34 誤解 7
その日、庭園を散歩していると、少し離れたところにビアージョ騎士団総長が立っていることに気が付いた。
2年ぶりの再会を嬉しく思って足を止めると、総長はゆっくりと近付いてきて深く頭を下げた。
「お久しぶりでございます、ルピア様。我が国にお戻りいただきましたというのに、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」
ビアージョ騎士団総長はフェリクス様と一緒に戦場に出て、彼の帰国後も現場で陣頭指揮を執っていたと聞いている。
総長が帰国した話はまだ耳にしていなかったので、恐らく戦場から戻ってきた足で、すぐに私のもとに来てくれたのだろう。
私は彼への敬意と謝意を示すため、小さく頭を下げた。
「ビアージョ騎士団総長、長きにわたる戦場でのお勤め感謝いたします。総長のおかげで、多くの兵と民が守られたと伺っているわ。最後までありがとう」
私の言葉を聞いた総長は、恐縮した様子で首を横に振った。
「いいえ、ルピア様。最もお守りすべき陛下を、私は危険な目に遭わせてしまいました。役割を果たしたとは言い難く、自分を恥じ入るばかりでございます」
「総長……」
フェリクス様が敵兵の刃を受けたのは、思いもかけない場所から現れた敵兵の奇襲を受けたからだと聞いている。
しかも、フェリクス様の要望により、彼が一人離れたところで機密文書に目を通していた際に起こった出来事だったのだ。
だから、仕方がなかったことだ……とは、総長は考えないのだろう。
それどころか、フェリクス様が怪我をしたまま崖から落ちたことで、心臓が凍り付いたような思いを味わい、深い自責の念を抱いたに違いない。
ビアージョ総長のフェリクス様への忠誠心をありがたく思っていると、彼は言葉を続けた。
「ですが、そんな私に代わって、『虹の女神』が陛下をお助けしてくださいました。女神には感謝しかありません」
その瞬間、私はびくりと肩を揺らした。
そして、総長が何のために私のもとを訪れたのかに気が付いた。
……この国の民は、誰もが『虹の女神』を信奉している。
そんなスターリング王国において、王が女神に救われたと、バルテレミー子爵が公言したのだから、ビアージョ騎士団総長を含めた全員が、そのことを信じているのだ。
そして、そんな彼らにとって『女神の愛し子』は何よりも敬われるべき存在だ。
愛し子は『虹の女神』からの寵愛が深く、多くの祝福を与えられるため、『女神の愛し子』が側にいることで、女神からの祝福の恩恵にあずかれると信じられているのだから。
総長は生真面目な表情で私を見つめた。
「ここ数日、『虹の乙女』が王宮に滞在されていると伺っています。だからこそ、王や王妃を含めた皆様方が、平和に過ごすことができているのだと。このまま、『虹の乙女』に王宮に滞在していただき、誰もが安全に暮らされる日々が続くことを、愚臣としてお望みいたします」
―――ビアージョ騎士団総長は、幼いフェリクス様の護衛騎士だった。
ずっと昔からフェリクス様を守り続けてきて、彼のためなら何だってする忠臣なのだ。
だからこそ、彼は『虹の乙女』をフェリクス様の側に置きたいのだろう。
なぜなら、総長は私に失望したから。
どこまでも優しい総長は、決してそのことを表情には出さないけれど、―――武官トップの地位にあるのだから、私が身ごもっていることは既に知っているのだろう。
そして、多くの者と同じように、フェリクス様の子どもではないと考えているのだろう。
彼が私の妊娠について一言も触れないのは、そういうことだ。
だからこそ、総長は『虹の乙女』をフェリクス様の側妃として薦めに来たのだ―――女神を称賛することで、言外に『虹の乙女』の貴重性を私に示し、彼の側にいることを推奨する形で。
……私は突然、全身にどっと疲れを感じた。
ビアージョ騎士団総長も『虹の乙女』を望んでいると理解したことで、胸に重い石が詰まったような心地になる。
なぜなら誤解に基づいた意見だと分かっていても、私は妃として不十分で、アナイスの方を望んでいると、はっきり言われた気持ちになったからだ。
雰囲気が似ていることから、総長をこの国における父のような存在だと勝手に考えていたので、衝撃が大きかったのかもしれない。
