【SIDE国王フェリクス】王妃ルピア 3
「国王陛下、何か楽しいことでもおありですか?」
執務室で書類仕事をしていたところ、新たな書類を持ち込んできた側近から質問され、自分の頬が緩んでいたことを自覚した。
「いや……」
ただ少しだけ、妃のことを考えていただけだ。
―――とは言えず、ごまかすために咳払いをする。
しかし、同じ部屋で仕事をしていた宰相がぎらりと睨みつけてきたので、彼には妻のことを考えていたことを見透かされているのかもしれない。
視線を避けようと窓の外を眺めたところでレストレア山脈の積雪が目に入り、ルピアの白い髪を思い出した。
何をしても、つい妃に思考が飛んでしまう自分に気付き、表情を引き締める。
「……絆されてきたのかな?」
処理した書類を側近に返しながら、誰にも聞こえないよう口の中で呟いたところで、ああ、そうかもしれないと思う。
そして、それも悪くないなとも。
なぜならルピアは全てにおいて真っすぐで、何事にも全力で取り組む、悪く思いようがない相手だったから。
初めのうちは何らかの意図を持っていて、私に恋をする演技をしているのではないかと疑ったが、ともに暮らすうちに、彼女は何事も表情に出るタイプなのだと分かってきた。
嬉しい時、何かをごまかしたい時、少し落ち込んだ時、―――彼女の気持ちはすぐに分かる。
私への好意を言葉で表現されたことは一度もないが、好意を抱いてくれているのだと信じられるくらいには真っすぐに見つめてくれ、私のために行動してくれる。
恐らくルピアは、生まれつき愛情深いタイプなのだろう。
彼女は両親や兄姉を深く愛していて、新たに家族となった私にもその愛情を向けてくれたに違いない。
彼女はいつだって楽しそうに笑っているし、そんな彼女を見つめる侍女や騎士たちも―――いつだってしかめ面をしている騎士団総長ですら―――思わず笑顔になるため、ルピアがいるだけでその場の雰囲気がぱっと明るくなるのだ。
そんなルピアは厨房や裏庭など、時間を見つけては王宮内の色々な場所に顔を出していると聞いている。
小さな姿でちょこちょこと歩き回る姿は可愛らしく、誰もが面倒を見たくなるのだろう。
だからこそ、わずかな期間の間に、王宮の多くの者がルピアに好意を持つようになったに違いない。
私は先日、私のもとに持ち込まれた伝統料理を思い出していた。
それは、子どもの頃好きだった『クフロス』という揚げ料理だったが、前料理長が王宮を去った際に彼の味は失われ、もう二度と食べられないだろうと諦めていた味だった。
それが6年ぶりに再現されて、目の前に出されたため、私は嬉しくも驚いたものだ。
そして、喜びの声を上げる私に向かって、「王妃陛下が作られたものです」との説明が、すかさずなされたのだ。
翌日、ルピアに礼を言うと、いかにも自分が料理をしたのではないとばかりに、あわあわと慌てた様子だったため、正直で微笑ましいなと思った。
―――大国の姫君が、料理をするはずもない。
ルピアと婚約する前、時折私のもとに女性から菓子類が届けられることがあった。
貴族令嬢方の手作り菓子であったが―――この場合の手作りとは、大体において薄布で菓子類を包むことを指していた。
あるいは、最後に味見をして合格かどうかを判断することか。
高貴なる貴族令嬢にとって、一部でもその製作過程を手伝ったならば、確かにその菓子は「作った」のであって、嘘を言っているつもりはないのだ。
だから、「ルピアが作った」料理が、とても姫君の手には負えないような手の込んだものだったとしても、それは見て見ぬふりをするのがマナーだろう。
ただし、王宮の料理人たちをして、一度は「作れない」と匙を投げた前料理長の味を再現させたルピアの手腕は凄いものだと素直に感心する。
恐らくルピアには人を引き付け、動かすことができる魅力があるのだ。
