23 開戦
それはスターリング王国の歴史上、何度も繰り返された争いだった。
隣国ゴニア王国との国境沿いにある鉱山が貴重な資源を含有しているため、両国ともに理由を付けては有利な国境線を描きたがったからだ。
そして、今回はゴニア王国が動いた。
突然、この鉱山全てはゴニア王国の領土であると宣言すると、スターリング王国領土へ攻め込んできて、鉱山一帯を占拠したのだ。
その際、鉱山に常駐させていたスターリング王国兵士の血が多く流れた。
―――攻め込まれた直後は錯綜していた情報も、時が経つにつれて整理され、正確なものが王宮に報告されるようになる。
詳細な報告がもたらされるにつれ、王宮は「応戦」という意思一色に塗りつぶされていった。
誰もがゴニア王国の暴挙を許せないものだと感じ、不意打ちで討たれた我が国の兵士たちの報復を望む声が、日に日に大きくなっていったからだ。
それらの動向をはらはらした気持ちで見守っていたけれど、私にできることは何もなかった。
日が経つにつれてぴりぴりしてくるフェリクス様を、ただ黙って見守ることしかできない。
最近では、フェリクス様が私室に戻ることもなくなったため、心配してミレナに尋ねたところ、執務室の隣にある部屋で仮眠を取っているとのことだった。
国王に所属する兵だけではなく、各諸侯たちも自前の兵士を揃えてぞくぞくと王都に集結し始める。
その数はどんどん膨れ上がり、磨き抜かれた剣を携えた兵士たちの姿を目にした私は、もうこの流れは止められないのだと思い知らされた。
高まる不安とともに落ち着かない日々を送っていると、ある日、先ぶれもなく突然、フェリクス様が私の私室を訪ねてきた。
久しぶりに目にした彼は、見て分かるほどに憔悴していたけれど、瞳だけは意志の強さを表すようにぎらぎらとした光を放っていた。
その決意した表情を目にし、言葉を発せないでいると、フェリクス様は端的に決定事項を口にした。
「ルピア、私が戦場に出る」
「……はい」
覚悟はしていた。
なぜならスターリング王国では慣習的に、必ず王が戦場で陣頭指揮を執ることになっていたからだ。
私が続けて発言することを、フェリクス様は待っている様子だったけれど、言えることは何もなかった。
そのため、口をつぐむ。
けれど、心の中では、このような状況になってもまだ私のことを気にしてくれ、私が吐き出す弱音を受け止めようとしてくれている彼の優しさに心打たれていた。
私に発言する意思がないことを見て取ったフェリクス様は、考え考えといった様子で言葉を続けた。
「……先日、一緒に音楽を楽しんだ際、幼い頃の私は一色の髪色だったという話を、次の機会にすると約束したね」
「ええ」
「その次の機会を、……戦から戻った時に設定しても、いいだろうか?」
それは、間違えようもない帰還の約束だった。
「ええ、お戻りをお待ちしているわ」
短くそう答えると、フェリクス様は名状しがたい表情を浮かべた。
それから跪いて私の手を取ると、まるで騎士が貴婦人に誓約をするかのごとく、自らの額に押し当てた。
「……ありがとう。君がそう言ってくれると、私は何としてもこの場所に戻ってこなければならないという気持ちを持てる。……約束しよう。私は必ず君のもとへ帰ってくると」
その厳かとも表現できるような真摯な態度を目にしたことで、状況が思っていた以上にひっ迫していることを理解する。
声を出せる気がしなかったので、私は無言のままうなずいた。
すると、フェリクス様は何かを躊躇している様子を見せた後、言い辛い言葉を口にするかのようにごくりと唾を飲み込んだ。
それから、慎重に言葉を発する。
「ルピア、……一つだけ、私の頼みを聞いてもらえないか?」
「ええ、もちろんだわ」
これから戦場に出る彼の望みならば、何だって受け入れようと要望を聞く前に返事をする。
