99 彼のためにできること 2
「ミレナ、王宮舞踏会に参加することになったの」
私室に戻ってそう告げると、ミレナは驚いた様子を見せた。
私が夕食を取っていた間、ミレナも別室で食事を取っていた。
彼女は手早く食事を済ませた後、晩餐室に戻ってきたけれど、その時には既に舞踏会の話は終わっていた。
そのため、私の話を聞いたミレナは驚きに目を見張ったものの、同時に心配そうな様子を見せた。
そんな姿を見たことで、私の抱えていた心配事を思い出してしまい、ぽろりと不安が口から零れる。
「舞踏会にはフェリクス様も一緒に参加してくれることになったの。でも、彼は6年もの間、舞踏会に参加していなかったらしいわ。私のために無理をさせたのでなければいいけれど」
私の密やかな望みは、私のためにフェリクス様が無理をして歪めてしまった事柄を正すことだ。
そのため、彼が以前のように舞踏会に参加してくれるのならば、望みが1つ叶ったことになるけれど、ただでさえ大変なフェリクス様に無理をさせたとしたら何にもならない。
だから、フェリクス様が舞踏会に参加すると宣言した際に、クリスタとハーラルトが大騒ぎをする様子を見て、大変なことをしでかしてしまったと心配になったのだ。
私はミレナと話をしながら、先ほどの晩餐の席のことを思い返す。
―――普段になく慌てふためく2人を見た私は、とんでもないことを頼んでしまったのだと気が付いてはっとした。
それから、フェリクス様がいつものように気安い調子で受け入れてくれたからといって、どれほど大変なことかに気付きもしなかったなんて、と反省する。
私は慌ててフェリクス様を見上げると、舞踏会への参加について再考するようお願いした。
「フェリクス様、ごめんなさい。何年も参加していなかった王が、王宮舞踏会に参加するのはとても大変なことよね。いったん返事をもらった後で申し訳ないのだけれど、この場は保留にして、もう一度じっくり考えてもらえないかしら」
私は上手にその場を取り繕ったつもりだったけれど、フェリクス様は首を横に振ると、憂いのない表情で微笑んだ。
「ちっとも大変ではない。先ほども言ったように、私は君の夫として紹介される機会を与えられたことを嬉しく思っている。安心してくれ、立派に夫の役割を務め上げると約束するから」
フェリクス様の言葉を聞いたクリスタとハーラルトは、呆れた様子で言葉を差し挟んできた。
「まあ、お兄様はこれ以上ないほど前のめりだわ! ルピアお義姉様、どうやら再考の余地はないみたいよ。このまま突き進むしかないんじゃないかしら?」
「というよりも、これが正しい王宮舞踏会の形だよね。ふふふ、兄上が6年ぶりに参加すると分かったら、貴族たちは驚くだろうな。兄上の名前で出された招待状を受け取った貴族たちが、慌てふためく姿が目に見えるようだよ。それから、舞踏会用のドレスを注文するために、ドレスショップに殺到するご婦人方の姿がね」
楽しそうな笑い声を上げるハーラルトに、クリスタがまなじりを吊り上げる。
「まあ、ハーラルトったら、何を言っているの! 今から注文しても、オーダーメイドのドレスが間に合うわけないじゃない」
一方のハーラルトは、分かっているとばかりに笑顔でうなずいた。
「もちろん今度の王宮舞踏会用には間に合わないだろうが、今後も国王の名で舞踏会が開催されることを見込んだご婦人たちが、1、2年先まで予約を埋めそうじゃないか。これは早めに来年用の夜会服を注文しておいた方がよさそうだぞ」
2人の会話を聞いていたフェリクス様は、不賛同を表すかのように片方の眉を上げる。
「王族であるお前たちを優先しないテーラーなどいやしないだろう。好みの店があれば、名前を挙げておきなさい。明日の朝一番に王宮に呼んでおくから」
クリスタとハーラルトは歓声を上げながら手を叩いた。
「まあ、お兄様が超ご機嫌だわ! 今なら何着ドレスをオーダーしても、文句を言わずに買ってもらえそう」
「僕としてはお義姉様と同じ店で、揃いに見える服を注文したいなあ」
2人の軽口はいつも通りだったけれど、ハーラルトのそれはフェリクス様の気に入らなかったようで、その場で注意されていた。
その後、ひとしきり舞踏会の話で盛り上がったのだけれど、フェリクス様は終始機嫌がいいように見えた。
そのため、私にはフェリクス様が舞踏会への参加を喜んでいるように思えたのだ……。
