38 真実 3
戦場から王宮に戻った私は、すぐにディアブロ王国へ使者を出した。
我が国はもう安全だから、戻ってくるようにとルピアへ知らせるためだ。
そして、実際に戻ってきた彼女と再会した時、どういうわけかルピアはきらきらと輝いて見えた。
彼女が動く度に、彼女の周りから光が溢れているように見え、知らぬうちに目か脳に不調をきたしていたのかと驚く。
しかし、彼女に近付くにつれ、別人かと見間違うほどに痩せてしまっていることに気が付き、そちらに気を取られた。
「何てことだ、こんなに痩せてしまって……」
最後まで続けることができず、言葉が途切れる。
なぜなら彼女の顔も手も足も、どこもかしこも肉が落ちてしまっていたからだ。
ああ、かわいそうに、摂取する食事量が不足していたのだろう。
今後は彼女の側にいて、きちんと食事をするように見張っていなければと強く思う。
心配のあまり、思わず彼女を膝の上に抱き上げると、あまりに軽くてもう一度驚いた。
彼女は小さいので、私の腕の中にすっぽりと入ってしまい、そうすると、彼女を安全な場所に確保できたような気持ちになれて、やっと安心できた。
……ルピアは小さくて、繊細で、純真だから、私が側にいて守っていないといけないな。
もちろん彼女は立派な大人で、何だって自分でできることは分かっていたが、そんな庇護欲に駆られる。
私は彼女の小さな頭の上に自分の頭を乗せると、抱きしめる腕に力を込めた。
―――しかし、私の世界が秩序を保っていられたのは、この日までだった。
翌日、ルピアの体調不良を心配して手配した侍医から、思いもかけない報告を受けたからだ。
突拍子もない言葉を聞かされた私は、子どもの頃から世話になった相手を、正気だろうかとまじまじと見つめる。
「……何だと?」
「王妃陛下がご懐妊でございます」
「確かにお前は年を取ったが、もうろくするには早いだろう。それとも、最近はこのような冗談が流行っているのか?」
「冗談ではございません。王妃陛下がご懐妊でございます」
「本気でそのような診断結果を下すとしたら、お前はやぶ医者だったのか」
私はきっぱりと言い切った。
ルピアとは2年以上離れていたのだ。
子どもができるはずもない。
しかし、侍医は生真面目な表情で、4度目になる同じ言葉を繰り返した。
「王妃陛下がご懐妊でございます」
その時になってやっと、侍医が冗談を言っているわけでも、適当な診断結果を口にしているわけでもないことを理解した。
―――瞬間、激しい怒りで目の前が真っ赤に染まる。
これほど激しい怒りを覚えたのは初めてで、全身の血が沸騰するような感覚を覚えた。
ああ、彼女は私のものなのに!
彼女は私の権利を、何者かに分け与えたのか。
そして、その何者かが、私から彼女を奪っていこうとしているのか。
私は激高したままルピアのもとを訪れ、彼女を問い質したが、彼女は私の子だと繰り返すばかりだった。
しかし、そのようなことがあるはずもない。
私は感情のままルピアを詰ると、彼女の部屋を後にした。
その時の私の胸を占めていたのは、裏切られたという思いと、彼女は別の男性を愛したのかという絶望的な思いだけだった。
その日を含めた2日間のことは、ただただ胸苦しく、気分が悪かったことしか覚えていない。
かろうじて仕事だけはしていたが、それ以外の時間は、胸の中に巣食った嫉妬に苦しめられていたからだ。
そして、そのように一つの感情に囚われ続けたことで、私ははっきりと気が付いた。
……私は変わってしまったのだと。
これまでの私はいつだって、冷静に感情をコントロールしてきたし、他人の言動に大きく影響を受けることはなかった。
しかし、今の私はルピアの一挙手一投足に影響を受け、彼女への激しい感情を制御できていない。
苦しい、苦しいと思いながらも、最も私を苦しめたのは、これほどまでに私を変容させたルピア自身が、他の男性の子どもを身籠りながら、素知らぬ顔をしていることだった。
彼女にとって、私はそれだけの者でしかなかったのだという事実を、目の前に突き付けられた気持ちになる。
そして、その時ふと、戦場にいる私への手紙が途切れた理由が分かったように思った。
恐らくあの時期に、彼女は私よりも他の男性に夢中になったのだろう。
感情的になってはいけないと自分に言い聞かせ、冷静さを取り戻すために、さらに3日我慢した後、ルピアのもとを訪れた。
「たった一つだ」
廊下を歩きながら、自分に言い聞かせるための言葉を紡ぐ。
