161 フェリクス様の10年分の懺悔 2
10年前に生じた誤解を解くため、フェリクス様の話を聞くことになったけれど、彼が一番に取り上げたのはアナイスのことだった。
「まずはアナイスについて話をしたい。彼女は『虹の乙女』だ。だから、祭典や式典で一緒になることが多かったが、それだけだ。個人的な興味を抱いたことはないし、個人的に会ったこともない。『虹の乙女』として、あるいは友人だったテオの妹として、顔を合わせたことがあっただけだ」
フェリクス様はそこで初めて顔を歪めると、我慢ならないとばかりにぎゅっと拳を握りしめた。
「当然のことだが、アナイスが側妃になるという話は事実無根だ。私はもちろん、王宮の者は誰一人、そのことを彼女に打診していない。アナイスは君に虚偽を述べたのだ」
「一体どうしてそんなことをしたのかしら?」
嘘をついたとしてもすぐにバレるだろうから、彼女の行動の理由が分からずに質問する。
すると、フェリクス様は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「アナイスは私の側妃になろうと、色々と画策していた。最終的には嘘がバレるとしても、その前に側妃の席に収まれると思ったのだろう」
「……そうなのね」
私は詰めていた息をほっと吐く。
それから、アナイスの話を聞くことができてよかったわと、フェリクス様に感謝した。
彼女とフェリクス様の関係については不明な点が多く、私の想像で補完していたところがあったので、「事実はこうだよ」とはっきり教えてもらうことで、曖昧だった部分がなくなったからだ。
しかも、フェリクス様が語ってくれたアナイスとの過去は、私が想像していたものよりずっと事務的だった。
私は緊張で冷たくなった手をさすると、フェリクス様にお礼を言う。
「フェリクス様、話してくれてありがとう。真実を知らなかったから、少し不安だったみたい。すごく安心したわ」
フェリクス様は気遣わし気な表情で私を見ると、何か言いたそうにしていたので、尋ねられる前に私から答える。
「10年前、アナイスから直接、フェリクス様の側妃になるという話を聞かされたわ。その時、大事なことだからあなたに直接確認しなければいけないと思ったの。けれど、あなたが毒に倒れたと聞いて駆けつけた時、あなたの側にはギルベルト宰相とビアージョ総長、アナイスの3人がいたわ」
「……ああ」
フェリクス様の心許ない表情を見て、彼は今、そのことを知ったのだと気付く。
あの時、フェリクス様は昏倒していたから、彼が意識を失った後に3人が駆け付けたのだろう。
「その光景を見たら、『この場には、彼に必要な人物が全て揃っているわ』と、すとんと現状を受け入れる気持ちになったの。そして、フェリクス様の側に私だけがいたいというのは、私の恋心から出る我儘なのだと思ったわ」
「そんなことは絶対にない!」
フェリクス様は激しく言い返してきた。
彼の反応は当然のもので、落ち着いて考えれば、私の結論は飛躍し過ぎているように思えたけれど、当時の私は正しい答えを得たのだと思い込んでしまった。
だから、彼から離れるのが正しいことだと考えたのだ。
「あなたの邪魔になるくらいならばこれで最後にしようと、10年前の私は決心したの。私はもう十分フェリクス様から優しくしてもらったし、多くのものを与えられたし、幸せだったから」
フェリクス様は包み隠さず話をしてくれたから、私もそうしないといけないわと覚悟を決める。
たとえ彼にとって聞きたくない話であっても、私にとって話しにくい内容であっても、全て説明すべきだわ、と。
「もしかしたら、もう少し時間を掛ければフェリクス様の気持ちは変わったかもしれない。バドが戻ってきて説明してくれたら、あるいは母国から証言者が到着したら、あなたを説得できたかもしれないと思いはしたわ。でもね、私がほしいものはそれではないと気付いたの」
フェリクス様はこれから話す内容をある程度予想できているようで、耐えようとでもいうかのようにぐっと唇を噛み締めた。
「突然、フェリクス様から『頭に角が生えた』と言われても、私は信じるわ。根拠を示されることなく、フェリクス様から『私は明日全ての記憶を失う』と言われても、私は信じるわ。私にとって、あなたへの思いはそのようなものだったから、同じものがほしいと思ってしまったの。私は一国の王妃に向かない、夢見がちな魔女だったわ」
自嘲するように告げると、フェリクス様は強張った顔で首を横に振る。
「君の考えはごく当然のものだ。10年前、同じものを返すことができなかった己を恥じている。しかし、今ならば、君が『尻尾が生えた』と言ったら、私は無条件にその言葉を信じることができる。そして、君が窮屈な思いをしないよう、ドレスの腰回り部分を全て補正させよう」