すると、彼は緊張した様子で口を開いた。
「私が戦場に出ている間は、ディアブロ王国へ戻っていてほしい。君が遠く離れた母国で安全に暮らしていると考えれば、私の心配事はゼロになり、戦に集中できる」
思ってもみなかった内容だったため、既に受諾の返事をしていたにもかかわらず、否定の言葉が衝いて出る。
「いえ、それは無理だわ! 私だけが遠地の安全な場所にいるなど、できるはずがないもの!!」
フェリクス様は私の両手をより強く握りしめると、分かっているとばかりに大きくうなずく。
「もちろん君の気持ちはよく分かる。だが、今回だけは、私の気持ちを尊重してほしい。そして、私が後顧の憂いを失くす手助けをしてほしい」
「…………」
咄嗟に返事をすることができず、無言のまま彼を見つめる。
すると、彼は切々と言葉を続けた。
「それに、私には君が戦火に巻き込まれること以外の心配もあるのだ。……君も気付いているだろうが、この国は『虹の女神』を信奉するあまり、虹色の髪を持たない者を嫌悪する輩が一定数存在する。あるいは、君が我が王国の生まれでないというだけで、気に入らない輩が。私が君の隣にいて、睨みを利かせている間はそれなりに大人しくしているだろうが、私が王宮を不在にした途端、奴らは君に対して失礼な態度を取り始めるだろう」
フェリクス様の心配は理解できた。
なぜなら実際に、パーティーや茶会などで、私の髪色や私の母国について、同席した貴族からちょっとした嫌味を口にされたことが何度かあったからだ。
けれど、どういうわけか、私に嫌味を言った方々を二度と目にすることはなかったため、そのことを不思議に思っていたのだけれど、今その理由が分かった。
恐らく私を警護していた騎士たちがフェリクス様に報告を上げ、フェリクス様が嫌味を口にした貴族たちを私の周りから遠ざけてくれたのだ。
……知らないうちに彼から守られていたのだわ、と感謝の気持ちを覚えると同時に、そのように私を守ってくれた彼ならば、私が一人王宮に残った場合、様々に心配するかもしれないと考える。
「彼らの考えを変えられなかったのは、私の不徳の致すところで、君がその結果を被る必要は一切ない。ルピア、……私はね、どうにも君のことだけは気に掛かるのだ。執務室に留め置かれ、ただ一日中戦火の状況を確認していた間も、ふとした時に君が心細い思いをしていないかと気になっていたのだから。どうか母国に戻って、そこで私を待っていてくれないか……私のために」
フェリクス様の懇願するような表情を見た私は、これ以上この国に残ると言い張ることは、私の我儘かもしれないという気持ちになった。
それに、もしも彼の希望に反して私がこの国に残ったことで、彼が戦場で集中を欠き、何らかのダメージを負ったとしたら、私は一生後悔するだろう。
「……分かりました。ディアブロ王国で、あなたのお戻りをお待ちしているわ」
私はその一言を、やっとの思いで絞り出した。
私の言葉を聞いたフェリクス様は、心から安堵したような表情を浮かべる。
それから、今日初めての微笑みを浮かべた。
「私の頼みを聞いてくれてありがとう。では、……行ってくるよ」
彼の行動を真似て、私も微笑みを浮かべようとしたけれど、私の意志に反して浮かんだのは涙だった。
さらに悪いことに、その涙がぽろりと一筋、頬を流れ落ちる。
「……はい、行ってらっしゃいませ」
フェリクス様はゆっくりと立ち上がると、私の頭を両手で抱え、額に口付けた。
「ルピア、私は戻ってくるよ。君がいてくれるから……戻る理由を、君が作ってくれたから」
その言葉を聞いて、ぽろぽろと止まらない涙を零す私を、彼は黙って抱きしめてくれた。
―――それから2日後、フェリクス様が王都を立つ姿を見送った後、私はディアブロ王国へ戻った。






