97 フェリクス様の10年間 6
フェリクス様の言葉は、私には本心からのものに聞こえた。
分からないのは、なぜそう思うのかだ。
「フェリクス様、お尋ねしてもいいかしら?」
小首を傾げて尋ねると、生真面目な表情で頷かれる。
「ああ」
「10年前のあなたは私を大事にしてくれたけれど、今のように私を想ってはいなかったはずよ。そして、この10年の間、私は眠っていただけだから、あなたの心を動かすような言動は何一つしていないはずだわ。だから、どうしてあなたが私にこだわるのかが分からないの」
彼はぐっと唇を噛んだ。
「それは、10年前の私が酷く愚昧だったということだ。君が恥ずかしがり屋で控えめだということは分かっていたのに、君が口にしなかった多くのことをなかったものとして扱ってしまった。加えて、己の経験から判断して、君が話してくれたもののいくつかを信じなかった」
私は彼の身代わりになる少し前に、それまで秘密にしていた多くのことを告白する手紙を書いて、彼に届けたことを思い出す。
もしかしたら彼は手紙を受け取った際、軽く目を通しただけだったのかもしれない。
そして、私が眠っている間に丁寧に読み返し、手紙に書いていたあれやこれやを信じてくれたのかもしれない。
あるいは、彼の身代わりとなって眠り続けた私を見て、様々なことを信じてくれるようになったのかもしれない―――私が魔女であることを信じてくれたように。
「私が君のことを理解できたのは、君が眠ってしまった後だった。そして、私が理解した君は、もうどうしようもないほど素晴らしかったため、私は完全に屈服させられたのだ」
「まあ、私はそれほどすごいものは何も隠していなかったわ。やだわ、あなたが『君を美化し過ぎていたけど、現実が見えた』と言いながら去っていく未来が見えるのだけど」
両手で頬を押さえながらそう零すと、フェリクス様はぎょっとしたように目を見開いた。
「天地がひっくり返ってもあり得ない!」
その大げさな言い方におかしくなる。
くすくすと笑っていると、フェリクス様は苦し気な表情を浮かべた。
まるで私が冗談だと受け取ったこと自体が、彼を苦しめているとばかりに。
思わず笑みを消すと、彼は身に付けている上着の前を開き、私の手を掴んで彼のシャツに押し付けた。
「フェ、フェリクス様?」
動揺して彼を見上げると、フェリクス様は激しい調子で言葉を続けた。
「ルピア、私は上手い冗談は言えない。せっかく君が笑ってくれたが、私の言葉は冗談ではなくただの本心だ。ああ、この胸を開いて、心の中を見せることができればいいのに! そうしたら、私の中には君しかいないことが、すぐに分かってもらえるだろう」
そう苦し気に零すフェリクス様の胸元に手が触れていたため、そこから彼の激しい拍動が伝わってくる。
「フェリクス様、……心臓の音が速いわ」
「そうだろう。君が私に触れているのだから、平常心ではいられない」
そう言いながら、間近で覗き込まれた私は、彼の苦しさを見たように思った。
そのため、びっくりしてまじまじと彼を見つめる。
……彼の態度はまるで、10年前に私が彼に恋をしていた時のようだわ。
まさか本当に、私のことを好きでいてくれる……ということがあるのかしら。
10年前と全く変わらない私を、10年経ってより魅力的になった彼が?
