171 『虹の乙女』ブリアナの企み 2
実のところ、最近、私のよくない噂が流れているという話を聞いていた。
情報提供者は護衛騎士団長のバルナバだ。
私の周りにいる者たちは皆、私の悪い噂を私に届かせないようにしていたため、私がバルナバに頼んだのだ。
『バルナバはいつだって全力で私を守ってくれるわ。でもね、私に自衛する気がないと、完全に身を守るのは難しいと思うの。そして、自衛するためには、私が誰に用心しないといけないのかを見極めなければならないわ。だから、私のよくない噂があったら教えてほしいの』
そうしたら、バルナバは貴族の間で囁かれているという噂話を入手してくれたのだ。
『ルピア妃は白い髪をしている。だから、当然のように虹の女神の祝福は与えられない』
それが、噂の内容だった。
「虹の女神祭」で、フェリクス様が祭祀を執り行った際、私は「はじまりの地」の上空に大きな虹をかけた。
その光景を見た国民は、「虹の女神が新たなる王と王妃を祝福している」と喜んでくれたけれど、いつの間にか、貴族の間では異なる噂話が広まっていたらしい。
曰く――――「はじまりの地」に虹がかかったのは、王が王妃を娶ったことへの祝福ではなく、その場に「虹の乙女」がいたからだ。
―――その証拠に、結婚式の際には王宮上空に虹がかからなかった。
―――女神は王妃を認めていないのだ、と。
私が「虹の女神祭」で上空に虹をかけたのは、フェリクス様は虹の女神に愛されていると示しかったからだ。
結婚式で虹をかけなかったのは、その後に重要行事が続いたため、王妃が寝込んで迷惑をかけるわけにはいかないと考えたからだ。
私の行動理由はそんな単純なものだったけれど、貴族たちはそれらの事象に『ルピア王妃は虹の女神に愛されていない』という理由を見つけたと思い込んでしまった。
誤解で始まったこの案件が、大変なものであるのは間違いないけれど、実のところ、誤解を解くのは難しくなかった。
今後、私が出席する行事があるたびに空に虹をかけ続ければ、こんな噂話はすぐに消えてなくなるだろう。
けれど、私のお腹には子どもがいるから、魔法を使って体調を崩すことは絶対に避けるべきだ。
だから、今の私が噂を消すために直接できることはないけれど、せめて私がどのような人物なのかを皆の目で確かめてもらいたいと思った。
私が白い髪なのは生涯変わらないから、虹の女神とは関係ないところで、……私はこの国とフェリクス様のことを想っていて、そのためには何だってしようと考えていることを理解してもらいたいと考えたのだ。
とはいえ、そんなことを今すぐ示すことはできないから、まずは私が悪い王妃でないことを感じ取ってもらえれば嬉しいわ。
そう考えていると、ブリアナが年配の男性とともに現れた。
彼女と顔を合わせるのは、王宮の庭で会話をした時以来だ。
あの時のブリアナは、自分の方がフェリクス様を幸せにできるときっぱり言い切った。
けれど、フェリクス様が私の代わりに、ブリアナの気持ちは不要だと断ってくれた。
彼女との会話はそれきりになっていたけれど、国民の前で『虹紐祝い』を行った際、ブリアナは観客に紛れて憎々し気に私を睨みつけてきた。
緑のメッシュが入った赤い髪をしているブリアナは、『虹紐祝い』で役割を与えられ、儀式に参加するものだと思い込んでいたのだろう。
けれど、私と諍いを起こしたため、フェリクス様が彼女を儀式から外してしまった。
それは『虹の乙女』であるブリアナにとって、非常に屈辱的な出来事だったため、さぞや腹立たしく思っているだろうと身構えたけれど、予想に反して彼女は笑みを浮かべた。
その笑みには敵意がないように思われたので、もしかしたらブリアナは私に敵愾心を抱くのを止めてくれたのかしらと期待する。
私の予想を肯定するかのように、ブリアナは私のドレスを褒めてきた。
「王妃陛下、今日のドレスはとても素敵ですね」
「……ありがとう」
私が着用しているのは、大胆なワンショルダーのドレスだった。
ちょっと冒険し過ぎかしらと思ったけれど、ミレナがせっかくきれいな肩をしているのだから出してくださいとこのドレスを勧めてきたため、断ることができなかったのだ。
ミレナの審美眼は間違いなく、着用してみると、光沢のある青みがかったドレスは私によく似合った。
特徴的なのはその形で、右肩は全部出ているけれど、左肩はフリルで覆われている。
そのため、フェリクス様の身代わりとなった時に受けた傷を完全に隠してくれた。
ブリアナがわざわざ褒めてきたくらいだから、ミレナの見立ては間違いないわね、と微笑んだところで、ブリアナが意地悪そうな笑みを浮かべる。
「そういえば、王妃陛下はいつだって左肩を隠されるんですね。何か秘密があるんですか?」
「えっ」
まさかそんなことを尋ねられるとは思っていなかったため、私は驚いて目を見開いた。
それから、続ける言葉を見つけることができず、目を見開いたままブリアナを見つめる。
……ブリアナは私の肩に傷があることを知っているのかしら?
