110 王宮舞踏会 7
バルコニーの床に跪き、私の体に手をまわしているハーラルトと私を見たことで、あらぬ誤解をされるかもしれない。
誤解されないにしても、ハーラルトは弱っている姿を他の者に見られたくないだろう。
そう考え、この場を収める言葉を発しようとしたけれど、私が口を開くよりも早く、ブリアナ公爵令嬢が大きな声を上げた。
「まあ、大変失礼しました! まさか逢引きの最中とは思いませんでしたので、お邪魔をしてしまいましたわ」
ブリアナが慌てた様子で舞踏会会場に戻ろうとしたので、ハーラルトは素早く立ち上がるとブリアナのもとに行き、彼女の進行方向を塞ぐ形で扉を閉めた。
「ブリアナ嬢、君は恐ろしく不用意な発言をするね。みっともない話だが、僕は体調不良で立っていられなかったんだ。王妃陛下はそんな僕を心配してくれたのだよ」
「……さようですか」
ブリアナは頷いたけれど、私たちをちらちらと見る視線から、ハーラルトの言葉を信じていない様子が見て取れた。
けれど、ハーラルトはブリアナが心の中でどう考えていようとも気にならないようで、彼女が発した言葉に対して返事をする。
「ああ、そうだ。まさか公爵令嬢ともあろう者が、根拠のない噂話に花を咲かせるとは思わないが、念のための忠告だ。君は今ある高位貴族の立場を理解し、責任ある対応をしてくれ」
ハーラルトがこの場で見たことを他言しないよう釘をさすと、ブリアナは理解した様子で頷いた。
「何事にも公表する時期というものがございます。王太弟殿下のご計画を邪魔しようとは思いませんわ」
「ブリアナ嬢!」
ハーラルトは強い調子で名前を呼ぶと、苛立たし気に言葉を続けた。
「王妃陛下に関して、僕に個人的な計画など一切ない。君の勝手な妄想で話を進めるのは止めてくれないか」
「……大変失礼いたしましたわ」
ブリアナの返事を聞いたハーラルトは、彼女とそれ以上話をする気がなくなったようで、片手を振って退出を促した。
ブリアナがバルコニーから出ていくと、ハーラルトは腹立たし気な声を漏らす。
「典型的な高位貴族のご令嬢だな! 出入りを制限されていたバルコニーに勝手に侵入してきたばかりか、見たものに自分勝手な解釈を加え、己の望む方向に話を進めようとするのだから」
ハーラルトは乱暴な仕草でがしゃんとバルコニーの手すりを叩いた。
「普段は礼儀正しい姿を見せていたとしても、咄嗟の場合に本性が出るものだ。彼女は自分の欲しいものを手に入れるため、僕をお義姉様にあてがおうとしてきたんだ」
常にない彼の荒っぽい言動を見て、私はおずおずと口を開く。
「……ハーラルト、私は大丈夫よ」
優しいハーラルトは私のために怒ってくれている、と思われたからだ。
彼はちらりと私を見ると、苛立たし気に自分の指を噛んだ。
「ブリアナ嬢は自分が見たいように一方的に解釈したが、問題なのは、願望混じりの彼女の発言が、概ね当たっているところだ。はあ、僕の立ち位置は難しいな。ルピアお義姉様に恋を囁こうとすると大変なスキャンダルになるけれど、お義姉様の義弟として礼儀正しい態度を取り続けるのも辛いから」
「ハーラルト?」
一体ハーラルトは何を言おうとしているのかしら、とじっと見上げると、彼は皮肉気に唇を歪めた。
「時々、幼い頃の気持ちが顔を出すこともあるけれど、今の僕は16歳だよ」
もちろんそのことは分かっている。私が10年眠っていた間に、ハーラルトは幼い少年から立派な青年へと成長したのだから。
どうやら子ども扱いすべきではなかったみたいね、と反省していると、ハーラルトは私の片手を取り、困ったように見つめてきた。
「ルピアお義姉様、あなたが僕を甘やかしてくれるのは嬉しい。僕は時々、小さな子どもに戻ってあなたに甘えたくなるからね。でも、やっぱり僕は16歳だ。そして、16歳の僕はあなたが好きなんだ」
「ハーラルト?」
突然の告白に、私はびっくりして目を丸くする。
思ってもみないことを言われ、頭の中が混乱したのだ。
ハーラルトは一体どういう意味で発言したのかしら。
小さな弟として? 家族として? それとも、……恋する相手として言ったのだろうか?
ハーラルトは見上げるほどに大きくなったけれど、幼かった頃の彼と接してきた時間が長いため、どうしても私の小さな義弟という意識が抜けてくれない。
だから、家族としての言葉かしら、と自分に都合のいい解釈をしそうになったけれど、ハーラルトはそうではないと首を横に振った。
「家族なのにこんなことを言ってごめんね。でも、言わせてほしい。ルピア、僕はあなたを義姉としてではなく、家族としてでもなく、異性として好きなんだ。とても、とても」
それはとってもシンプルで、だからこそ間違いようのない言葉だった。
衝撃で言葉を発せずにいると、ハーラルトは申し訳なさそうに顔を歪めた。
「ルピアお義姉様を不利な立場に立たせることは、僕が最も望まないことだ。だから、人目がある場所では自重するけど、家族や使用人だけしかいない場所では、少しだけ僕の気持ちを出すことを許してくれる?」
「ハーラルト」
熱に浮かされたようなハーラルトを見て、彼は色々なことを忘れているようねと、冷静に言い聞かせる。
「私はフェリクス様の妃なのよ。それから、あなたも知っている通り、妊娠しているわ」
私の言葉を聞いたハーラルトは、常識を取り戻すかと思ったのに、彼は表情を変えないまま頷いた。
「うん、分かっている。お義姉様が兄上を愛していて、幸せならば、僕だってこんな気持ちにならなかったかもしれない。でも、そうじゃないでしょう。結婚は解消できるし、僕は子どもの父親になれるよ」
「ハ、ハーラルト……」
想定もしていないことを言われ、頭が真っ白になっていると、ハーラルトはぎゅっと後ろ手を組んだ。
その動作は私に触れないし、無体なことをしないというハーラルトの意思表示に見えた。
「急かすつもりはないよ。お義姉様はまだ、新たな恋をする準備ができていないことは分かっているから。でもね、きっとお義姉様はいずれ、新しい恋をすると思うんだ。だから、僕にもチャンスをちょうだい」
「チャンス?」
おうむ返しに問い返すと、ハーラルトはきらりと目を輝かせた。
「お義姉様は気付いていないようだけど、兄上は本当に魅力的なんだよ。そして、その魅力を出し惜しみすることなく、全力でお義姉様にアプローチしている。このまま黙って見ていたら、お義姉様はもう一度、兄上に恋をするのじゃないかな」
「…………」
返事ができない私に向かって、ハーラルトはきっぱりと言い切った。
「だから、僕にもチャンスをくれないか。兄上以外の選択肢として、僕を考えてほしいんだ」
何度同じことを言われても、拒絶しようと考えていたにもかかわらず、ハーラルトの真剣さが伝わってきたため、咄嗟に言い返すことができずに困って彼を見上げる。
すると、ハーラルトの上に月光が降り注ぎ、彼を普段よりも大人の男性に見せた。
あるいは、知らない男性に。
……こんなハーラルトは知らないわ。
そのことが私を落ち着かない気分にさせる。
私は何も答えることができず、ただ無言でハーラルトを見上げていたのだった。