それは、先日、彼が私に言ってくれた言葉だった。
唐突に『もしも私に尻尾が生えたと言ったら、あなたはどうするかしら?』と質問した私に、彼は無条件に私を信じると答えてくれたのだ。
そして、今自らそのことを持ち出してくれた。
そのため、彼が私と交わした会話を覚えていて、大切にしてくれているのだと嬉しくなる。
「ルピア、私の魔女は夢見がちなのではなく、あるべき正しい理想の形を追求できる理想主義者だった。王妃にとって、とても大事な資質だ」
「フェリクス様ったら」
彼は絶対に私を貶そうとしないのね。
「フェリクス様はいつだって私の味方をしてくれるのね。それなのに、私は……」
「どうした?」
私は申し訳ない気持ちで正直に話す。
「私は自分のことを楽観的だとずっと思っていたの。でも、少なくともフェリクス様のことに関しては、悲観的に考えてしまうみたい。だから、目覚めてすぐの時、色々と悪いものを想像して、あなたの話を聞きたくないと言ったの。……もしかしたら期待した後に傷付くことがないよう、自衛していたのかもしれないわ」
フェリクス様のことを実際よりも悪く考えたと告白したにもかかわらず、なぜか彼は嬉しそうに微笑んだ。
「ルピア、私を好きでいてくれてありがとう。だからこそ、君を傷付ける力が私に与えられたことを自覚して、絶対にこの力を行使しないようにするよ」
「……フェリクス様はびっくりするくらい前向きなのね」
私には浮かばない発想を披露されて驚きながら、私に必要なのはこの考え方なのかもしれないと思う。
「でも、絶対にということは無理でしょうから、ほどほどでお願いしたいわ。……あの、他の女性とものすごく、それなりに仲良くしないでくれると嬉しいわ」
私はずっとフェリクス様と一緒に生きていくと決めたのだ。
あまりに厳しいルールを作ったらフェリクス様が嫌になるだろうから、どうしても嫌だと思うものを一つだけ挙げてみる。
すると、フェリクス様は従順に頷き、極端なことを言い出した。
「約束する。私は今後、君だけを見つめることにする」
「い、いえ、そこまでのことはしてくれなくて大丈夫よ」
日常生活に支障が出るような提案をされたため、慌ててお断りすると、フェリクス様は肩を落とした。
「要求してくれないのか? 私は君に独占されたいし、ギルベルトもビアージョも、ミレナだって、君の要求だと言えば、私が君にべったり引っ付いていても見逃してくれるはずだ」
どさくさに紛れてフェリクス様がおかしなことを言い出したので、私は冷静に指摘する。
「そ、その状況がそもそもおかしいわ。フェリクス様が私に引っ付いているとしても、それを3人が知っているだなんて」
フェリクス様の言う状況になるためには、3人のうちの誰かがいる前で、フェリクス様が私に引っ付いていなければならない。
それは、控えめに言ってもものすごく恥ずかしいだろう。
「だって、ルピアは妊娠しているからね。君以上に大切なものは、今の王国にありはしない。だから、四六時中君の夫が君にくっついているのは当然のことだ」
「そ、そんなはずないわ。フェリクス様は王だから、大事な仕事がたくさんあるはずよ」
当然の言葉を返すと、フェリクス様は肩をすくめた。
「大事な仕事があるのは事実だが、君と腹の子を守ること以上のものではない」
「そ、それはそうかもしれないけど」
けれど、きっとそういうことじゃないのよ。
フェリクス様のお仕事を一つだけ持ち出して、それと私の妊娠との重要性を比べてみるという話ではなくて、もっと……。
「しまった!」
突然、フェリクス様は私の思考に割り込むような声を上げると、手を伸ばしてきて私の腰を掴み、ひょいっと抱き上げた。
それから、彼の膝の上に私を座らせる。
「フェ、フェリクス様?」
慌てて名前を呼んだけれど、彼はそ知らぬふりで近くにあったブランケットを手に取ると、私のお腹に巻き付けた。
「君との話に夢中になるあまり、君を大切に扱うことが疎かになっていた。私はまだまだだな」
「い、いえ、私は安全な部屋の中にいるのだから、わざわざ膝の上に抱き上げなくても大丈夫よ」
「でも、君の体温は簡単に上がったり下がったりするよね。だから、私がしっかり温めていないといけない」
いえ、私の体温はそう簡単に上がったり下がったりしないわ。
きっと私が彼の身代わりになった当初とか、体調が不安定だった時のことを言っているんじゃないかしら。
そう思ったけれど、指摘しても最終的には言いくるめられ、今より酷い状況になる未来が視える気がする。
そのため、これ以上甘々な対応をされては堪らないわと、私は口を噤むことにしたのだった。