「……総長の気持ちは理解したわ。でも、……私にはまだ、何がフェリクス様のためになるのか分からないの。それは、私がこの国の生まれではなく、『虹の女神』の重要性を理解できていないからかもしれないけれど。……もう少し、時間をちょうだい」
私が口にしたのは、その時の精一杯の答えだった。
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私室に戻り、ビアージョ騎士団総長から受けた衝撃を受け止めようと、震える手を組み合わせていると、ミレナが言いにくそうに口を開いた。
「ルピア様……バルテレミー子爵家のアナイス様から、ご挨拶に伺いたいとのお申し出がきております……」
「……お通しして」
私がどうすべきなのかは定まっていなかったけれど、このままでいいはずがないことは分かっていたため、そう返事をする。
ちょうどいい機会なので、アナイスの話を聞き、私の気持ちを伝えようと思ったのだ。
つまり、私は幼い頃からフェリクス様のことを想っていて、様々に努力をしてきたこと、そして、「虹の女神」の祝福はないけれど、私にできる方法で彼を手助けしていくつもりでいることを。
しばらくして入室してきたアナイスは、嬉しいことでもあったのか、抑えきれない笑顔を浮かべていた。
そして、勧めた席にも座らず、興奮した様子で話し始めた。
「ああ、王妃様、たった今、私が側妃としてフェリクス王のもとに上がることが、選定会議で認められましたの! そのため、今後とも仲良くしていただきますよう、ご挨拶に伺ったのです!!」
「え……」
そんなはずはない。
だって、フェリクス様から何も聞いていないのだから。
「王は王妃様に直接お伝えしたかったようですが、急ぎの用事があると宰相に呼び止められたので、私が代わりにお伝えにまいりましたの。私と王はこれからすぐに式典に出席しますので、取り急ぎ、事柄だけでもお伝えしようと思いまして」
「……………」
何事かを発言しようと開いた口から声が出るよりも早く、アナイスが言葉を続ける。
「それで、王妃様はご存じないかもしれませんが、この国には正妃様が身に着けている宝石を、側妃となる者に下賜する習慣がございますの。ですから、その慣習に則って、何か一ついただきにまいりました」
アナイスはレースの手袋をはめた両手を差し出してきた。
突然の話に、全く頭が働かない。
困った私が、救いを求めるようにミレナを見ると、彼女は強張った表情のまま唇を引き結んでいた。
彼女が何事も発言しないということは、アナイスが口にした慣習は間違っていないのだろう。
けれど、こんなにも突然、側妃の話が決まることがあるだろうか。
彼女の発言内容を信じられないと考える一方で、すぐに真偽が分かる偽りを、アナイスが口にするはずないとも思う。
そこまで考えた時、先日の宰相の話が、事前予告であったのかもしれないと思い至った。
「……フェリクス様と、話をしたいので…………」
「あら、国王陛下は既に式典会場へ向けて王宮を出発されたはずですわ。これから陛下と合流しますので、よければ私から王にお伝えしましょうか?」
高揚した表情で尋ねてくるアナイスに、私は無言のまま首を横に振った。
それから、真っ青な顔色のままアナイスを見つめると、かすれた声を出した。
「……でしたら、あなたには何も差し上げられないわ。フェリクス様の口から、話を聞かないことには……」
私の言葉を聞いたアナイスは、途端に激高した様子を見せた。
「まあ、常識知らずもいいところですわよ! ギルベルト宰相から事前に話を聞いているでしょうに、まだ現実を認めることができませんの!? 大国の王女でもあった方が、宝石一つを出し渋るなんて、しみったれだと思われますわ」
アナイスはその後も何事かを声高に口にしていたけれど、ミレナがきっぱりとした態度で扉の外に押し出してくれた。
彼女がいなくなった途端、部屋の中にしんとした沈黙が落ちる。
私は自分が真っ青な顔色をしていることも、気分が悪いことも自覚していたけれど、ミレナに囁くような声で告げた。
「ミレナ、フェリクス様と話をしたいの……」






