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待ち伏せ 前後

作者: ロマンガさん

本作はあらすじでも述べた通り、ティム・オブライエン著、村上春樹訳の短編集「本当の戦争の話をしよう」に収録されている「待ち伏せ」を原作とし、プロローグともエピローグとも捉えられるストーリーとして作られております。ぶっちゃけ本作を読んだだけでは意味がわからないと思います。なので是非、本編の「待ち伏せ」と合わせて読むことを推奨します。本作を先に読むか後で読むかで本編の読み味も変わるので、新鮮な読者体験ができることでしょう。本編は戦争文学ということで頭空っぽにして読むことは難しいけれど、5ページしかないので気軽に読めます。これを機にレッツ文学チャレンジ!

 久し振りに彼の姿を見た。

 私が殺した男の姿を。

 彼は黒服を身に纏い、ゴムのサンダルを履き、弾薬帯を掛けぶら下げて特徴的な猫背で佇む。

 私に向かって何かを言うでもなく、かと言ってただじっと見ているわけでもなく、意味ありげな視線を私に送ってくる。

 私は彼を観察する。彼を見ている時、不思議なことに声を出すことができない。故にコミュニケーションを取ることはできず、私はただ彼を見て、彼が私に何を伝えようとしているのかを、私自身の感性を以って汲み取らなければならない。しかし、未だに彼の気持ちを理解することはできない。

 私はどうしても答えが知りたい。あの時、私が彼の人生を奪ってしまったことは仕方のない事だったのか。それとも。

 彼は、頭をかしげて、私の前、数ヤードの所を歩き過ぎ、そして。ふっと微笑む。

 

 そこで私はいつも目を覚ます。私は書斎にある椅子に深く腰をかけていた。今日は朝からずっとこの部屋にこもっていたのだが、なんだかこの部屋の空気が新鮮に感じられる。手にしていたはずの万年筆は床にあり、眠気を覚ますために手に取ったティーカップはひんやりしていた。一息ついて万年筆を拾おうとした時、コンコンと可愛らしいノック音が聞こえた。

 「どうぞ」

 声の調子を穏やかなものにして、ノックした者に応える。すると、ドアがゆっくりと、遠慮がちに開かれる。その光景が妙に愛おしい。

 「お父さん、ディナーができたよ」

 娘のキャスリーンがわざわざ私にそれを伝えに来てくれたようだ。

 怨嗟にまみれ、血で血を洗うような戦争を経験したこの私にも、今や家族がある。他人の命を奪ったことのあるこの私が、自分の命を繋ぐことに後ろめたい気持ちや罪悪感が無かったといえば嘘になる。私は戦争を経験した被害者であると同時に加害者でもある。

 家族ができたばかりの当時は、幸せになることができなかった同志たちが夢に出てきて、心苦しい日々が続いた。しかしそれも家族が寄り添ってくれたことで、今ではもうそのような夢を見ることは無くなった。

 この世界は混沌に満ちている。

 戦争を忘れてしまえと言う者もいれば、戦争の記憶は永遠に継承されるべきだと口説く者もいる。

 私が彼を殺したことを正しかったと言う者もいれば、間違っていたと非難する者もいる。

 この世界の真理は、その殆どが濃密な霧の向こうに隠れているため、それを見つけるのは非常に困難である。しかし。

 「お父さん?」

 少なくとも娘の温かみだけは、確かに感じることができる。

 「キャスリーン。今行くよ」

 私は立ち上がりキャスリーンに歩み寄る。彼女は何かを期待していたようだったので、お望み通りキャスリーンの体を抱き上げ、頰にキスをしてやる。

 「お父さん、お髭がジョリジョリして痛いよ」

 無邪気に笑うキャスリーンを見ていると、私まで無邪気に笑えてくる。この笑顔を永遠に守っていきたい。改めてそう感じた。

 

 食後、ソファに座り何気なくテレビを見ていると、キャスリーンが私に寄りかかってくる。その姿がまたなんとも愛くるしいのだ。

 テレビでは戦争に関するドキュメンタリー番組が放送されていた。それはキャスリーンの目にも映り、彼女は九歳の少女らしい大きな瞳をこちらに向けて、九歳とは思えないような質問をする。

 「お父さんって戦争の話ばっかり書いてるじゃない?」

 と娘は言った。

 「だから誰か殺したはずだって思うの」

 私は少し困ってしまった。でも私はそうするのが正しいと思うことをやった。

 「まさか、殺してなんかいないよ」

 と言って、娘を膝の上に乗せてしばらく抱きしめた。私はいつか娘が同じ質問をしてくれたらいいのになと思う。

 暫くそうした後、キャスリーンを膝からおろし、テレビのチャンネルをアニメに変えてやった。


 書斎に戻った私は椅子に深く腰を沈め、深く考え込む。

 結局、彼はなぜ私の夢に現れるのだろうか。私の中に潜在的にある罪の意識がそうさせるのだろうか。だとしたら、なぜ彼は私に微笑むのだろう。まさか、彼は死を望んでいたのだろうか。

 ふと当時のワンシーンが脳裏に蘇る。私が投げた手榴弾と、それに気付いた彼のシーン。

 自分が言うのはどうかとは思うのだが、あれは逃げることができたはずだった。彼は私が投げた手榴弾に素早く気付き、武器を瞬時に捨て去り、逃げる準備は万端だったのだ。しかし、寸でのところで彼は躊躇した。その行為は、生きることを放棄したと決定づけても過言ではないだろう。

 では何故、彼は生きることを諦めてしまったのか。一番に考えられるのは銃弾が舞う生活に嫌気がさしてしまったといったところだろうか。だがその考えは浅はかすぎる気がしないでもない。

 結論からして、今の私には答えを導き出せることはできない。だから私は繰り返し考える。ティム・オブライエンという戦争を経験した人間のノンフィクションの物語と、戦争を経験した物書きが紡いでゆくフィクションの物語を、何度も反芻し、新たな解釈を見つけ出す。それが私の追い求める正解への近道かもしれない。

 そう思うと居ても立っても居られない。私は引き出しから万年筆と原稿用紙を取り出す。

 私は目を瞑り記憶を呼び起こす。凄惨で悲劇的で、そしてどこか幻想的であったあの日の思い出を。

 戦争には運命など無かった。生きるも死ぬも必然の中にある。私が彼を殺したのも、彼が私に殺されたのもそうだ。運命などではない。私が戦争のルールに基づいて殺したのだ。そしてあの男は必然的に殺された。

 で、あるならば。

 もしかしてあの男は…。もしそうだとすれば…。仮にタイトルはこうしよう。

 「待ち伏せ」

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