「……けれど、あの時は私自身も高揚していたし、見たいものを見ただけなのかもしれない、と自信がなくなってきたところなの」
私の話を聞き終わったミレナは、迷う様子もなく問題ないと請け負った。
「普段の国王陛下から推測するに、間違いなく喜んで参加されると思います」
ミレナはいつだって思ったことを正直に言ってくれる。
そして、彼女の言葉はいつだって的確だ。
そのため、彼女の言葉を聞いた私は、ほっと安心することができたのだった。
その後、お風呂に入り、ミレナに髪を乾かしてもらっていたところ、ふと舞踏会に着ていくドレスがないことに気が付いた。
まあ、どうして舞踏会に参加したいと発言する前に思い至らなかったのかしら、と私の顔が一瞬で曇る。
舞踏会まで1か月ほどしかないため、ドレスショップに一点物の高級仕立て服を頼む時間はないし、王妃が他の女性と同じドレスを身に着けるわけにはいかないので、高級既製服を頼むわけにもいかない。
どうしよう、私が持っている舞踏会用のドレスは12年前に作った物が最後なのに。
私は鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめる。
この12年の間に、私は随分と痩せてしまった。
全体的にドレスのサイズを直してもらわないと、ドレスはぶかぶかで肩からずり落ちてしまうだろう。
サイズ直しの際に、最近の流行に合わせてドレスをアレンジしてもらえればありがたいけれど、そこまで望むのは時間的に難しいはずだ。
一体どうすればいいのかしら……。
私は困ってしまって、へにょりと眉を下げる。
12年ぶりに舞踏会に参加するのだから、きっと私は注目されるだろう。
あまりにみすぼらしい格好で参加すると、フェリクス様に恥をかかせることになってしまう。
間違いなく私は「フェリクス様の妃」という目で見られるから、恥をかくのは私だけで済まないのだ。
「どうしよう、困ったわ」
思わずつぶやくと、それに応える声があった。
「どうした、ルピア。君の困りごとが何かを、尋ねてもいいかな?」
顔を上げると、戸口にフェリクス様が立っていた。
彼はまっすぐ私のもとに歩いてくると、気遣わし気に顔を覗き込んでくる。
「君を悩ませているものは何かな?」
隠しておいても舞踏会当日に、フェリクス様と一緒に恥をかくことになるので、私は申し訳ない気持ちで話をした。
「舞踏会に着ていくドレスのことを考えていたの。この12年の間に私の体形は変わったから、サイズを手直ししてもらわないといけないわ。それから、ドレスには流行があるから、今の流行りに合わせて手持ちのドレスをアレンジしてもらいたいけれど、時間が限られているから難しいわね、と困っていたところなの」
フェリクス様は私の言葉を吟味するかのように、少し動作を止めて考える様子を見せた。
「……私は女性のドレスに詳しくないが、毎年のように流行が変わるものだと聞いている。12年前のドレスにお気に入りの物があるのならば、今度の舞踏会に着ていけるようアレンジをしてもらおう。我が国の王妃のドレスだ。何としても間に合わせるよ」
「ありがとう! すごく助かるわ」
フェリクス様がきちんと私の話を聞いてくれて、一瞬にして解決策を示してくれたため、私の顔がぱっと輝く。
フェリクス様はすごいわ。
もうどうにもならないと消沈していた事柄を、あっという間に解決してくれたのだから。
笑顔になる私を甘やかすように、フェリクス様はにこりと微笑んだ。
「君が気に入るドレスを着ることが一番だからね」
その後しばらくの間、フェリクス様は髪を乾かす私を見ていたけれど、ふと思いついたように提案してきた。
「君がディアブロ王国から持ち込んだドレスを気に入っていることは分かっているが、今年作ったドレスもいくつか試着してみてはどうかな。もしかしたら新しいドレスが気に入るかもしれない」
「新しいドレス?」
何のことかしらと小首を傾げると、フェリクス様は心許ない様子で尋ねてきた。
「言ってなかったかな?」
そして、すぐに自答する。
「……言ってなかったね」
フェリクス様は渋い表情を浮かべると、手を伸ばしてきて私を立ち上がらせた。
その間に、ミレナは一礼して退室していく。
無言のままフェリクス様に案内されたのは、居室につながるクローゼットルームだった。
