176 スターリング王国の不振 3
その後、私たちは王宮に戻ると、そのまま話をすることにした。
フェリクス様は夕方まで外出するつもりでいたようで、午後の仕事を入れていなかったからだ。
馬車から降り、フェリクス様とともに王妃の部屋に入る。
話しやすい雰囲気を作ろうと、私は明るい話題を持ち出した。
「フェリクス様、今日は王宮の外に連れていってくれてありがとう。私の白い髪がどう思われているか確認したくて市井を回ったけれど、皆とても好意的だったわ。あなたの言う通り、国民は白い髪の私を受け入れてくれたの。すごく嬉しかったわ」
「それは当然の話だ。前にも言ったが、国民は虹色髪以外の者を受け入れないわけではない。もしそうならば、彼らは自分たち自身を受け入れられないということになるからな」
フェリクス様の言葉を聞いて、目の覚めたような気持ちになる。
「それはその通りね。今日会った人たちは誰も虹色髪を持っていなかったわ」
実際にこの国で虹色髪を持つ者はほんのわずかなのだわ、と改めて実感する。
だからこそ、私の白い髪も受け入れてもらえたのだわと考えていると、フェリクス様が私の髪を一房手に取り、くるりと指に巻き付けた。
「君の髪は我が国が誇るレストレア山脈の積雪と同じ色をしている。誰だって敬わずにはいられない。それに、私の可愛らしい妃が相手であれば、髪色など関係なく魅了されるはずだ」
「フェリクス様ったら」
おかしいわね。どこで話題がズレてしまったのかしら、と顔を赤らめながらちらりと見上げると、フェリクス様は分かっているとばかりに唇を歪めた。
「ああ、君の憂いが晴れたことはよかったが、代わりにもっと大きな問題が見つかってしまったようだ」
フェリクス様は私を椅子に座らせると、彼もその隣に座り、疲れたようなため息をついた。
それから、フェリクス様はどこから話したものだろうかと、思案するように窓の外を見つめる。
しばらくの後、彼は覚悟を決めた様子で私に向き直った。
「ルピア、君にはまだ説明していなかったが、ここのところ大陸中の土地が瘦せてきている」
「……ええ」
これまでに聞いた話からそのことは推測できていたため、やっぱりそうなのねと頷く。
「楽しい話ではないし、君に心配をかけたくないからとタイミングを見計らっていたら、ここまで話さずにきてしまった。君は一国の王妃だから、多くのことを知っておくべき立場にある。だから、もっと早く話をしておくべきだった。すまない、私の失態だ」
フェリクス様が申し訳なさそうな表情を浮かべたので、問題ないわと返した。
「い、いえ、私も楽しくない話をする時は、タイミングを見計らい過ぎて話し損ねてしまうことがよくあるの。だから、気持ちは分かるわ」
すると、フェリクス様はふっと小さく微笑んだ。
「ありがとう」
それから、フェリクス様は真剣な表情で説明を続ける。
「大地が痩せる理由は様々だ。しかし、多くの場所において、大規模な灌漑工事と土壌改良を行えば、状態が改善されることが分かった。少なくとも、旧ネリィレドと旧ゴニアの地域では上手くいった」
「ええ」
私は旧ネリィレドに立ち寄った時、侯爵夫人から聞いた話を思い出す。
『フェリクス王は痩せた土地に強い作物を、ネリィレドの地に持ち込んでくれました。それだけでなく、新たな技術を導入し、大規模な灌漑工事や土壌改良策を行ってくれました。そのおかげで、我が国では少しずつ作物が収穫できるようになり、これまで飢えていた者たちが食べられるようになったのです』
その話をしてくれた際、侯爵夫人は我が国の土地について心配していた。
そのことを思い出しながら、私はフェリクス様に恐る恐る質問する。
「その話は先日、旧ネリィレドの侯爵邸に泊まった時にうかがったわ。ただ、その際に、フェリクス様は数種類もの『痩せた土地に強い作物』を提供してくれたとも言っていたわ。国の予算は有限だから、必要な物にしか予算を割り当てないでしょう。それなのに、スターリング王国が『痩せた土地に強い作物』の品種改良に成功していたということは、それらの作物が必要な状況に陥っているのではないかと心配されたの」
フェリクス様は苦笑した。
「鋭い意見だな。ああ、その通りだ。……元からスターリングだった地も、少しずつ土地が瘦せてきている」
予想はできていたものの、はっきり言われたことで衝撃を受け、ぴくりと肩が跳ねる。
私は努めて冷静さを装うと、フェリクス様に話の続きを促した。
彼はちらりと私を見ると、できるだけ衝撃を与えないよう明るい口調で続ける。
