9 王妃の奮闘 2
「できたわ!」
作り始めてからきっかり3時間後、私は満面の笑みで大皿に盛られた料理を見つめた。
時間をかけた甲斐があって、握りこぶし大のクフロスが20個ほど盛られている。
私のお師匠様は『見た目も料理の内ですから、最後まで手を抜いてはいけません』と教えてくれた。
厳しく教えてもらった分、それなりの形になったと思うけれど、現役の料理人からどう評価されるのかしらと、おっかなびっくり料理長を振り返る。
すると、緊張した様子の料理人たちと視線が合い、そういえば料理指導をお願いしていたにもかかわらず、1度も注意されなかったことに気が付いた。
これはまずいわ。
私の料理がパーフェクトであるはずないので、指導したい場面があったとしても、黙々と料理を作る王妃相手に注意することははばかられたのだろうと今さらながら思い至り、申し訳ない気持ちになる。
というよりも、皆の強張った表情から判断するに、私の料理は大きく作り方を間違えていたのかもしれない。
私は恐る恐る味見用の小皿にクフロスを1個載せると、料理長に差し出した。
「あの、もしよかったら食べて、批評してもらえるとありがたいわ」
「も、もちろんでございます!!」
料理長は料理を直接手で掴むと、器用に真ん中から半分に割った後、そのうちの1つをぱくりと口に入れた。
それから、ゆっくりと時間をかけて咀嚼すると、ごくりと飲み込んだ後に顔を上げて私を見る。
その瞬間、どういうわけか料理長の両目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「ええ!?」
泣くほど美味しくなかったのかしら!?
びっくりして目を丸くしていると、料理長はえぐえぐと泣きながら口を開いた。
「王妃陛下、……完璧でございます! これほど素晴らしいクフロスを、私は6年振りに食べました! 私は王宮の料理長を務めておりますが、これほどの料理を作ることはできません! 見事な料理でございます!!」
「あの……」
さすがにそれは褒め過ぎだろう。
そんなに気を遣わないでいいからと、料理長の褒め言葉を止めさせようとすると、それよりも早く目元を赤くした料理長が口を開いた。
「出過ぎた質問をさせていただいてもよろしいでしょうか? 私は6年前、先代の料理長から王宮の料理長職を引き継ぎました。先代は私がとても及ばないような素晴らしい料理人でして、当王宮の料理長を辞した後はディアブロ王国に移住したと聞いています。先代の名前はチーロ・ロンキと言いますが、もしかしたらご存じでしょうか?」
これほどはっきりと質問をしてくるということは、恐らく全てバレているのだろう。
私は観念して、正直に告白する。
「……チーロは、私の料理の先生だわ」
そう、チーロの息子夫婦が亡くなったため、彼は孫娘を育てるためにディアブロ王国へ移住してきたのだ。
そして、私のお母様により、チーロは私の料理の先生として、ディアブロ王国の王宮に招聘されたのだ―――どうしても彼に料理を作った料理人から教わりたいとの私の希望に沿う形で。
……うう、できれば言いたくなかった。
フェリクス様の元料理人を雇っていたなんて、恐ろしいくらいのストーカーじゃないの。こんなことが彼の耳に入ったら引かれるわ。
そして、明らかにフェリクス様への恋心が溢れている行動だから、告白した私自身も恥ずかしい。
けれど、顔を赤くした私には気付かぬ様子で、料理長は両手を握りしめた。
「ああ、王妃陛下、料理の手順を拝見させていただいた時から、そうではないかと思っておりました!! フェリクス陛下は先代の料理がお気に入りで、彼が去った後もしばらくは『味が違う』と不満足な表情で言い続けられておりました。私はどうしても、先代の味を再現できなかったのです。それなのに、6年の時を経て、この味が蘇ったのです!!」
手放しで褒めてくる料理長を前に、厳しく丁寧に料理を教えてくれたチーロに心の中で感謝する。
「そうだとしたら、チーロはとても丁寧に教えてくれたのでしょうね。私が素人だったから色々と考えることなく、言われるがままに手順を覚えたのもよかったのかもしれないわ」
「お言葉を返すようですが、先代が常に言われていたのは、『食べ手のことを考えて、料理を作れ』ということでした。クフロスの中に詰めてある緑の野菜は、フェリクス陛下が嫌いな食材ですね。だからこそ、王妃陛下は通常の手順とは異なり、緑の野菜だけ中の部分をくり抜いたのですね」
「まあ」
よく見ているわ。
「けれど、くり抜いた部分はさらに手間をかけて細かく砕き、混ぜ込むことで、栄養のバランスは損ねないように気を遣ってあります。これは……先代の作り方です。そして、私にはできないやり方です」
「…………」
何と答えたものかしらと躊躇っていると、料理長は被っていた帽子を手に取り、深く頭を下げた。
「脱帽でございます、王妃陛下!! 素晴らしいご指導、ありがとうございました!!」
「ええ!?」
指導を受けるべきは、私の方だと思うけれど。
目をぱちくりさせていると、私の後ろでミレナが感動に震える声を漏らした。
「ルピア様、我が国の料理を王宮の料理長よりも上手に作られるなど、信じられない偉業ですわ! ああ、さすがでございます!!」
……ええと、違うと思うわよ。
―――さて、ここから先はミレナが聞いてきた話だけれど、フェリクス様は元々、きちんとした夕食を取ることは少ないらしい。
仕事がぎっしり詰まっているため、書類を見ながら少しだけ食事をつまむのが定番のスタイルとのことで……。
その日の夜、夜食としてフェリクス様のもとに持ち込まれたのは、私が作ったクフロスだった。
彼は書類に視線を落としたまま一口食べると動きを止め、目を見張ってクフロスを見つめた。
「……うまいな。私は幼い頃にこのクフロスを食べたことがある。そして、それ以来ずっと食べたいと思ってきた」
その際、すかさず侍従が「王妃陛下が作られたものです」と言い添える。
すると、フェリクス様は驚いたようにクフロスを見つめ、「……そうか」と呟いた。
それから、彼はクフロスを5つも食べたので、その普段にない食欲を見て、誰もが嬉しくて顔をほころばせたとのことだった。
―――翌日の朝食の席で、私はフェリクス様からお礼を言われた。
「ルピア、昨日はクフロスを差し入れてくれてありがとう。すごく美味しかったよ」
「えっ、あっ、はい」
ミレナを通して、私の料理がフェリクス様に出されたことは聞いていたが、私の名前が出されたとは思っていなかったため、どぎまぎして挙動不審になってしまう。
けれど、すぐに嬉しくなり、興奮して答えた。
「た、食べていただけて嬉しいです!」
私の様子を見たフェリクス様が屈託のない様子で微笑まれたので、私の頬は赤くなった。
……嬉しい、夢が1つ叶ったわ!
フェリクス様に私が作った料理を食べてもらえた。
それどころか、美味しいとの感想までもらってしまった。
あああ、嬉しい。
両手を握りしめて感激していると、フェリクス様はねだるような表情でリクエストしてくれた。
「料理をしたからといって、体調は崩してないね? もし差し支えなかったら、時間がある時にまたいつか、同じものを作ってほしい」
「毎日でも作るわ!」
思わずそう返したのは、仕方がないことだと思う。
フェリクス様は目を丸くした後、楽しそうに笑い声を上げた。
その日の朝食室にはフェリクス様の朗らかな笑い声が何度も響き、私は恥ずかしくも楽しい朝食の時間を持つことができたのだった。