普段は入ることがない部屋の中を興味深く見回していると、一番奥にたくさんの煌びやかなドレスが掛けられているのに気付く。
それらは遠目に見ても舞踏会用だと分かる豪華なものだったため、私は疑問に思いながら近付いていった。
というのも、目に入るドレスは全部、見覚えがないものばかりだったからだ。
手に取ってみると、ドレスは見たこともないつるつるした生地の上に、繊細なレースが大胆に取り付けられており、私の知っているドレスとはずいぶん趣が異なっていた。
見回すと、赤色、黄色、緑色、紫色といった鮮やかな色のものから、ブルーグレー、ロマンティックピンクといった淡い色のものまで、全部で1ダースほどのドレスが掛けられている。
「今年のドレスの流行は、胸元にリボンをあしらう形だそうだ。ここに掛かっているのは今年作らせたドレスだから、全てにそのスタイルが取り入れてある。去年作らせたドレスがよければ、反対側に掛けてあるよ」
びっくりしてフェリクス様を見ると、彼は何かを誤解したようで、焦った様子で言葉を続けた。
「それより前のドレスが見たければ、別室に移してあるから、君の居室まで運ばせよう」
どうやらドレスから視線を外したことで、これらのドレスを気に入らなかったと勘違いされたようだ。
そのため、他にもたくさんドレスはあるから、その中に私が気に入るものがあるかもしれない、と彼は言いたかったらしい。
「フェリクス様、これらのドレスは全部私のためのものなの? 今年も、去年も、その前の年も、私のためにドレスを作ってくれたの?」
このクローゼットルームは私の居室に付随するものだから、私のためのドレスであると思うのだけれど、全てが私のために作られたのだとしたらあまりに破格の対応のため、驚きのあまり尋ねてしまう。
フェリクス様は少し困ったような表情を浮かべると、ゆっくりとうなずいた。
「ああ、君はいつ目覚めるか分からなかったし、目覚めた時に着るものがなければ大変だからね。君が困らないよう、毎年、正装用、礼装用、普段着用と、用途ごとにドレスを作らせていた」
その言葉から、フェリクス様が私の目覚めを待っていてくれたことが伝わってくる。
それから、私のことを考えて、快適に過ごせるようにと環境を整えていてくれたことが。
ドレスには流行があるから、今年作った物は今年着なければ、再び着る機会はなかなか訪れない。
私はずっと眠り続けていたから、フェリクス様はドレスが無駄になる可能性があることを、最初から分かっていたはずだ。
それなのに、彼は私のためにドレスを作り続けていてくれたのだ。
ドレスの横に並んでいるお揃いの靴も。バッグも。帽子も。何もかも。
にもかかわらず、フェリクス様は必要になるまで私に一言も告げないのだから……。
「ふふ、ふ、フェリクス様は不器用なのね」
私が眠っている間にこれだけのことをしたのだよ、と恩に着せてもいいはずなのに、フェリクス様はそんなことを考えもしないのだ。
泣きたいのか、笑いたいのか分からなくなり、泣き笑いのような声を出すと、フェリクス様はどぎまぎした様子で返事をした。
「えっ、私は不器用なのか? ……確かに刺繍をしろとか、料理をしろと言われたならば、器用さは期待できないが」
フェリクス様が発した言葉は、私の発言への応答としては的外れなものだったけれど、なぜだかそのことに温かい気持ちが湧いてくる。
ああ、彼は本当に、私のためにやってくれた思いやりのある行為を、一切ひけらかすつもりがないのだわ。
だからこそ、私の言葉にぴんともきていないのだ、と考えて嬉しくなったからだ。
「フェリクス様、本当に、本当にありがとう。ドレスを作ってもらってすごく嬉しいわ」
涙の浮かぶ目で見上げながら、笑顔でお礼を言うと、彼は一瞬言葉に詰まった様子を見せた後にかすれた声を出した。
「……どういたしまして」
多分、彼には言いたいことがたくさんあっただろうに、言葉にされたのはそれだけだった。
そんなフェリクス様を見て、私の目から涙がぽろりとひとしずく零れたけれど―――その後、私の顔に浮かんだのは自然な笑みだった。
その日、とっても不器用で、不器用なことに気付いてすらいないフェリクス様は素敵だなと、私は心から思ったのだった。
大変お待たせいたしました!
更新が遅くなり申し訳ありません。
今後は定期的に更新できるよう頑張っていきますので、読んでもらえると嬉しいです。