罪悪感や感謝の念から私に優しくしようとしている、と考える方が受け入れやすいけれど……演技でこんな眼差しを浮かべられるものかしら。
「……フェリクス様は私が好きなの?」
疑問に思うまま尋ねると、彼は即答した。
「ああ、好きだ」
自分で尋ねておきながら、肯定されたことに衝撃を受けてぱちぱちと瞬きをする。
それから、一呼吸置いて自分を落ち着かせた後、重ねて質問した。
「私があなたの子どもを身籠っているから?」
「違う。生涯君と2人だけだとしても君がいい。……もちろん、君が私の子を産んでくれたら、私は天にも昇る気持ちになるだろうが」
きっぱりと言い切った彼を前に、私はどうしていいのか分からなくなる。
そのため、戸惑いながら彼に尋ねた。
「フェリクス様は私にどうしてほしいの?」
すると、フェリクス様は自嘲の笑みを浮かべた。
「魔女は不幸な男性に恋をすると聞いた。だから、幼い私は君に選んでもらえたのだろう」
フェリクス様の言っていることは、間違いではないけれど……。
「それだけではなかったわ」
私はきっぱりとそう言うと、首を横に振った。
世の中にいる不幸な人は、フェリクス様だけではない。
だから、彼を選んだのはフェリクス様の優しさや強さに魅かれたからだ。
「ああ、そうだね。だが、『不幸であること』が君の選択に大きく影響したのは確かだ。恐らく、魔女の性質は慈悲深いのだろう。相手を救うことに、満足と幸福を感じるのだ。しかし、それでは君ばかりが犠牲を強いることになる」
「そんなことはないわ」
私は2度、フェリクス様の身代わりになったけれど、振り返ってみても一切後悔していないし、不幸だったとも思っていない。
痛くて、苦しくて、大事な人たちから置いて行かれることに寂しさは感じたけれど、それでも彼を救える喜びの方が大きかったのだから。
「私はあなたを救えたことを誇りに思っているの」
思えばそれは、私が初めて彼を救ったことについての感想を述べた瞬間だった。
フェリクス様は驚いたように目を見開いた後、すぐに頬を赤らめると、浮かび上がった激しい感情を散らせようとするかのように瞬きを繰り返した。
「……ありがとう、ルピア」
それから、胸に染み入るような声でお礼を言われる。
「君に救ってもらった命だ、大事にする」
「どういたしまして」と返すと、彼は切なそうに微笑んだ。
「君の質問への答えだが……今後は、私が『不幸だから』という理由ではなく、ただ『私に魅力を感じたから側にいたい』と思ってもらえるようになりたい。君にばかり負担を強いることが二度とないように」
「それは……」
とても難しい要望だった。
魔女にはどうしても不幸な男性に魅かれて、救いたいと思う傾向があるのだから。
返事ができずにいると、フェリクス様はふっと微笑んだ。
「どのみち、私の不幸は全て君が取り去ってくれた。だから、私に不幸はひとかけらも残っていない。そのため、いったん私への恋心を捨て去った君が、不幸を理由に私を選ぶことはないだろう」
フェリクス様はそこでいったん言葉を切ると、陰りのない微笑みを浮かべた。
「今後は、『君が幸福にする者』ではなく、『君を幸福にする者』として選んでもらえるよう努力するよ」
本日、ノベル2巻が発売されました!
全体の半分近くを書き下ろしており、ぜひぜひ読んでもらいたい出来栄えになっていますので、お手に取ってもらえると嬉しいです。
★アスター公爵視点でのフェリクスと対決する話
★ルピアがフェリクスに合わせてドレスを着替えていたことを彼が知る話
★ルピアがフェリクスの聖域を刺繍していたことを彼が知る話
★ビアージョ総長の後悔と反省と王妃を護る決意
★ルピアが眠りについて5年目のフェリクスの寂寥と恋慕
★フェリクスがルピアの家族、イザーク、彼女の婚約者候補者たちと対峙する話
★ルピアの寝室からフェリクスを追い出そうとするミレナとフェリクスの攻防
★深酒をしてルピアを褒めまくるフェリクスと、いいことを考えたつもりのルピア
★リスの扮装をしたクリスタ&ハーラルト&ルピアとフェリクスの深愛
また、発売を記念して、出版社H.P.にSSを掲載していますので、よければご覧ください。
★SQEXノベル「身代わりの魔女」
https://magazine.jp.square-enix.com/sqexnovel/novel/2023.html#m06-02
「【SIDEフェリクス】たとえば私が2色の髪色だったならば」
どうぞよろしくお願いします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾






