32 誤解 5
ギルベルト宰相は話を続けた。
「ご側妃といえども、選定会議にかけなければいけませんし、実際にご身分を与えるまでにはそれなりの時間が掛かります。ですが、事前に王との相性を確認したいので、正式な決定を待つことなく、速やかに王宮に部屋をご用意する予定です。王家出身のルピア妃と異なり、アナイス嬢は子爵令嬢でしかありませんから、至らぬ点もありましょう。よろしくご指導ください」
宰相は必要なことだけ説明すると、話は終わったとばかりに退席しそうな雰囲気を見せた。
そのため、慌てて口を開く。
「ギルベルト宰相、待ってください。でも、私のお腹にいるのは、フェリクス様のお子だわ。継嗣の誕生が理由であるのならば、側妃は必要ありません」
宰相は表情を消すと、感情を読ませない声を出した。
「……私は王妃陛下に対して、何事も否定する権限を持ち合わせておりませんので、お腹のお子様の件については、返答を控えさせていただきます。また、ご側妃が必要かどうかという件ですが、こちらについては、『アナイス嬢をお迎えすることは必要である』とお答えさせていただきます」
「……必要、なのですか?」
発した声はとても小さいものだったけれど、宰相には聞き取れたようで、肯定の返事をされる。
「はい、その通りです。ルピア妃はご存じないことと思いますが、元々、フェリクス王の妃候補は、アナイス嬢に内定していたのです」
「……え」
再び聞いたこともない話が飛び出してきたため、私は目を見開いた。
以前、ギルベルト宰相がフェリクス様の婚姻相手にアナイスを考えていたのではないかと想像したことはあったけれど、国の総意として内定していたとは考えもしなかったからだ。
ギルベルト宰相ははっきりと頷くと、話を続けた。
「我が国の生まれでないルピア妃にはご理解し難いことでしょうが、スターリング王国の者は皆、『虹の女神』を信仰しています。そんな中、フェリクス王は王族でありながら一色の髪色でお生まれになったため、能力も魅力も何一つ今と変わらないにもかかわらず、差別され、辛い幼少期を過ごされました」
……そのことは、知っている。
幼いフェリクス様が両親に愛されずに、こっそりと泣く姿を、夢で見てきたのだから。
「フェリクス様自身が『虹の王太子』と呼ばれており、今では『虹の王』と呼ばれるほど、虹の女神に愛されたご存在ではありますが、その隣に3色の虹色髪を持つアナイス嬢が立てば、民からの人気は不動のものになります。そのため、フェリクス王の妃にはアナイス嬢をというのが、我が国の貴族の総意でした。しかし、……ご存じの通り、ディアブロ王国があなた様を強く推してこられましたので、それを覆す力は我が国にありませんでした」
宰相の言葉を聞いて、愕然とする。
……何ということかしら。
私がスターリング王国に割り込んだのだわ。
「ですが、今回、ディアブロ王国の合意のもとに作成された契約書に従って、アナイス嬢を妃としてお迎えできることになりました。3年近く遅れましたが、やっと歪みが正されるのです。そのため、アナイス嬢との婚姻こそが我が国のためになることで、必要なことだと、スターリング王国の宰相として断言いたします」
そう言い切った宰相は、自分の言葉の正当性を信じているように見えた。
私は青ざめた顔色のまま、これだけは聞いておかなければと、震える声を出す。
「…………フェリクス様は、どうお考えなの?」
私の質問を聞いた宰相は顔を歪めた。
「陛下は少々潔癖なところがありまして、……現時点では、ご納得されているとは言い難い状況です。しかし、冷静になられれば、この国の王として、『虹の乙女』であるアナイス嬢とのご婚姻は、避けて通れないものであることを理解されるでしょう。もちろん、聡明なるルピア妃におかれましても、同様であることを期待しております」
宰相はしばらくの間、何かを待つ様子を見せたけれど、私がそれ以上発言しなかったため、一礼をして退出していった。
ミレナは宰相の後ろ姿に文句を言った後、私の前に跪いて、冷たくなった手をさすってくれた。
「大丈夫ですよ! 聡明なる国王陛下が、兄の馬鹿げた提案を受け入れるはずもありません! そして、我が国における重要事案の決定権は、陛下一人にありますから! 兄ごときが何事かを画策したとしても、実現できるはずもありません!!」
「ええ……」
そうつぶやきながらも、私は突然知らされた多くの情報で混乱していた。
結婚契約書に側妃の条項が入っているということは、母国の父が了承したということだ。
父は深く母を愛していて、側妃など考えたこともないだろうから、恐らく私の結婚契約書に側妃の条項を盛り込んだとしても、実行されることはないと考えたのだろう。
ああ、違う。
考えるべきことはこのことではなく、元々内定したアナイスを押しのけて、私がフェリクス様と結婚したことだ。
アナイスは『虹の乙女』と敬われ、幼い頃からフェリクス様と様々な行事で顔を合わせていたとの話だった。
先日の晩餐会の席でも、仲が良さそうに見えたことだし……邪魔をしたのは私の方なのだろうか。
ぐるぐると思考が空回りし、しっかりした考えが浮かんでこない。
結局、その日は1日中、私はどうすべきかを考え続けたけれど、きちんとした結論が出ることはなかった。
そして、翌朝。
未だ考えがまとまらないまま朝食室の扉をくぐった私は、目にした光景を前に棒立ちになった。
なぜならフェリクス様の隣にアナイスが座り、楽しそうに彼に話しかけていたからだ。