「土地が痩せ、農産物の収穫量が減少する現象は、初めは国境近くの辺境でのみ見られた。しかしながら、少しずつその範囲が広がってきている。そして、昨年の収穫期にはとうとう、『スターリング王国の穀倉庫』と言われる中央地帯がダメージを受けた。収穫量が例年の半分以下となったのだ」
「そんな……」
私は思わず両手で口元を押さえた。
私の脳裏に、12年前に「はじまりの地」を訪れた際に見た美しい景色が浮かび上がる。
王都とレストレア山脈の中間地点にあり、国の水源である大きな二本の河が最も近づく場所でもあるため、見渡す限りの大地に青々とした作物が生い茂っていた美しい土地を。
あの豊かな土地が、今は見る影もなくなってしまったというのだろうか。
「フェリクス様がアナイスを辺境に送ったという話を聞いた時、私はこの国の土地が痩せ始めていることに思い至るべきだったわ。でも、まさか今度は『はじまりの地』までもが痩せてきただなんて……。先日の夜会であなたがブリアナを『はじまりの地』に送ると言っていたのは、『虹の乙女』の力を借りるためだったのね」
『虹の乙女』の力を借りるのは、虹の女神を信仰するこの国らしいやり方だ。
でも、フェリクス様は灌漑工事と土壌改良で痩せた土地を改善させた実績があるのだから、そちらを試してみてもいいのじゃないかしら。
私のそんな考えは顔に出ていたようで、フェリクス様が説明を補足してくれた。
「先ほども説明したように、旧ネリィレドの地域では、新たな技術を導入したことで、土地の状態が少しずつよくなっている。だから、各地で同じ方法を試そうとしたが、生粋のスターリング人たちはそれを受け入れないんだ」
「どういうことかしら?」
なぜ人々が有用な技術を受け入れないのか、その理由が分からずフェリクス様に質問する。
すると、フェリクス様は思ってもみないことを口にした。
「原因は虹の女神信仰だ。この国の土地は、女神の御力によって豊かになったと人々は信じている。だから、女神の土地に手を加えることを不敬だと考えるのだ」
その言葉を聞いて、「スターリング王国創世記」に綴られていた話を思い出す。
『国のはじまりにおいて、王国の大地は痩せており、十分な作物が実ることはなかった。
誰もが飢え、救いを求めていたところ、女神が空の端から端まで大きな虹をかけられた。
すると、その空の下の大地は豊かになり、作物が実るようになった』
国民はその伝説を信じており、「虹の女神」は国民の誰からも信仰されていた。
そして、虹の7色の髪色を持つ者が、「女神に愛されし者」として尊重されているのだ。
虹の女神信仰は国民の生活に根付いているので、その考えを覆すのは容易ではないだろう。
けれど、まさか自分たちが飢えたとしても、女神の土地を守ろうとしているのだろうか。
「旧ゴニアと旧ネリィレド地域の国民は、虹の女神を信仰していないから、簡単に土壌改良策を受け入れた。そのため、どちらの地も豊かさを取り戻しつつある。しかしながら、その効果を間近で見てきたというのに、生粋のスターリングの者はその技術を受け入れないのだ」
フェリクス様が私の推測を肯定するようなことを言ってきたため、この国の人々は本当に虹の女神を心から敬愛しているのね、と改めて思う。
フェリクス様の話によれば、ゴニアとネリィレドの痩せた土地は、スターリングとの元国境付近にあり、辺境の人々は痩せた土地が改善されていく様を間近で見ていたらしい。
つまり、土地が生き返っていく様をずっと観察しており、その効果をはっきり確認したにもかかわらず、人々は同じように土壌を改良する気になれないというのだ。
「その結果、我が国では痩せた土地が広がっているのね?」
フェリクス様に質問すると、その通りだと頷かれた。
「ああ、『はじまりの地』も痩せてきたため、昨夏の収穫はこれまでになく酷いものだった。だから、秋の間にできるだけ土地を改良し、冬の種まきの時期に備えることが急務だった。そのため、私も自ら『はじまりの地』に足を運び、何度も説得を行ったが……人々は受け入れなかった。それほど虹の女神への信仰心が強いのだと、思い知らされただけだった」
フェリクス様が自嘲の笑みを浮かべたので、思わず呟く。
「フェリクス様は3色の虹色髪を持っているのに、人々を説得できないなんて……」
3色の虹色髪の効果は絶大だ。
国民は3色の虹色髪を持つフェリクス様の言葉をいつだって尊重してきたし、その言葉を守ろうとしてくれていた。
