138 魔女の生まれた地 2
数回の休憩を取りながら半日かけて辿り着いた先は、豊かな自然に囲まれた村だった。
複数の山に囲まれる場所に位置しており、冬だというのに色とりどりの花が咲き乱れている。
また、村の中には大小の家が放射状に並んでいて、その中心には湧き水が溜まってできた大きな泉があった。
覗き込んでみると、泉の水は緑とも青ともつかない美しい色をしていて、きらきらとした光が水の底から上っている。
私はたちまち泉の美しさに引き付けられ、目を離せなくなった。
「とても美しい泉ね。なぜだか分からないけど、この泉を眺めているだけで、すごく荘厳な気持ちになるわ」
水の色のせいなのか、泉の全体的な雰囲気のせいなのかは分からないけれど、泉を見つめていると厳かな気持ちになって、決して汚してはいけないという気持ちが湧き上がってくる。
そんな経験は初めてだったため、私は首を傾げた。
「どうしてかしら、この村の全てが特別に感じるわ。村の入り口から一歩足を踏み入れた途端、空気が澄んでいて、美味しいと感じたのよ」
この村に覚える特別な感情を伝えたくて言葉を重ねると、フェリクス様は分かっていると頷いた。
「ここは『身代わりの魔女』が生まれた場所だ。この地と魔女は、とても相性がいいのだろう」
それから、フェリクス様は興味を引かれた様子で村の中をぐるりと見回すと、しみじみとした声を出す。
「ここがルピアのルーツか」
彼の興奮した気持ちが伝わってきたようで、私の気分も高揚してくる。
ああ、この自然に溢れた美しい場所が、『身代わりの魔女』の故郷だと考えるだけで嬉しくなるわね。
そう考え、笑顔でフェリクス様を見上げたところで、後ろから声が響いた。
「なるほど、いかにも魔女の生地らしい隠れ家的な場所だな!」
その声を聞いた途端、そうだった、フェリクス様と2人きりではなかったのだわと、夢から醒めたような気持ちになる。
慌てて声の主を振り返ると、イザークがしたり顔でこちらを見ており、その表情を見たフェリクス様は顔をしかめた。
「イザーク、私は今、妻と2人きりの時間を楽しんでいるのだ。少しばかり遠慮してくれないか」
フェリクス様は私との時間を邪魔されたように感じたらしく、しかめた顔には不満な気持ちが表れていた。
何事にも鋭いイザークがそのことに気付かないはずはないのだけれど、彼は一切気にすることなく近寄ってくると、フェリクス様の背中をばしんと叩く。
「ははは、僕は12年振りに従妹に会ったんだぞ! 遠慮するべき者がいるとしたら、それは君の方だ」
続けて、イザークの肩の上に乗っていた私の聖獣も、悪ノリした様子で頷いた。
「魔女の生地であれば、守護聖獣である僕が同行しないわけにはいかないよね。人数制限があるとしたら、役割のないフェリクスが不参加とすべきじゃないの」
まあ、邪魔されたくない様子のフェリクス様にわざわざ話しかけてきたうえ、彼を焚きつけるような発言をするなんて、ちょっと揶揄い過ぎじゃないかしら。
そう思ったものの、既に何度か注意をしているにもかかわらず、どちらも言動を改める様子を見せなかったので、言っても無駄ねと諦める。
代わりに、フェリクス様がどうしてこの村にいるのかを説明しようと、イザークたちに向かって口を開いた。
「あのね、今日は私が魔女の生地に一緒に行こうと、フェリクス様を誘ったのよ」
すると、一人と一頭は「ルピアはすぐフェリクス王の味方をするんだから!」「助け船を出すのが早過ぎるよ!」と不満そうに口を尖らせる。
その様子を見たフェリクス様は、嬉しそうな笑みを浮かべると、私の腰に腕を回してきた。
「いつだって私に優しいのはルピアだな。そして、面白くはないが、2人が言うことはもっともだな。私はいつだってルピアを独占できるのだから、君を大切に思う人たちにも、少しばかり君を分けてあげるべきなのだろう」
そんな風にフェリクス様はイザークとバドに譲歩したというのに、彼らは感謝するでもなく、さらにちくちくと嫌味を言ってくる。
「これはこれは、何とも余裕のある発言だな! しかし、いつまでも君にルピアを独占する権利があると思わないことだ」
「僕とルピアの結びつきに比べたら、婚姻相手なんて蜘蛛の糸ほどに弱い絆だよ」
イザークとバドが口にしたのは酷い憎まれ口だったけれど、彼らのセリフはどう見ても本気でなく、揶揄いの言葉だということはすぐに分かった。
けれど、フェリクス様は言葉通りに受け取ったようで、悔しそうに唇を噛み締める。
その姿を見て、ああ、フェリクス様がこんな調子であれば、彼らはフェリクス様を揶揄いがいのある相手だと考えて、ちょっかいを出し続けるのじゃないかしらと困った気持ちになった。
それから、ふと今朝のことを思い出したのだった。
朝食の席で、魔女の生地を訪問できると、いつになく興奮していたフェリクス様だったけれど、そのことをイザークとバドに気付かれてしまった。
そして、興奮している理由を尋ねられたフェリクス様は、魔女の生地を訪問するのだと素直に告白してしまった。
そうしたら、なぜかイザークとバドが同行すると言い出したのだ。
どうやらイザークたちはたまたま時間が空いており、私たちに付いてくることで暇つぶしをしようと考えたらしい。
フェリクス様は私と2人だけで魔女の生地を訪ねるつもりだったから、明らかに不満気な顔をしていたけれど、生来の礼儀正しさが邪魔をして、面と向かって断ることはできなかったようだ。
イザークとバドはフェリクス様の気持ちを十分分かっていながら付いてくるぐらいだから、これっぽっちも遠慮することなく、馬車の中では散々フェリクス様を揶揄っていた。
というか、途中から私にちょっかいを出すことがフェリクス様のダメージになると気付いたようで、私について話し始めた。
「ルピア、君と僕が同じ年だなんて信じられないよ! こんなに若々しく魅力的な30歳は、世界中を探してもいないだろうね」
「しかも、夫の命を救うことができる『身代わりの魔女』だというのだから、ルピアは引く手あまただよね」
「そう言えば、12年前、君の婚約者候補だった貴族たちの中に、まだ独身の者がいるのだよ。よっぽどルピアに未練があったんじゃないかな。今からでも……」
そんな調子で話をしては、ハラハラしている様子のフェリクス様を見て、にやにやしているのだ。
何度注意をしても言うことを聞かないので、私はフェリクス様に小声で謝罪した。
「フェリクス様、ごめんなさい。イザークもバドも、普段はもっと人の気持ちを考えて話をするのに、今日はとても態度が悪いわ」
「ルピア、とても言いにくいけど、イザークもバド様もいつだって私にはこんな感じだよ。ただ、彼らは私に嫌味を言う理由があると思っているし、それは当然のことだから、彼らの気が済むまで私が聞き続けるしか解決方法がないんだ。君に楽しくない話を聞かせることになって、申し訳ないね」
まあ、この中で一番大人なのはフェリクス様だわ。
そう感心した私は、後は全てフェリクス様に任せることにして、黙って皆の会話を聞き続けたのだった。