139 魔女の生まれた地 3
馬車の中で子どものような振る舞いをしたイザークだったけれど、彼は今も少年のように目を輝かせると、村のあちこちに視線を巡らせていた。
「村長の家はどこかな? 王妃陛下の話によると、白い屋根をしているらしいが。……ああ、あれかな」
イザークが指差した方向を見ると、泉を囲むように建っている家のうちの一軒が、白い屋根をしていた。
「可愛らしいお家ね」
まるで絵本の中に出てくるような造作の家を見て顔をほころばせると、フェリクス様が私の手を取った。
「私たちがこの村を訪問することは、前もって村長に伝えてある。外は風が冷たいから、早速村長宅を訪問することにしよう」
「ええ、そうね」
これから魔女の生地に住む方々の話を聞けるのだわと考えるだけで、どきどきしてくる。
私は促されるまま、フェリクス様たちと村長のお家を訪問したのだった。
「これはまたお美しい白い髪ですね。初めまして、魔女様。村長をしておりますリンダと申します」
出迎えてくれたのは、高齢の女性だった。
彼女の足元ではふくろうが3羽、よたよたと歩いている。
リンダ村長はふくろうたちを見下ろすと、優し気に目を細めた。
「この子らは私の子どものようなものでして。いつだって、私の後を付いてくるんですよ」
「とても可愛らしいですね」
そう言うと、村長は嬉しそうに頷いた。
案内されるまま、村長とふくろうたちに付いていくと、日当たりのいいテーブルの上にティーセットが準備してあるのが見えた。
椅子に座ったところで、リンダ村長が懐かしそうな表情を浮かべる。
「ルピア様はお母様に似ていらっしゃいますね」
「ええ、私は母に似ているとよく言われるわ。村長は母を知っているの?」
先代魔女の母もこの村を訪れたことがあったのかしら、と考えながら尋ねると、村長はにこやかに頷いた。
「はい、王妃陛下は何度も、この村をご訪問くださいました。ここの空気が体に合うと言われて、子どもをお生みになるたびに、王子王女様を連れて来られていたんです」
「えっ、ということはもしかして」
「ええ、まだ赤ん坊だったルピア様を連れて、この村を訪れられたこともございました。もう30年近く前のことになりますね」
「そうなのね」
私の知らない事実を教えられ、不思議な気持ちになっていると、村長は昔を懐かしむような声を出した。
「この村は魔女が生まれた土地です。そのため、魔女である王妃陛下と、それから王妃陛下の血を引いた王子王女様方にとって、とても居心地がよさそうでした」
村長は窓に視線を向けると、そこから見える複数の山々を見つめる。
「遠くに見える山々には、神が宿ると言われる大木がいくつも生えています。それから、聖域と呼ばれる神聖な場所もあります。そんな山々に降った雨が地下水となって、湧いて出たのがこの村の泉です。ですから、この泉には不思議な力が溜まっているのだと、人々は昔から考えてきました」
村長の敬うような眼差しから、この村の人々が泉に対して畏敬の念を感じていることが伝わってくる。
その気持ちを大切にしたくて、私は分かるわと同意しながら同じように泉を見つめた。
「村長たちの気持ちは理解できるわ。私も先ほど、村の泉を眺めていた際に、とても荘厳な気持ちになったもの。もしかしたらあの泉は、『身代わりの魔女』の成り立ちにかかわりがあるのかもしれないわね」
ふと思ったことを言葉にすると、村長はその通りだと頷いた。
「ルピア様のおっしゃる通りです。この村は『身代わりの魔女』が生まれた土地ですが、あの泉があったからこそ、魔女が誕生できたのだと私たちは考えています」
「どういうことかしら?」
首を傾げながら村長に尋ねると、彼女は考えるように片手を口元に当てた。
「……はるか昔の話です。この村に住む一人の少女が、泉の底に城が建っていると言い出しました。他の村人の目には何も映らないというのに、少女の目には荘厳な城が見えたのです」
「まあ、それはとても不思議な話ね」
この村の泉の底にお城が建っているなんて、何とも驚くべき話だ。
思ってもみない話に戸惑って目を瞬かせていると、村長は「突飛な話ですよね」と言いながら言葉を続ける。
「実のところ、少女はその時、常にない状態にありました。彼女には幼い頃から許嫁がいて、その相手と結婚したばかりだったのですが、夫君が狩りの最中に大怪我をして、意識不明の状態だったのです」
「それは大変だわ」
「ええ、その通りです。そのため、少女は何日もの間ずっと眠ることなく、夫君が目覚めるよう泉に祈り続けておりました。そのせいで意識が朦朧としており、幻覚を見たのだろうというのが、当時の村人たちの見解でした」
