たちは王国のために、精一杯できることをやりました! 偽証だと言われますが、最も効果的な手法を取っただけです! なぜそれが罪になるのですか!?」
「それは君たちが権限外のことに手を出したからだ。王国の進む道を決めることができるのはフェリクス王のみで、私たちにできるのは、王が示した道を進んでいくことだけだ。アナイス嬢、君は『虹の乙女』ではあるものの、身分的には子爵令嬢でしかない。君が口を出せる話ではないのだ」
宰相の声は淡々としており、そこに侮蔑的な響きはなかったが、アナイスは屈辱でさっと頬を赤らめた。
ぎりりと唇を噛みしめ、悔し気にギルベルトを睨み付けている。
その全く反省をしていない様子を見て、私は自分の中でかちりとスイッチが切り替わるような感覚を味わった。
ああ、アナイスは今後も変わらず、私の妃を傷付けるかもしれないと、最終的に判断したのだ。
恐らくアナイスにどれほど過ちを指摘しても、決して理解することはないだろう。
彼女はルピアが私を救う場面に居合わせており、ルピアの能力を目にした数少ない人物の一人だ。
にもかかわらず、この態度であるのならば、どのような言葉を聞いたとしても、自分に都合よく解釈するだけで、こちらの真意は届かないに違いない。
私はギルベルトに向かって、あくまで冷静な声を出した。
「ギルベルト、アナイスが『虹の乙女』であることに価値があると言い張るのならば、それを証明する機会を与えるのだ」
「……フェリクス王?」
ギルベルトが戸惑った様子を見せたため、言葉を続ける。
「皆から聞き取りを行うのであれば、結論が出るまで時間が掛かるだろう。それまでに、『虹の乙女』の価値を再確認すればいい。そして、その結果を刑罰に反映させるのだ」
私の言いたいことを理解したギルベルトは、了承の印に頭を下げた。
「承知いたしました。それでは、いずれかの場所にて、アナイス嬢のお力をお借りすることといたしましょう」
私は脚を組むと、テーブルからグラスを手に取った。
グラスの中には、ピュリの果実から絞られた黄色い果汁が半分ほど入っていた。
「先のゴニア王国との戦争は、鉱山の所有権を争ったことが直接的な原因だが、発端はあの国の土地が痩せてきたことにある。だからこそ、ゴニアは民を飢えさせないための資金源として、鉱山の所有権を主張してきたのだ。だが、土地が痩せてきたのは、今やあの国だけではない」
ギルベルトは同意の印に頷いた。
「その通りです。我が国でも地方のあちこちで、作物の収穫量が減ってきている旨の報告が上がっております。陛下が手にされているのはピュリの果汁ですが、その果実も明らかに収穫量が減っております」
ギルベルトが示した果実が嗜好品であることを理解しながら、私はことさら残念そうな表情を作った。
「そうか。私はこの果汁が好きなのだがな」
すると、ギルベルトはアナイスとテオに視線をやった。
「王の食事を守ることは臣下の役割だ。アナイス嬢、君にはテオとともに痩せた土地を回り、『虹の乙女』の加護を分け与えてきてもらおう。正しく女神に愛されているのであれば、目に見える成果が表れるはずだからな」
「えっ」
驚いた声を上げるアナイスに、宰相は誤解した振りをして言葉を続ける。
「もちろん君たちに護衛を付けるので、道中を心配する必要はない。必ず王都まで戻ってこられるよう手配しよう」
逃げ出さないよう見張りを付けると言外に匂わされたことで、アナイスは顔色を変えた。
『虹の乙女』ともてはやされてきたものの、実際の彼女にどれほどのことができるのか―――あるいは、何一つ加護を与えることができないのか、身をもって理解しているためだろう。
アナイスは私に顔を向けると、焦った声を上げた。
「フェリクス王、私はこれまで『虹の乙女』として、誠心誠意この国に尽くしてまいりました!」
私は鷹揚に頷くと、彼女の言葉に同意した。
