4 スターリング王国王妃 2
結婚式に引き続いて行われた大掛かりな披露宴に参加し、疲労困憊になった私に気付いたのか、フェリクス王は早めに私を披露宴から退席させてくれた。
侍女たちに体を清められ、ゆったりとした夜着に着替えてソファでぐったりしていると、規則的なノックの音が響く。
「失礼するよ、お妃様」
はっとして扉を見つめると、夫となったばかりのフェリクス王が少し目を細めながら寝室に入ってきた。
私は座っていたソファから慌てて立ち上がる。
彼は先ほどまでの煌びやかな服装とは異なり、シンプルなシャツに着替えていた。
入浴したばかりなのか、神秘的な3色の髪がうっすら湿っていて、普段よりも艶っぽく見える。
そんな彼が目を細めながらゆったりと歩み寄ってくる姿は、傍から見たら余裕のある態度に見えるのだろうけれど、……10年もの間、彼を夢で見続けてきた私には、彼が緊張していることが見て取れた。
そもそも彼は人見知りをするタイプで、目を細めるのは緊張している時のくせなのだ。
だから、緊張しているのは彼だけではないのだと理解してもらうため、私は両手を前に突き出した。
それから、縋るようにフェリクス王を見つめる。
「陛下、震えが止まりません。私、すごく緊張しています」
ぶるぶると震えている私の両手を見たフェリクス王は目を丸くした後、ふっとおかしそうに微笑んだ。
「そうか。君は私よりも年上だし、大国の生まれだから、色々と私よりも慣れていて、落ち着いているのかと思ったが、そうではないのかもしれないね」
彼の微笑みは自然なものになっており、自分よりも緊張している相手を目にしたことで、緊張が解れたようだった。
フェリクス王はテーブルに置いてあったグラスを2つ取ると、綺麗な色のお酒を注ぎ、1つを私に手渡してくれる。
それから、私とともにソファに座り込むと、自分が持ったグラスと合わせた。
「この国の王妃となった君に。初めて顔を合わせたのが大聖堂だったから、私たちはほとんどお互いを知らないよね。これから少しずつ知っていければと思う」
フェリクス王の言葉に、私はやましさから視線を逸らした。
……いいえ、フェリクス王。私はほとんど全てあなたのことを知っていますわ。
好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな人、苦手な人、趣味、余暇の過ごし方……ええ、物凄く知っています。
けれど、それを話すと、覗き見をしていたことまで告白しないといけなくなるため口を噤む。
「私は王になったばかりだから、暫くは忙しく、君に寂しい思いをさせるかもしれない。だから、朝食は必ず一緒に取ろう。昼食と夕食は合わせられそうもないので、一人で取ってもらう形になるのだが」
フェリクス王はゆったりと私の隣に座り、これからの話をしてくれた。
―――ああ、やっぱり優しい人だ。
外国の王女との結婚を政略だと割り切って、必要最低限の礼儀を示す方法もあるのに、誠実にできるだけ歩み寄ろうとしてくれる。
「君は母国から侍女を一人も連れてこなかったそうだね。この国の慣習には君の国と異なるものがあるから、戸惑うこともあるだろう。だから、君には私の乳母の娘を専用の侍女として用意した。非常に優秀だから、王妃付き侍女として問題ないはずだが、合わないようならば言いなさい。別の者に変えよう」
優しい、優しい、優しい王だ。
彼の言葉の全てが思いやりに満ちている。
私はフェリクス王の話を、宝物をもらうような気持で聞いていた。
そして、話が一通り終了した後、「私からも1つだけよろしいですか」と切り出した。
今夜必ず話さなければならない事柄だと思っていたし、彼の雰囲気から話を切り出す勇気を持てたからだ。
フェリクス王は興味深そうに微笑んだ。
「1つだけなのかい? それはまた、重要そうな話だね」
私は緊張のためぎゅっと両手を握りしめると、まっすぐ彼を見つめた。
なぜならこれから私が口にすることは、彼には突拍子もない話に聞こえることを理解していたからだ。