私は10年もの間眠っていたのだから、その間に肩の傷を見た人は何人もいるはずだ。
そのうちの一人が、ブリアナに私の傷について告げたとしても不思議ではない。
それに、肩の傷は見て楽しいものじゃないから隠しているけれど、嘘をついてまで秘密にするものではないはずだ。
それとも、外聞のいいものではないから、肯定してはいけないもので、彼女の質問に対して無言を貫くべきなのだろうか。
正しい対応が分からず無言のままでいると、フェリクス様が手を伸ばしてきて私の手をぎゅっと握った。
はっとして顔を向けると、フェリクス様は滅多にないほど厳しい顔をしていた。
彼は安心させるように私の手をするりと撫でると、ブリアナに向かって口を開きかけたけれど、割り込むように大きな声が響く。
「陛下、本日は喜ばしいご報告に参りました!」
何事かしらと顔を向けると、ブリアナの隣にいた年配の男性が誇らし気に胸を張った。
この男性は誰かしらと考えていると、ギルベルト宰相が後ろに立ち、ブリアナの父であるバルバーニー公爵だと教えてくれる。
バルバーニー公爵といえば、フェリクス様に不敬な態度を取ったブリアナの姉を、男爵家に嫁がせた人物だったはずだ。
恐らく、親子の情に流されることなく、政治的決断ができる人物なのだろう。
公爵と顔を合わせるのは初めてよねと考えていると、フェリクス様が握っていた私の手を離し、苛立たし気に髪をかき上げた。
ブリアナに文句を言おうとした瞬間に割り込まれたので、イライラしているようだ。
しかしながら、公爵はフェリクス様の不機嫌さに気付いていないようで、両手を広げると満面の笑みを浮かべる。
「いやはや驚きました! 本日の朝、何と我がバルバーニー公爵家の端から端まで、大きな虹がかかったのです!!」
それはフェリクス様にとって想定外の言葉だったようで、気が削がれたようにぱちぱちと瞬きする。
それから、明らかに興味がない様子で相槌を打った。
「……そうか」
フェリクス様の興味の薄さとは対照的に、バルバーニー公爵は興奮して言葉を続ける。
「はい! そして、恐れ多いことに、同時刻、この王宮にも大きな虹がかかったと聞いています!!」
それは公爵の言う通りだった。
昼過ぎに訪ねてきた者たちから口々に、午前中に王宮の上空に虹がかかっていて、とても美しかったと褒めそやされたのだから。
虹の女神を信奉するこの国の人々にとって、虹がかかることは吉事だから、新たな祝福を受けたとでも言いたいのかしら、と次の言葉を待っていると、公爵は思ってもみないことを言い出した。
「これは虹の女神の思し召しです! 先々代の国王陛下は王宮に虹がかかった際、同日同時刻に虹がかかった侯爵家のご令嬢と結婚されました! その後、先々代陛下が30年の長きにわたり、立派に国を治められたことはご承知の通りです! 僭越ながら、虹の女神は陛下と我が公爵家のブリアナが結婚することを希望されているのです!!」
とんでもない提案にびっくりし、私は目を見開いて公爵を見つめる。
えっ、フェリクス様とブリアナが結婚ですって?
でも、フェリクス様は私と結婚しているわ。
そう思ったけれど、公爵の周りに集まった貴族たちは、とてもいいことを聞いたとばかりに手を叩き歓声を上げた。
私の後ろに立つギルベルト宰相は、囃し立てる貴族たちを見て苛立たし気に舌打ちする。
「ちっ、腹黒タヌキと迎合するしか能のない貴族たちめ!」
その言葉を聞いて、バルバーニー公爵は場所と人を揃え、フェリクス様が断りにくい場面を作り出したのだと気付く。
この国の人々は虹の女神を信奉しているし、虹色髪を尊重している。
元々、2色の虹色髪を持つブリアナは、『虹の乙女』として人々の憧憬を集めていたのだ。
そんな中、先々代王も従った女神の意思が示されたというのであれば、公爵の提案を断るのは難しいのではないかしら。
私はへにょりと眉尻を下げると、ドキドキし始めた胸を押さえたのだった。