27 王妃の帰還 2
新しいドレスに着替え終わった後、私はソファに腰掛けると、ミレナが淹れてくれた紅茶を手に取った。
何日も馬車に乗り続けていたため、体は疲弊していたけれど、もうすぐフェリクス様と再会できると考えるだけで、体に力が湧いてくるように思われる。
私はゆっくりと紅茶を飲みながら、ミレナと直近2年間の情報を交換し合った。
彼女の話によると、隣国との戦争は、完全なる我が国の勝利という形で決着がついたらしい。
そして、その結果を導くために、フェリクス様の怪我が一役買ったとのことだった。
というのも、彼が敵兵に刺されて川に落ちたところを、自国の多くの兵士が目撃していたらしい。
そのため、誰もが王の死を覚悟し、絶望を感じていたのだけれど、翌日になって、怪我一つない姿で王が現れたのだ。
兵たちの歓声は、戦場中に響き渡ったという。
―――誰もが、「虹の女神」の加護だと口にした。
―――フェリクス様は「女神の愛し子」であり、彼が大義を果たすまで、女神が助力してくれるに違いないと。
女神の後ろ盾があると信じて行動した兵たちの士気は高く、次々に敵兵を撃破していったという……。
「ルピア様のお力を喧伝できないことを逆手に取って、女神の加護として兵士の士気を上げた戦略は素晴らしいと思います。ですが、国王陛下の命を救われたのはルピア様ですし、今回の真の功労者はルピア様ですわ!!」
真剣な表情で言い切るミレナを見て、「畏れ多いことだわ」と私はつぶやいた。
それから、諭すように続ける。
「多くの兵たちが戦場に出て、命を懸けて戦っていたのだから、彼らの一人一人が功労者だわ」
私の言葉を聞いたミレナは、困ったように眉を下げた。
「……ルピア様は本当に……存在自体が、信じられないお方ですね」
その後もミレナと様々な話を交わしたけれど、日が落ちてもフェリクス様は戻ってこなかった。
そのため、ミレナを下がらせると、一人で彼を待つことにする。
夜もどんどん更けていき、毎日こんな時間まで仕事をしているのかと彼の体が心配になる。
……ああ、やっぱり戻ってきてよかったわ。
この大変さは、母国にいたのでは感じ取ることができないもの。
そう考えていたところ、規則的なノックの音に続いて、静かに扉が開かれた。
はっとしてソファから立ち上がると、予想通りフェリクス様が立っていた。
「……フェリクス様」
彼の姿を見た途端、―――最後に目にした血だらけの姿が思い出され、どくりと心臓が跳ねる。
けれど、震える手を握りしめながら視線を定めた先に立っていたフェリクス様は、出血もしていなければ、意識を失ってもいなかった。
彼が身に着けているのは軍服でなく、濃紺と白の布地に紫の宝石が幾つも付けられた、いかにも王様然とした豪華な衣装だった―――そう、もはや戦時でなく、平時に戻ったのだ。
そう自分に言い聞かせながら、改めて見つめた彼は、2年前と比べると、服の上からでも分かるほど日に焼けて体格がよくなっており、3色の神秘的な髪が肩に付くほど伸びていた。
表情に疲労と苦労の跡は見えるけれど、その陰りが以前はなかった艶っぽさを彼に加えている。
―――2年前はいかにも若々しい王だったけれど、今となっては、そのような感想を抱く者は誰もいないだろう。
なぜなら目の前に立っているのは、美しい藍青色の瞳に強い意志の光を宿らせた、威厳と尊厳に満ち溢れた堂々たる王だったのだから。
彼のあまりの変わりように驚き、咄嗟に声を出せずにいると、フェリクス様は訝し気に眉を寄せた。
「ルピア」
それから、低い声で一言だけ口にすると、大股で近付いてきて、私を間近から見下ろした。
至近距離で見上げるフェリクス様の身長が以前よりも伸びており、2年間の変化を突然目の当たりにした私は、彼の全てが変わってしまったように思われて、心もとない気持ちになる。
そんな私の目の前で、彼ははっと息をのむと、両手を伸ばして私の顔を挟み込んできた。
