44 後悔 5
「これは?」
悲壮な顔つきのギルベルトから1通の手紙を受け取った私は、薄紫色の封筒に目をやった。
私が執務室を訪ねることについては、事前に連絡を入れていた。
その際、この1か月に起こった重要案件の報告をするようにと指示していたのだが、どういうわけか椅子に座ると同時に、この封筒を手渡されたのだ。
「申し訳ありません、私の不手際です。そちらは、40日前に王妃陛下がフェリクス王宛てに作成されたものです。封書の横に受取日が記載されておりましたので、日付に間違いありません」
「……ルピアからだと?」
戦場にいた時以外で、彼女から手紙をもらうのは初めてだったため、動揺して声がかすれる。
「はい、一月以上前に、王妃陛下の護衛騎士がこの手紙を持ってこられました。時間帯が早朝だったため、執務室には下級事務官しかおらず、手紙は『未読』の箱の中に分類されておりました。王妃陛下からの手紙であれば、何を差し置いても王にお見せすべきでしたのに。私の指導が至らなかったせいです」
ギルベルトはそう言うと、見たことがないほど深々と頭を下げた。
彼は言いたくないことがある場合に沈黙することはあるが、虚言を並べ立てることはない。
そのため、彼の言葉通りに下級事務官の不手際だったのだろうが、ギルベルトは自分のせいだと深く反省しているようだった。
40日前と言えば、ルピアの妊娠が分かり、私が彼女を誤解していた頃だ。
その時期に彼女が私に宛てた手紙と聞いて、さっと血の気が引いた。
「なぜ今日になって、手紙が見つかったのだ?」
わざわざ手紙にしたためたのは、どうしても私に伝えたいことがあったからに違いない。
この手紙には、その時期に私が読むべき内容が書かれているはずだと考え、封書を持つ手が震えた。
宰相は青白い顔で、私の質問に答える。
「本日、フェリクス王が執務室を訪問されることについては、事前に連絡を受けておりました。そのため、これまで目を通していなかった書類や手紙を整理したところ、王妃陛下の手紙が出てきた次第です。誠に申し訳ございません」
宰相に返事をする気にもなれず、私は手元の封書に視線を落とした。
そこには、流麗な文字で私の名前が書いてあった。
封蝋で刻印されており、手紙が開かれている様子はなかったため、震える手でペーパーナイフを使って封筒を開く。
中には10枚ほどの紙が丁寧に折りたたまれて入っており、手本のような美しい文字がびっしりと書き込まれていた。
―――手紙に書かれていたのは、私が彼女に尋ね、知るべき内容だった。
曰く……。
私が6歳の時にルピアと出会い、彼女が私を「相手」と定めてくれたこと。
その時からずっと、夢の形で私の生活を共有してくれたこと。
虹をかける魔法を身に付け、私にとって意味がある日に虹をかけ続けてくれたこと。
……「虹の女神」の祝福だと思っていたものがルピアの魔法だと知ったら、私が失望すると考え、言えなかったことへの謝罪と、代償として体調を崩すことを体が弱いと誤解され、心配を掛けたことへの謝罪。
2年前、戦場で死にかけていた私の怪我を、身代わりとしてルピアが引き受けたこと。
……傷が酷かったため、聖獣の城で2年かけて治癒したこと。
それから―――。
子どもは身代わりを引き受ける前に授かったもので、私の子であることを、ルピアの身分と名前に誓うと。
説明が上手くなく、私に誤解をさせ、苦しい思いをさせてごめんなさいと。
―――そう綴られていた。
手紙を読み終わった私は打ちのめされ、何一つ口にすることができなくて、無言のまま手紙をギルベルトに渡すと、両手で顔を覆った。
手紙の内容に触発され、以前、ルピアに言われた言葉を思い出す。
『い、いえ、それは………………、じ、実は、私は幼い頃からフェリクス様のことを、ちょっと、少し、毎日くらい、覗き見ていたのです。だから、よく知っているのです。ごめんなさい。すみません』
ころころと可愛らしく表情を変えながら、ルピアはいつだって嘘偽りない真実を語ってくれたのだ。
『ええっ!? い、いえ、もちろん違います! そうではなくて、魔女として、お相手の夢を毎晩見ていたのです』
信じなかったのは私だ。
手紙を読み終わった様子のギルベルトが床に崩れるのを、空気の動きで感じ取る。
しばらくはどちらも口を開かず―――執務室には私とギルベルト以外は誰もいなかったため―――耳に痛いほどの沈黙が広がった。
心中に去来する思いがどうしようもないほど膨れ上がり、どうにも気持ちが抑えられなくなった私は、考えがまとまらないまま、頭に浮かんだ思いを声に出す。
「……私は幼い頃、自分が嫌いだった。王族として一番大事な髪色に不備があったため、誰も私を肯定せず、受け入れてくれなかったからだ。だが……8歳の誕生日に、王宮に虹がかかった。それは、それは美しい虹が、まるで私の誕生日を祝福するかのように、王宮の端から端までかかったのだ」
10年以上経った今も、あの虹がどれほど大きくて美しかったかを覚えている。
その時の、感動も。
「次に、私が従騎士となった日に、虹がかかった。さらに、私に勲章が授与された日に。それから、毎年の誕生日には必ず、美しい虹が王宮の端から端までかかるようになった。……初めて虹を見た時は、感動して言葉を失ったな。そして、こっそりと一人で泣いた。それは私に与えられた、初めての優しさだったから」
なぜだか私には、あの虹が私を祝福してくれているように思われたのだ。
「虹がかかるのが、2度、3度と重なると、その荘厳さがどんどん身に染みてきて、心が震えるような気持ちになった。そして、3度目の奇跡が重なった時、私は『虹の女神』の慈愛を感じることができた。『……ああ、世界は私に優しい』と、心からそう思うことができたのだ」
その時、何かを床に打ち付けたような音と、ギルベルトの引きつれたような声が聞こえた。
彼は幼い頃から私の側にいたので、当時の私の気持ちを想像したのかもしれない。
「これほど何度も偶然が重なるはずもないから、世界が、女神が、私に示してくれたのだと考えた。『お前を見ている』と。『お前を愛している』と。私は嬉しさのあまり、初めて声を上げて泣いた。『ああ、私は愛されていた』そう信じることができたから。そして、その日から、私の全ては一変した。私は顔を上げてまっすぐ未来を見つめることができるようになったし、その未来は輝いていたのだから」
私は顔の上半分を覆っていた両手をおろすと、天井を見つめた。
「……私はずっと、自分は孤独だと思っていたが、甘ったれていただけだった。ルピアはずっと私の側にいて、私の心を守ってくれていたのに。確かに私は幸せで、寂しくはなかったのに」
「…………フェリクス王……」
くぐもった声で、ギルベルトが私の名前を呼ぶ。
しかし、私は返事をすることなく、憑かれたように言葉を続けた。
「私は大きな思い違いをしていた。世界は私にとても優しいと思ったが、……世界が私を見ていたわけでも、私を愛していたわけでもなかった。ルピアだったのだ」
私は震える手で己の虹色髪に触れると、声を絞り出した。
「幼い頃からずっと、虹という祝福をくれ、私の心を守ってくれたのは、ルピアだった」






