3 スターリング王国王妃 1
「まあ、15歳までは相手を決めないしきたり、ですって?」
宰相からの報告を聞いた母は、驚いたように眉を上げた。
私とフェリクス王子を婚約させようと、正式にスターリング王国に打診したところ、「スターリング王国王族は15歳の誕生日以降に婚約者を定めるしきたりがある」と返事がきたためだ。
かつてスターリング王国では酷い病が流行し、多くの王族が亡くなったという。
その際、亡くなった第一王子の婚約者である公爵令嬢を、生き残った第二王子の婚約者に宛てがおうとしたけれど、既に第二王子には伯爵令嬢の婚約者がいたため、実行できなかったらしい。
王家としては次期国王に繰り上がった第二王子に、少しでも後ろ盾の強い相手を迎え入れたかったけれど、瑕疵のない伯爵令嬢との婚約を解消するのは難しかったのだ。
そして、似たような事案が何度か繰り返された後、スターリング王国王家では、成人となる15歳の誕生日に婚約者の選定会を行うことがしきたりになった。
「それで、15歳までは婚約者候補すら公式に選定しないというの?」
母は不満気な様子で、手に持っていた扇をぱしりと閉じた。
父と兄は母の様子が恐ろしかったのか、一言も答えずに下を向いている。
バドは私の膝の上で、不満そうに頬を膨らませた。
そんなバドを肩に乗せると、私は母のもとに足早に近付き、ぎゅっと抱きついた。
「お母様、誰もが同じルールに従うのでしたら私もそうします!」
母は優しくて家族思いだけれど、時々家族への愛情が深すぎて、無理を通そうとするところがある。
そのため、母の好きにさせておけば、私の望みを叶えようと、スターリング王国のルールを捻じ曲げてでも、私をすぐにフェリクス王子の婚約者に据えかねないと思ったからだ。
そして、大陸一の強国である我が国には、実際に無理を押し通す力があるのだ。
母は何か言いたそうな表情で私を見たけれど、私の懇願するような表情を目にした途端、仕方ないわねとばかりに微笑んだ。
「……分かったわ、私の可愛い小さな魔女ちゃん。あなたは諍いごとが嫌いだものね。我が王国の力をもってすれば、ちょちょいっと婚約者予約ができそうな気もするけれど止めておくわ。だって、可愛らしいあなたを見たら、どんなタイミングであってもあなたが選ばれるに決まっているものね」
父と兄が小さな声で、「ルピアを選ばなかったら、スターリング王国はただじゃおかないと暗に言っているぞ」「勿論ルピアはやれないけど、戦争が起こるのもちょっと」と、ぶつぶつつぶやいている。
母の言葉を聞いたバドは、満足そうに喉を鳴らした。
―――それから8年。
母は約束通り、フェリクス王子が15歳になるまでは何もしなかった。
けれど、彼が15歳になったその日の朝、我が国からの遣いがスターリング王国王宮の門をくぐった。
そして、同日の午後には、スターリング王国からフェリクス王太子と私との婚約を打診する正式な使者が、我が国へ向かって出立した。
―――母は恐るべき政治的な手腕を発揮して、電光石火の早業で私を婚約者に仕立て上げたのだ。
お母様すごい、やり手過ぎて怖い。
そう思いながらも、私は嬉しくてたまらなかった。
ああ、私はフェリクス様の婚約者になれたのだわ!
『身代わりの魔女』が正しくお相手に嫁げるわ! と、心の中で歓声を上げる。
そして、両手でバドを抱き上げると、ダンスを踊るかのようにくるくるとその場で回り始めた。
「ルピア、君が興奮していることは分かったから、そろそろ手を放してもらえないかな。僕はただの尊貴なる聖獣でしかないから、目が回るんだ」
バドが顔をしかめて苦情を言ってくる。
私は満面の笑みで、彼に答えた。
「まあ、尊貴なる聖獣様なら、少しくらい目が回っても平気でしょう。ああ、バド! 今この瞬間、世界中で私ほど幸せな者はいないわ。世界に向けて歌い出したい気分よ」
私の表情を見たバドは、呆れたように、でも、祝福するように微笑んだ。
「それは大変だ。君の音感は独特で、世界に向けて歌い出したら大変なことになるから、僕が犠牲になろう。……おめでとう、ルピア」
「ありがとう!」
そうして、バドと笑いながら何曲も何曲も踊った後、疲れ果てた私はバドとともに寝台に倒れ込んだ。
体はくたくたなのに、幸せで笑いが込み上げてくる。
その日、私は一日中笑っていた。
間違いなく、世界で一番幸せだった。
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それから1年後、私は無事にスターリング王国へ輿入れした。
婚約した時には王太子だったフェリクス様は、婚姻とともに王位を継ぐことになったため、私は王妃として嫁ぐことになった。
「絶対に結婚式に参加する!」と言い張った父と母を必死に諫め、―――なぜならディアブロ王国という大国の国王夫妻が、いくら娘のためとはいえ他国の式に参加するなど常識的にあり得なかったため―――「では、代わりに!」と言い張った兄とともにフェリクス王に対面する。
それは、結婚式の花嫁引き渡しの場面で、10年振りに目にしたフェリクス王は、夢で逢う姿と全く同じだった。
見上げる程のすらりとした長身に、均整の取れた体つき。
襟まで流れる艶やかな藍色の髪には、青色と紫色のメッシュが一筋ずつ交じっている。
そして、その下から宝石のように輝く藍青色の双眸が、得も言われぬほど整った貌の中心で穏やかに私を見つめていた。
私より1つ年下のわずか16歳であるのに、既に王としての落ち着きが彼にはあった。
フェリクス王は私の兄に礼儀正しく目礼をすると、流れるような仕草で私に手を差し伸べた。
その洗練された仕草に、式に参加している女性陣からため息が漏れる。
そして、彼は自分の言葉で好意的に私を表現してくれた。
―――私の白い髪と紫の瞳が、彼の国を表すようだと。
その言葉を聞いて、隣にいた兄が諦めたように微笑んだ―――恐らく、兄はフェリクス王を気に入り、受け入れてくれたのだろう。
列席している諸外国の要人やスターリング王国の貴族たちも、祝福の笑みを浮かべる。
―――こうして、私は全ての人に祝福されながら、スターリング王国の王妃となったのだった。