彼は背が高く、私は背が低いため、立つと身長差に圧迫感を覚えるけれど、座っていると身長差が縮まり、普段よりも落ち着いて話ができるように思われる。
そのため、勇気を持って口を開いた。
「私には1つだけ秘密があります。そのことを陛下にお話ししなければと思います」
「それは本当に、重要そうな話だね」
彼はしっかりと話を聞こうとでもいうかのように、持っていたグラスをテーブルに置いた。
私はすうっと大きく息を吸うと、覚悟を決めて秘密を口にする。
「私は……失われた魔女の末裔なのです」
「……魔女?」
フェリクス王はきょとんとした様子で、目を瞬かせた。
「はい、私は大きな魔法が1つ使えるのです。夫となった相手の身代わりになれるという魔法が」
「私の身代わり?」
「はい、陛下が怪我や病気をした時、それを私の身に引き受け、治癒することができます。私が身代わりになった時点で、陛下の体は健康体に戻りますし、たとえ陛下の怪我や病気が命にかかわるようなものであっても、引き受けた私が死ぬことはありません。時間はかかりますが、私の体はそれを完全に治癒できるのです」
フェリクス王は暫くの間、黙って私の表情を観察していた。
何事かを確認されていると感じたため、信じてもらおうと目を逸らさずに見返していると、彼はふっと体から力を抜いて小さく微笑んだ。
「……そうか。君は魔女の末裔なのか。だとしたら、私はたとえようもないほど得難い妃を娶ったということだね」
「……信じて、もらえるのですか?」
微笑みとともに頷く彼を前に、私は信じられないとばかりに目を見張る。
彼はそんな私に向かって、甘やかすかのように微笑んだ。
「他ならぬ私の妃の言うことだ、信じよう」
「フェリクス陛下!!」
私は思わず立ち上がると、大きな声で名前を呼び、彼の手を握りしめた。
嬉しさで胸がいっぱいになる。
ああ、嬉しい、嬉しい!
1番大事な人に、1番大事な秘密を信じてもらえたわ!
私は満面の笑みで彼を見つめたけれど、続きがあったことを思い出して慌ててソファに座り直す。
「それで、陛下、……秘密を話した後のお願いで恐縮なのですが、私が『身代わりの魔女』であることを、他の者には黙っていてほしいのです」
「それはまた、どうして?」
不思議そうに首を傾げるフェリクス王に、私は懇願するような目を向ける。
「『身代わりの魔女』は滅多にない、貴重な能力なので、知られると邪な思いを抱く者が現れるかもしれません。そのため、秘密を知る者は少ない方がいいのです。このことを知るのは、私の母国でも、家族と従兄と限られた侍女たちのみでした」
「……なるほど。理にかなった話ではあるな」
「勿論、文字通り陛下と私だけの秘密にすることは難しいでしょうから、陛下が信用される方にはお話しいただいてかまいません。私も私の侍女には話そうと思います」
「……分かった。それでは、このことは私と君と側近たちのみの秘密だ」
そう言うと、フェリクス王は片手を私の前に差し出した。
そして、私の目を見つめたまま、一段低い声で囁く。
「君の秘密を聞かせてもらったことだし、これからは私たちの新たな秘密を作る時間だね」
―――と、そう。
その艶やかな声を聞いた途端、背中にぞくりとした奇妙な震えが走った。
突然変わった雰囲気に戸惑い、何も言うことが出来ず、ただ黙って差し出された彼の手に自分の手を重ねる。
すると、彼はその手を自分の唇に持っていき、私を見つめたまま手の甲に口付けた。
「……君は美しいと、私は言ったかな? 我が王国が誇るレストレア山脈の積雪のように輝く白い髪に、国花と同じ紫の瞳とは、私たちが最も美しいと思う色を持っている。スターリング王国へようこそ、私の王妃」
そう言った彼の瞳に熱が籠る。
私は一瞬にして真っ赤になると、困ったようにフェリクス王を見上げた。
そんな私を見てフェリクス王は微笑むと、まるで甘えるかのように私の手に彼の頬をすり寄せた。
「そんな顔をしないでくれ。私はただ、君と仲良くなりたいだけなのだから」
フェリクス王はそう囁くと、とても丁寧な手つきで私を抱き上げ、寝台まで運んでくれた。
―――その夜、私は名実ともにスターリング王国の王妃となった。