「理解している。だからこその措置だ。知っての通り、我が王国の大地は元々痩せていたが、『虹の女神』が虹をかけたことで豊かになったのだ。大地を豊かにすることは、『虹の女神』の本務だろう。だとしたら、その愛し子である君にとって、同様の加護を与えることは容易い話に違いない。アナイス、これは君にとって有利な話だ」
アナイスは私の言葉を聞くと、真っ青になって震え始めた。
私の態度から、冗談を口にしているのではないと理解したのだろう。
「フェリクス王、それはあまりに………」
言いながら、アナイスが縋るように片手を差し出してきたが、私には彼女の話を聞くつもりがなかったため、手を振って制する。
私の取り付く島もない態度を見たアナイスの目が驚いたように見開かれ、中空に上げていた手がぱたりと膝の上に落ちた。
アナイスだけが悪いわけでないことは、分かっていた―――これまで彼女の我儘を受け入れてきた周りの者たちや、王宮に部屋を用意して増長させたギルベルトにも問題があることは。
そして、彼女がこれまで国のために多くのことを果たしてきたのは事実で、そのことを考慮すべきだということも。
しかし、私はルピアに与すると決めたのだから、彼女に害をなす恐れがある以上、手心を加えるつもりはなかった。
何よりもアナイスは虚言を弄して、何の罪もないルピアを傷付けたのだ―――恐らく、彼女が最も傷付くであろう嘘をついて―――許せるはずもなかった。
私はアナイスとテオを見つめると口を開いた。
「1つ言っておく」
私は持っていたグラスをテーブルに置くと、椅子のひじ掛けに片肘をつき、頬を支えた。
「妃は誰にも後ろ指を指されるような生き方はしていない。もしも彼女が身籠ってくれたとしたら、それは私の子だ」
私の態度も口調も王としてのものだったため、2人ははっとしたように息を呑んだ。
貴族に名を連ねているのだから、私の発言の意味は理解するだろう。
―――ルピアが魔女であることは、限られた者たちにおける秘密だ。
2人に全てを話せない以上、ルピアについての説明は不十分で納得し難いものに聞こえるだろうし、私がルピアの母国であるディアブロ王国に気を遣い、妃の不品行な行為を見逃しているように思われるのかもしれない。
だが、そうだとしても、それらは彼らが気にすることではないのだ。
そして、王である私が口にしたことは、全て真実となる。
私が「ルピアの腹の子は私の子だ」と言えば、誰もがそれを受け入れるしかないのだ。
実際に頭の中でどう考えていようとも、王の言葉を真実として扱うこと―――それが、貴族のルールなのだから。
2人の青ざめた表情から、私の意図が正しく伝わったことを理解したため、私は再びグラスを取ると一気に飲み干した。
―――強制的で絶対的な王の力を行使することは私の主義に反するため、これまでほとんど使用することはなかった。
しかし、今後は変わってくるだろう。
なぜなら何事にも、優先順位が存在するからだ。
何もかもが手に入るわけではない。
だとしたら、私にはルピアだけが残ればいい―――彼女が、それを望んでくれるのならば。
そのために、これまでの主義主張と異なるものだとしても、取れる手段は全て取ろうと心に誓う。
―――私は父の姿を思い浮かべた。
絶対的で人の話を一切聞かなかった、全てに君臨していた王の姿を。
そんな父は、一色の髪で生まれてきた私を、不要の者と一番に切り捨てた。
だからこそ、私は父とは違い、人の話を聞く親和的な王になろうと決意したのだ。
そのことによって、不要だと切り捨てられた幼い自分を救済できると考えていたのだが―――もはや私に救済は必要なかった。
既に私は、ルピアに救われていたのだから。
私は手を振ると、2人を退出させるよう促した。
しかし、彼らがよろよろと立ち上がったところで、「ああ」と最後の言葉を呟く。
2人は縋るような表情を浮かべ、真っすぐに見つめてきたので、安心させるために微笑んだ。
「好きなだけ時間を掛けるがいい。何かあったとしても、王都には女神に愛された私、そして、ハーラルトがいるから安心しろ」