しかしながら、そのフェリクス様の言葉だとしても、虹の女神から豊かにしてもらった土地に手を入れる気にはなれないようだ。
フェリクス様は顔を歪めると、どうにもならない苛立ちと諦めが籠った声を出した。
「国民は女神が豊かにしてくれた土地を心から大切にしていて、『はじまりの地』を変わらぬ形で守り続けることが、女神への信仰心の表れだと考えている。だから、無理矢理土地を改良したりしたら、あの土地を捨てるだろう」
◇◇◇
フェリクス様の説明を受けた私は、何とも説明しがたい違和感を覚えて目を瞬かせた。
彼は嘘偽りなく誠実に話をしてくれたし、説明された内容は大変なことだった。
だから、説明を聞いた後、私に心配をかけたくないフェリクス様が、説明を先延ばしにしたことに納得した。
けれど、フェリクス様の態度から、彼がこの話をしなかったのは、私に心配をかけたくないことだけが理由ではないように思われたのだ。
ただし、なぜそう思うのかと問われたら、答えられないほどの違和感だったため、一体私は何が気になっているのかしらと首を傾げる。
……はっきりとは分からないけど、フェリクス様は何かを隠している。
では、何のために隠しているのかと考えた時、いつだって私の気持ちを優先すると言ってくれるフェリクス様の、2つの例外について思い出した。
フェリクス様はいつだって私の望みを優先してくれる。
けれど、私への好意を示すこと、あるいは、私を守ることの2つの場合において、彼の希望を優先させるのだ。
彼の態度から、今、そのどちらかと私の希望が相反しているのかしらと考えたけれど、私への好意を示すことは当てはまらない。
ということは、彼は私を守ろうとしているのだろうか。
でも、一体何から?
「フェリクス様、この問題について何か私にできることがあるかしら?」
私を守ろうとしているのであれば、きっと私に何かできることがあって、その過程で私が傷付くのだろう。
そう考えてさり気なく質問すると、彼は首を横に振った。
「いや、何もない」
フェリクス様の声も表情も普段通りだったけれど、答えるタイミングが少しだけ早過ぎた。
まるで、『私からこのような質問が来たらこう返そう』と、あらかじめ決めていたかのように。
そのため、私は気付いてしまう。
ああ、この件に関して、私にできることがあるのだわ、と。
そして、そのことで私はきっと傷付くのだ。
けれど、フェリクス様に尋ねても、これ以上答えてくれるはずがないことは分かっていたため、私は「そうなのね」と呟いて、話を終了したのだった。
本日、ノベル6巻(完結)&コミックス3巻が同時発売されました!
★ノベル6巻★
〇加筆分
1 ルピアの大変な悩みごと
2【SIDEフェリクス】そして、最後の恋は永遠になる
とうとう完結です。長い間お付き合いいただきありがとうございました!
ルピアとフェリクスが3人家族になるお話など、甘々の後日談を2つ加筆しました。
素敵なイラストとともにぜひお楽しみください。
〇特別掲載分
1 【SIDEアスター公爵】リスではなく聖獣だったバド
2 クリスタ直伝 アフタヌーンティー・スイーツの食べ方
3 【SIDEベルナー侯爵】ベルナー侯爵の受難・国王から会話術アップの講師として招集される
4 【SIDE国王フェリクス】ルピアが悪夢を見ないか心配する
5 【SIDE国王フェリクス】フェリクスとハーラルトの反省会
6 【SIDE国王フェリクス】ルピア、ギルベルトにクッキーを差し入れる
7 フェリクス様と祝う二人きりの誕生日
書店特典SSの中から、特に読んでいただきたいものを厳選して掲載しました。
店舗によっては特典SSが付いてきます。
https://magazine.jp.square-enix.com/top/event/detail/3785/
★コミックス3巻★
ルピアとフェリクスの甘々な日々、それから身代わりになり、さらに……のパートをめちゃくちゃドラマティックに描いてもらいました。心が揺さぶられること間違いなしです。ルピアがずっと可愛いのがすごい! ぐぐっと物語に入り込めますので、ぜひ読んでみてください。
こちらも、店舗によっては特典が付いてきます。
https://magazine.jp.square-enix.com/top/event/detail/3769/
ノベルもコミックスも、隅から隅まで楽しいとびっきりの1冊になりました!!
お手に取っていただき、楽しんでいただけると嬉しいですo(^-^)o