彼女は優しく、我が国の発展にも熱心で、これまで一心に、私と私の国に寄り添ってくれた。
そんな彼女が犯した間違いは、この2年半でたった一つだけだ。
……誰だって、間違いを犯すことはある。
たまたまその間違いが私にとって大事なことで、許し難いことだったため、苦しくてたまらないが、私は乗り越えていかなければならない。
これからもともに歩んでいくため、彼女を許す道を探すべきなのだ。
そう考え、腹を割って話をしようと、彼女に腹の子の父親について尋ねたが、彼女は頑なに私の子だと主張し続けただけだった。
「……………………分かった」
返事をしながら、事実が彼女の主張する通りならば、どれほど良かっただろうと考える。
彼女の腹にいるのが私の子で、その子を彼女が無事に産んでくれ、慈しんでくれるならば、私はどれほど幸せだろうかと。
しかし、そのような夢物語が現実になるはずもない。
―――いや、違う。
私の決断一つで、この夢物語を現実にできるのだ。
私は自分自身に問いかけた。
『ルピアを手放せるのか』と。
答えはすぐに出た。
彼女は私に、愛と安らぎをもたらしてくれた。
……そう、理屈は分からないが、彼女といると心の底から安心できるのだ。
彼女の瞳には、私が理解できない深い慈しみが込められているように思われる。
おかしな話だが、彼女は私の何もかもを分かっていて、いつだって私の味方でいてくれるような気持ちになれるのだ。
そして、彼女が基本的に正直で、心根が優しいことは分かっている。
―――今回の過ちは、私の不在による寂しさが原因だ。
彼女が相手の名前を告白しないのは、私に対して不誠実なのではなく、告白することで相手が罰せられることを恐れているのだろう。
つまり、彼女の優しさを証明しているだけだ。
―――ああ、私に彼女を手放せるはずがない。
私が正しく導きさえすれば、彼女は正しい道を歩み続けてくれるに違いないのだから。
そうであれば、彼女の子どもの父親に、彼女の子どもをくれてやることはできない。
彼女は私の妻だ。
その彼女が身籠ったのだから、彼女の子どもの父親は私だ。
誰一人、私の権利を否定できるはずもないのだから。
そして、彼女自身が腹の子の父親は私だと公言したのだから、問題はない。
しかし、私の決意をギルベルトに伝えると、彼は一瞬にして顔色を失い絶句した。
それから、全く脈略がないことに、大袈裟な身振り手振りを交えて、側妃が必要だと言い始めた。
「何を馬鹿げたことを! 側妃など必要ない」
「もちろん必要です!! この国に必要なのは、フェリクス王の血を引いた継嗣です!! ああ、陛下はどうなってしまわれたのですか!? いつだって合理的に物事を考え、愚かしい判断を下されたことなど、一度もなかったというのに!!」
私の決断を変えさせようと、様々な提案をしてくる宰相に、私ははっきりと宣言した。
「ギルベルト、もはや何を言っても無駄だ。私は決断したのだ。今回に限っては、全てに満足する選択肢など存在しない。ルピアが私以外の男性の子どもを身籠ったと知った時は、怒りのあまり目の前が真っ赤になったが、彼女だけはどうしても失えない。戦争が理由とは言え、彼女から離れていた私も悪かったのだ」
「な、何ということをおっしゃるのです! 王は命を懸けて、戦場に出ていたのですよ!? 国と民を守るために!! その間にルピア妃は……」
「口を慎め! この先も、彼女は私の妃だ! 悪口は聞きたくないし、この決断は私のためのものだ。どうあっても私はルピアを手放せない。子どもには半分ルピアの血が流れているのだから、子どもも含めて私のものだ。……私の血が入っていないことがどうしても気に入らなければ、私には子が成せないため、養子を取ったと考えろ」
「王……」
ギルベルトは泣きそうな表情をしていた。
彼は私が幼かった時からずっと側にいて、いつだって私のために行動してくれた。
彼の忠心は痛いほど分かっていたが、それでも、彼の懇願に私が揺さぶられることも、考えを変えることもなかった。
悩んだ末に出した結論だ。
私にはもはや、子どもごとルピアを受け入れる以外の結論があるとは思えなかったのだ。
読んでいただきありがとうございました!
(どうしても本作が書きたくて、手持ち時間をほぼ全振りしてきましたが、いよいよ時間切れになりそうです。申し訳ないです。多くの方に楽しんでもらっているようで私も嬉しいので、もう少し、できるだけ頑張りますのでよろしくお願いします)