「でも、違ったのね?」
確認のために尋ねると、村長は無言のまま視線を巡らせ、窓の外に見える泉に視線を固定した。
「はい、恐らく違ったのでしょう。この話の続きはこうです。翌朝、信じられないことに、大怪我をしていたはずの少女の夫君が、怪我一つない状態で目を覚ましました。そして、彼は泉の淵に倒れているびしょ濡れの少女を……彼の妻君を、自ら発見しました。不思議なことに、少女の体には夫君が負っていたものと全く同じ怪我があったのです。そして、少女はその後、1年もの間眠り続けました」
「その少女が……『身代わりの魔女』のはじまりなのね」
厳かな気持ちになって尋ねると、村長は大きく頷く。
「ええ、その通りです」
そんな風に村長ははっきり肯定したものの、すぐに自信がなさそうな表情を浮かべた。
「ただ、全てが口伝で伝わっていることもあり、この辺りの話には曖昧な部分が多いのです。夫君が見つけた少女がびしょ濡れだったのは、彼女が泉の底にある城を訪れたからだという話もあれば、そうではなく、長期間続いた祈りが聞き届けられ、少女に特別な力が与えられたのだという話もあります」
村長の話からも分かるように、伝承には矛盾した話や相反した話が多いし、全てが真実とは限らない。
だから、たくさんの伝承の中から真実を選び取らなければいけないのだけれど……、と村長に質問する。
「泉の底には、今もお城があるのかしら?」
先ほど泉を眺めた際には、城らしきものは一切見当たらなかった。
泉はとても大きいものだったけれど、水は澄んでいたので、お城のように大きな建造物があれば、どの方向から見ても気付くだろう。
そう考えながら尋ねると、村長はよく分からないと答えた。
「少女の娘や孫が、その後3代にわたってこの村で生まれ育ちました。しかし、新たな魔女たちは誰一人として、泉の中に城が見えることはなかったのです」
私にも泉の城は見えなかった。魔女の目にも見えないということは、泉の底のお城は既に消えてしまったのだろうか。
それとも、何か条件が揃った時にだけ、お城は見えるようになるのだろうか。
答えが分からずに考え込むと、それまで黙り込んでいたフェリクス様が意見を述べた。
「元々、泉の底に城があったとして、それが消えてなくなるとは考えにくい。恐らく、城はいまだ泉の底にあるものの、感知できないような仕組みが施されているのではないか。つまり、必要がある者のみが、泉の底にある城を見ることができるようになっているのだ」
「必要がある者のみ、見ることができる……」
思ってもみないことを言われて言葉に詰まると、イザークがにやりと笑いながらフェリクス様の肩をばしりと叩く。
「僕はフェリクス王の意見を支持するな! 何度も死にかけたフェリクス王を助けるため、ルピアがバドの卵を抱えて生まれてきたように、必要な者にこそ必要な力が与えられるというのはその通りだからね。恐らく、魔女の力の助けとなるものが、泉の底の城にあるのだろう」
フェリクス様とイザーク、それから、村長の口ぶりから考えるに、皆は泉のお城に何らかの願いを叶える力が眠っていると考えているようだ。
一体それは何なのかしらと考え、無意識のうちに唇を噛み締めていると、フェリクス様が手を伸ばしてきて、私の唇に触れた。
それから、彼は私の唇と歯の間に指を入れると、ゆっくりとなぞるように動かす。
フェリクス様の指を傷付けるわけにはいかないので力を抜くと、彼は褒めるように指先で私の唇を撫でた。
どうやら私が唇を噛み締めていたことが気になり、止めさせようとしたようだ。
言葉で言ってくれればいいのにと頬を赤らめていると、フェリクス様は雰囲気を変えるかのように明るい声を出した。
「幼いルピアはきっと可愛かっただろうな」
村長から聞くべき話は全て聞き、皆が推測を口にし始めたところだったので、話題を変えるタイミングだと思ったのだろう。
雰囲気の変化を敏感に感じ取ったのか、村長は懐かしそうな表情を浮かべると、小さく微笑んだ。
「ええ、その通りです。幼いルピア様はそれはもう非常に可愛らしゅうございました。あまりのお可愛らしさに、聖獣様方もお傍を離れられないご様子でしたから」
「……聖獣様方?」
まるで聖獣が複数いるような言い方ね、と不思議に思いながら問いかける。
すると、村長は当然の表情で、私の言葉を肯定してきた。
「はい、ルピア様は双子の聖獣持ちの魔女でしたからね。私が見る限り、どちらの聖獣様もルピア様を好いておられるご様子で、いつだってルピア様にくっついていらっしゃいました」