だからこそ、私を喜ばせたいと思ってくれたルピアのために、料理人たちが全力を尽くして前料理長の味を再現したのだ。
「彼女を見ると、周りの人間はどうにかしてやらなければと思うのかもしれないな。だが、私がどれだけ頼んでも、料理長は『再現できません』の一点張りだったというのに、えこひいきが過ぎる」
ぽつりと呟いてはみたものの、このことは料理長に限った話ではないがな、と思う。
居丈高な大国の姫君に違いないと、ルピアを知る前は苦手意識を持っていた騎士や侍女たちが、いつの間にか雛鳥を守る親鳥のように一心に彼女を守っている。
恐らく彼女には、人を引き付ける天性の魅力があるのだろう。
そして、それは王妃にとって1番大事な資質だった。
「私は得難い王妃を娶ったものだ」
大国の都合に合わせただけの婚姻だったが、今となってはルピア以上の妃などいるはずもないと思われる。
そのため、しみじみと呟いていると、同じ部屋にいたギルベルト宰相が呆れたような声を上げた。
「先ほどから自慢だか、惚気だか分からない言葉を呟かれていますが、もうそろそろ仕事に集中してもらってもいいですかね? はあ、まさか陛下がこれほどちょろいとは思いませんでしたよ。たった1か月半で、ご自分の妃に骨抜きだなんて!」
「いや、骨抜きというほどでは……」
さすがにそこまではないだろうと、小さな声で否定する。
しかし、ギルベルトはきっとした表情で睨みつけてきた。
「何を言っているんですか! 世間では、陛下の状態を骨抜きと言うんですよ! 欠点もひっくるめて、相手の全てがよく見えるなんて、通常ではありえない事態ですから」
「え、ルピアに欠点なんてないだろう」
驚いて反論すると、ギルベルトは両手を振り上げて反論してきた。
「もちろんたくさんありますよ!! たとえばルピア様は偏食が酷いですよね! 基本的に肉を食べないし、喜んで食べるのは野菜と果実のみです! 先日行われた晩餐会の席でも、食事の半分以上を残した王妃陛下を見て、同席した貴族たちが驚いていたではないですか!」
「たったそれくらいで目くじらを立てるな。私だって好き嫌いはあるさ」
「ですが、陛下は全て食されるじゃないですか! 王妃陛下は食事に関して努力をせず、嫌いなものは残されますよ!! 全然違う行為を同じとみなすなんて、それを骨抜きと言うんです!」
私は肩を竦めることで返事に代えた。
口には出さないが、ギルベルトは優しさが不足しているなと考える。
以前、偏食の理由をルピアに尋ねた際、『魔女だから』と返された。
その時に気付いたのだ。
ああ、魔女であることは彼女にとって、安心できる逃げ道なのかもしれないと。
何か不都合なことがあった場合、彼女は己が魔女であることを理由にするのだろう。
―――魔女は、おとぎ話の世界の住人だ。
「昔」魔女がいた「らしい」との話が伝わるのみで、全ては言い伝えでしかないのだから、ルピアが魔女を理由にした場合、誰も反論することができない。
なぜなら魔女は不明の存在のため、「そうではない」と言える者がいないからだ。
だからこそ、魔女であることはルピアの安全地帯なのだ。
そうであれば、私は彼女が魔女であることを全力で守護しなければと思う。
ルピアは身一つで大国から嫁いできてくれたのだ。
勝手が違い、親兄姉もいないこの国で、寂しくなることも、不安になることも多くあるだろう。
そのような場合に、絶対的に安心できる場所が彼女には必要なはずで、それを準備するのは夫たる自分の役割なのだから。
「私はルピアを大事にしようと思う。私の妃であるのだから当然そうされるべきだ」
宰相が睨んでいるのは分かったけれど、私はもう気にすることなく声に出して宣言した。
なぜならそれが、私の義務だと考えていたのだから。
しかし、翌日にルピアが熱を出したことで、私は自分がどれほど彼女に傾倒しているのかを気付かされることになる。






