29 誤解 2
私が身ごもったのならば、フェリクス様以外の子どもであるはずがない。
そんな当たり前のことを、私はなぜ説明しているのだろう。
そう現状に戸惑いを覚えたけれど、目の前にいるフェリクス様は怖いほど真剣な表情をしていた。
そして、見たこともないほど怒っている。
目の前にいるだけでも、その怒りは感じ取れるほどで、そのことに気付いた私は、恐怖のあまり言葉が途切れた。
突然、心臓がどきどきと激しく拍動し始める。
それほどの迫力にあてられてやっと、フェリクス様は本気でお腹の子どもの父親を尋ねているのだと理解した。
私が身ごもっている子どもが自分の子どもではないかもしれないと、疑っているのだと。
でも、……どうして?
彼がそんな風に考えた理由が、欠片ほども分からない。
困ったように見上げた先で、彼は辛抱強く私の返事を待っていた。
どうやら先ほどの私の返事は、声が小さすぎたか、途中で途切れたため、彼は返事だと受け取らなかったようだ。
もう一度、あなたの子どもよと、答えるために口を開きかけたところで、彼の両手が強く握りしめられていることに気が付いた。
見上げると、奥歯もぐっと噛みしめられており、必死で怒りを抑えている様子が見て取れる。
そんな彼を見て、―――私は何かを間違えたのだと悟った。
―――フェリクス様は優しい。
そして、理由なく相手を疑ったり、悪く思ったりしない。
それなのに、彼は今、私のお腹の中にいる子どもは自分の子ではないかもしれないと疑っている。
多分、私が何かをして、あるいは何かをしなかったがために、フェリクス様は疑っているのだ。
そのことを申し訳なく思い、つい謝罪の言葉が口を衝く。
「フェリクス様、ごめんなさい」
「……何に対する、謝罪だ?」
フェリクス様の声は普段より低く、ざらざらとしていて、聞き取ることが難しかった。
本気で怒っていることが分かる声だったため、恐怖で背筋が震える。
けれど、ここで説明をしなければ、状況がもっと悪くなることは火を見るよりも明らかだったため、恐怖を押さえつけて震える声を絞り出した。
「あなたを怒らせていることに対してよ。多分、私の説明が悪くて、誤解をさせてしまったのだわ。フェリクス様……」
言いかけた言葉は、彼の言葉に遮られる。
「相手は誰だ? 君は、その男を愛したのか?」
「え……、も、もちろん相手はあなただわ。ねえ、聞いて。あなたは戦場で怪我をしたでしょう? その傷を私が治癒したの。そして、その代償として、2年間眠っていたのよ。その話は聞いていないかしら?」
どこから誤解が生じているのかが不明のため、既に彼が知っているはずの基本的な情報を口にしたけれど、乱暴な口調で返事をされる。
「ああ、戦時中、君が母国にて暮らすよう頼んだのは私自身だ! 当然君がこの2年間、ディアブロ王国にいたことは知っている。だが、まさか私以外の男と恋愛遊戯を楽しんでいたとは思いもしなかった!!」
彼の口から飛び出したのが、とんでもない内容だったため、驚いて否定する。
「違うわ! フェリクス様、あなたは戦場で傷を負ったでしょう? そして、その怪我は跡形もなく治ったはずよ。それは私が……」
「ああ、非常に有名な話だから、もちろん遠く離れたディアブロ王国にも噂は届いていたはずだ。私は戦場で敵兵の刃を受けたにもかかわらず、その傷が跡形もなく消え去ったことは。だが、私を救ってくれたのは『虹の女神』だ」
「…………え?」
フェリクス様の口から紡がれた言葉に驚いて、目を見開く。
確かにミレナも同じようなことを言っていたけれど、あくまで対外的な説明向けという話だったはずだ。
「虹の……女神?」
「ああ、私は確かに左胸に刃を受けた。そのことは多くの者が目撃しているし、私自身が焼けつくような痛みを体験したことからも明らかだ。だが、新たなる刃から逃れるために崖から飛び降り、再び発見された時には、既に傷は跡形もなく消えていた」
「だから、それは」