「何てことだ、こんなに痩せてしまって……」
それ以上言葉を続けられないとばかりに絶句したフェリクス様の表情が、苦し気に歪む。
そんな彼を目の当たりにして、私は目が覚めたような気持ちになった。
……ああ、そうだ。私の外見だって、以前とは変わってしまっているのだわ。
にもかかわらず、フェリクス様はその変化をすんなりと受け入れて、心配までしてくれる。
示された彼の言動が、以前通りの思いやりに満ちたものだったため、私は安心すると同時に体中の力が一気に抜けるのを感じた。
脱力した反動なのか、ぽろりと涙がこぼれる。
「ルピア!?」
驚いたように名前を呼ぶフェリクス様の手に、私の涙がぽろぽろと落ちていった。
私はこれ以上涙がこぼれないようにぎゅっと目を瞑ると、震える声を出した。
「取り乱してごめんなさい。フェリクス様の外見が大きく変わっていたから、私の知らないあなたになってしまったかと一瞬恐ろしくなったの。でも、フェリクス様はフェリクス様だったわ。そのことが、嬉しくて……」
よかった、と小さくつぶやくと、私の両頬を包み込んでいたフェリクス様の手に力が加わった。
それから、彼は慌てたように手の力をゆるめると、まるで子どものように私を抱き上げ、ソファに座った彼の膝の上に座らせた。
びっくりして目を見開くと、「目線を合わせて話をしたい」と続けられる。
すごく恥ずかしい体勢のように思われたけれど、フェリクス様が至って真面目な表情をしていたため、そのような場面ではないわと自分の感情を押さえつける。
それから、フェリクス様と私では身長差があるため、並んで座っても目線は合わないことに納得し、同意の印にうなずいた。
すると、彼は改めて私の全身を見回した後、明らかに細くなった私に眉を下げた。
「ルピア、長い間、寂し思いをさせてすまなかった。だが、戦争は終結したから、もう君がこの国を離れる必要はない。私だってそうだ。これからの私は、ずっと君の側にいて、きちんと食事をするところを見張っているからね」
そう言われて、彼が戦争から戻ってきたばかりで、肝心の挨拶をしていなかったことを思い出す。
「フェ、フェリクス様、お帰りなさいませ! ご無事のお戻りを、心から嬉しく思います。……す、すみません。私ったら、一番に言うべき言葉を忘れていたわ」
けれど、フェリクス様は苦情を言うことなく、優しい声を出した。
「ただいま、ルピア。約束通り、君のもとに帰ってきたよ」
そう言って微笑んだフェリクス様は、これまで目にした中で一番精悍で、一番優し気で、一番格好が良かった。
そのため、私は真っ赤になると、動揺してもう一度同じ言葉を繰り返す。
「は、はい。お、お、お帰りなさいませ」
すると、フェリクス様は幸せそうに微笑んだ。
「君のその表情を見ると、戻ってきたという気持ちになれるな。ルピア、君こそ変わらないでいてくれてありがとう」
それから、フェリクス様は別れた時と同じように、私の額に口付けた。
その瞬間、私は世界で一番幸せだと思った。
しばらくは幸せを噛みしめながら、そのままの体勢で彼の腕の中にいたけれど、彼が無事であることを実感できたことで、張り詰めていた気持ちが緩んだようだ。
同時に、これまでの疲れと緊張が一気に襲ってきて、私は急激な眠気に襲われた。
「フェリクス様……眠い、です……」
「え、ルピア?」
フェリクス様の驚く声を最後に、私の意識は心地よい眠りの中に呑まれていった。
―――けれど、その時の私は気付いていなかった。
私にとって『身代わり』は当然の役割で、改めて感謝されるものだと考えていなかったため、フェリクス様からお礼を言われなかったことを。
恐らく私はこの夜、彼の『身代わり』をしたのだと、大きな声で主張すべきだったのだ。
あるいは、全てが手遅れで、主張したとしても何も変わらなかったかもしれないけれど……。
いずれにせよ、その夜が、穏やかな気持ちで過ごすことができた、私の最後の夜だった。






