36 真実 1
―――ああ、私は死ぬのだなと、その瞬間に理解した。
呼吸をすることができない。
苦しみとともに命の火が消えていくことを感じながらも、最期の瞬間の心残りはルピアのことだけだった。
―――私がいなくなったら、彼女はきっと泣くだろう。
―――このまま死んでしまい、会えなくなるのならば、意地を張らずに彼女を受け入れるのだった。
分かっている。
分かっていた。
もはや、どうにもならないほど彼女に囚われていると。
ただ、そんな風に私を虜にしておきながら、私自身を変容させておきながら、素知らぬ顔で他の男性の子どもを身籠った彼女がどうしても許せなかったのだ。
だが、それは傲慢な行為だった。
全てをなくすと分かっていたのならば、すがりついて愛を乞い、ただただ希っただろうから。
私はどこかで彼女は私のものだと思っていて、だからこそ傲慢にも『許せない』と考えたのだろう。
その傲慢さの報いを受け、私は彼女を誤解させたまま死んでいこうとしている。
彼女を悲しませることだけはしたくないのに、深い傷を与えたまま、彼女を一人遺そうとしている。
ああ、最後に、彼女を愛していたことをどうにかして伝えたい。
彼女には何一つ瑕疵がなく、私を含めた誰もが、正しく彼女を愛していたと知ってほしい。
そう心の中で希った瞬間―――どういうわけか突然、息苦しさから解放された。
真っ暗な闇の中に閉ざされていた意識に光が差し込み、周囲の音が聞こえ始める。
あり得ない事態に驚いて目を見開くと、―――最初に目に映ったのは、国花と同じ美しい紫だった。
それが彼女の瞳だと気付いた瞬間、彼女は幸せそうに、まるで愛しい者を見つめているかのように、私に向かって微笑んだ。
「ルピ……」
しかし、私が名前を呼ぶよりも早くその目は閉じられ、美しい瞳が見えなくなった。
「……ルピア?」
私の腕の中に倒れ込んだ、世界で最も愛しい者の名前を呼ぶ。
しかし、彼女が返事をすることはなかった。
その瞳が開かれることも。
―――その後、何年も、何年も、彼女は眠り続け、目を覚ますことはなかった。
私がどれほど後悔しても、泣き崩れても、希っても、愛を乞うても、彼女は微動だにしなかった。
永遠にも思える長い長い時間、私はただ、その美しい紫に焦がれ続けることしかできなかったのだ―――……。
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「お…………、王!?」
倒れ込んだルピアを腕に抱えたまま、状況を確認しようと顔を上げると、吃驚した様子のギルベルト宰相と目が合った。
彼はこれでもかと目を見開き、見たこともないほど口を開いている。
状況が異なればおかしく感じただろう彼の表情も、緊迫した状況下では、常にないことが発生していることを実感させ、焦燥感を強くするだけだった。
次の瞬間、ギルベルトはどっと涙を流すと、感極まった声を上げた。
「ああ、フェリクス王! ルピア妃が王の毒を吸い出してくださったのです!!」
宰相の言葉を聞いた途端、これまでの記憶が一気に蘇る。
……ああ、そうだ。
私は式典の最中に、毒々しい色をした蜘蛛に腕を噛まれたのだ。
すぐに馬車に乗り込み、手当てを受けるために王宮を目指したが、無駄な行為であることは自分でも理解していた。
あの毒蜘蛛に噛まれて生き延びた者は、これまで誰もいなかったのだから。
だが、最期ならば、ルピアに会って、話をしなければならないと思った。
私がいなくなった時に、彼女が自分を責めることがないよう、彼女の誤解を正さなければと。
そのため、王宮を目指すのは正しい行動だと考えたのもつかの間、馬車の中で意識を失い……。
次に気付いた時には、国花と同じ色をした彼女の瞳に見惚れていた。
美しいな、と心から思った。
そんな私に対し、彼女は誰よりも美しい笑みを浮かべてくれたのだ……。
―――と、そこまで回想したところで、腕の中の重みがずしりと増したように感じた。
はっとして視線を落とすと、意識を失った状態のルピアがいた。
「私の毒を吸い出したとは、まさかルピアは蜘蛛の毒を飲んだのか!?」
私の言葉を聞いたギルベルトは、その時初めてルピアの状況に気付いたようで、動揺した様子を見せた。
それから、私の腕の中の彼女を見下ろすと、一瞬にして顔を青ざめさせた。
―――一見しただけで、ルピアの状態の悪さは見て取れた。
先ほどまでの私がそうであったように、ルピアの全身はどす黒く変色していたのだから。
「まさか吸い出した毒を全て、彼女が含んだわけではあるまい……」
確認する私の声に混じって、ミレナの掠れた声が耳に入った。
「……何ということ、ルピア様、身代わり…………」
―――その瞬間、私は全てを理解した。
そして、思い出す。
ルピアが私に話してくれた秘密を。
『私は……失われた魔女の末裔なのです』
『私は大きな魔法が1つ使えるのです。夫となった相手の身代わりになれるという魔法が』
『陛下が怪我や病気をした時、それを私の身に引き受け、治癒することができます。私が身代わりになった時点で、陛下の体は健康体に戻りますし、たとえ陛下の怪我や病気が命にかかわるようなものであっても、引き受けた私が死ぬことはありません。時間はかかりますが、私の体はそれを完全に治癒できるのです』
婚姻した夜に、他ならぬ彼女自身が教えてくれた言葉の数々が蘇ってくる。
「……ああ」
私は腕の中の彼女を見下ろした。
「私の身代わりに、なったのか……?」
発した声はかすれ過ぎていて、自分でも聞き取れないほどだったが、ギルベルトが息を呑んだ音が聞こえた。
……ギルベルトにも、冗談めかして彼女の秘密を話したのだったか……。
私は彼女を抱く腕に力を込めると、ゆっくりと立ち上がった。
その様子を見た臣下たちが、驚愕の声を上げる。
「へ、陛下! お体にはまだ、蜘蛛の毒が残っております! 立ち上がってはなりません!!」
「陛下がご乱心だ! 毒が全身に回っているのに、王妃陛下を抱えていらっしゃる!!」
「騒ぐな! 毒は抜けた!」
普段通りの声で制すると、皆はびくりと体を強張らせ、口をつぐんだ。
臣下たちが驚愕の表情で私を見つめる中、ルピアを抱えて通り抜けていく。
驚くほどに、私の体は普段通りだった。
痛さも辛さもなく、痺れも動作不良もなく、彼女を抱え上げることに何の苦労もない。
―――ルピアが全て、その身に引き受けてくれたから。
抱え上げた彼女の全身は燃えるように熱く、汗をかきながらも震えていて、ぜいぜいとおかしな呼吸音がする。
そして、意識がないのに、顔は苦しそうに歪められていた。
ルピアはきっと、苦し気な表情を他の者に見られたくないだろうと考え、侍医とミレナにのみ付いてくるよう指示を出すと、大勢の者でごった返す部屋を足早に後にした。
身代わりになったルピアの能力について、はっきりと理解できているわけではなかったが、それでも―――私が彼女に救われたことだけは理解していた。