もどかしい気持ちで口を差し挟もうとしたけれど、フェリクス様から鋭い口調で遮られる。
「川から這い上がった私を発見したのは、テオ・バルテレミーだ!」
テオは『虹の乙女』であるアナイスの兄で、フェリクス様の親友である男性だ。
私が気絶してバドの城に連れ去られた後に、テオが一人残されたフェリクス様を見つけてくれたのだろう。
そう考えていると、フェリクス様は思ってもみないことを言い出した。
「テオは『虹の女神』が私の傷を治している場面を、目にしている」
「…………え?」
そんなはずはない。だって、彼の傷は全て、私がこの身に引き受けたのだから。
「私の傷を全て治癒した後、女神はテオにお言葉を賜られた。『私の愛し子は、ここで死ぬべきではありません。そのために彼を救いました』と。テオの言葉を聞いて、戦場の誰もが奮い立った。我々の後ろには『虹の女神』が付いていてくださるのだと、誰もが理解したからな。そのおかげで、わずか2年で我々は戦に勝利したのだ」
その確信に満ちた表情を見て、私はぎゅっと両手を握りしめた。
どうやら状況は、想定の何倍も悪いようだ。
2年も前から、フェリクス様は傷を治癒したのは『虹の女神』だと信じているのだから。
初めは半信半疑だったとしても―――『虹の女神に傷を治癒された』という事実は、この2年の間に何度も何度も反芻され、刷り込まれたことで、彼の中で真実になってしまっているだろう。
そして、テオはフェリクス様の親友だ。親友の言葉を疑う理由は、フェリクス様にないのだ。
彼にとっては「魔女」よりも、「虹の女神」と「親友」の方が信じやすい存在だろう。
彼の間違った思い込みを覆すことは、思ったよりも難しいかもしれない。
けれど、お腹の子どもはフェリクス様の子どもなのだ。
「フェ、フェリクス様、だけど、結婚式の夜に説明したように、私は『身代わりの魔女』なの。だから、あなたの傷を治したのは私だし、その代償で2年間眠っていたの。その間、私の時間は止まっていたから、この子は2年前に身ごもった子どもなのよ」
必死で言い募る私を、彼は冷たい目で見つめた。
「なるほど、この場面で『私は魔女だから』が出るのか! いいか、この世界に魔女などいない。都合よく2年間も眠り続けたり、その間、時間が止まったりなどしないのだ!!」
「………………………………え?」
その時の私は、ただ驚いて目を見開くことしかできなかった。
「え、あの、フェリクス様、魔女がいないと言うのは」
「これまで君の作り話に付き合ってきたのは、私に直接的な被害がなかったからだ! だが、今回は無理だ。ことは王国の継嗣の話だからな」
そう言い切ったフェリクス様が、見知らぬ男性に見えた。
……どういうこと?
私が魔女であることを、彼は信じてくれているはずよね?
「……フェリクス様?」
こんな状況だというのに、その時の私は本当に彼の言葉が理解できなかった。
そのため、困惑したような表情を浮かべて彼を見上げた。
そんな私に対し、フェリクス様の鋭い言葉が投げ付けられる。
「君は魔女ではない! 君は母国で私以外の男性と恋愛遊戯を楽しみ、腹の子を孕んだのだ」
「……………………」
そう言い切った彼の言葉の激しさに、何も言い返すことができなかった。
けれど、たとえ何かを発言できていたとしても、その時の彼の耳には届かなかっただろう。
フェリクス様の強張った表情を見て、私は理解する。
……私は間違えたのだ。結婚式の夜に。
見たこともない「魔女」の存在を、そう簡単に受け入れられるはずがないと、私はもっと真剣に考えて、フェリクス様に丁寧に説明すべきだったのだ。
生まれた時から私という魔女を見続けてきた母国の者と彼とでは、全く状況が異なるのだから。
涙の溜まった目で彼を見上げる私を苦し気に見下ろすと、フェリクス様は足音高く部屋から出て行った。
読んでいただきありがとうございました。
(苦しい内容ですみません。ハピエンものです)






