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イマワノキワニ  作者: ジョセフ武園
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カルテ#2 戸羽篠 美奈さん

 それは、もうすぐ恋人たちの楽しそうな声が聴こえてきそうな10年程前の師走の出来事だった。


「ん? 」検温に回っていた小暮はその病室のドアを越して聴こえる楽しそうな声に気付いた。

「……戸羽篠さんの病室だな」

 検温器具が載った小さめのワゴンを押すと、そのドアをノックする。


「失礼します。午後の検温を取りに来ました」


 入り口の小暮に病室の中にあった6つの目が集中する。


「あら~、今日は小暮ちゃんなのね~よろしく~」

 そうにこにこと笑う黒髪の女性がこの病室の主。戸羽篠(とばしの)美奈(みな)さんだ。歳は丁度小暮の一回り程上。


「ごめんなさいねぇ。すぐにアタシ達も部屋に戻るから~」そう言って化粧台から腰を上げたパーマの女性が中川(なかがわ)啓子(けいこ)さん。戸羽篠さんより5歳ほど年上の女性だ。既婚者で小学生の子どもが一人いる。

 そして、その中川さんと一緒に立ち上がった眼鏡の女性が倉木(くらき)三奈(みな)さんだ。戸羽篠さんとほぼ同じ年齢で同じ名前、既婚者だがお子さんはいない。


「あら、いいわよ~。もっとゆっくりしていってよ~」

 戸羽篠さんの甘えた声に、2人は顔を見合わせて一斉に小暮に向く。


「……戸羽篠さんがよろしいのなら」と彼女は小さく微笑んだ。


 戸羽篠、中川、倉木の三人はこの1カ月に入院しており。ほぼ1日中三人で過ごしている事が多い。その為病院スタッフにも知れ渡っている仲良し三人患者として認知されている。


 だが、それは特段に不思議な事ではない。

 年齢が近いとか。同性だからとかではなく。もっと大きな要因がある。



 2010年代前後に社会のあらゆるメディアで取り上げられて注意を促された疾患がある。

 医療用語で『マンマ』と少し可愛げのある呼ばれ方をしているそれは。


 乳がん。

 主に中年期の女性に多く診られる癌であり、早期発見する検査がサーモグラフィーによる少し変わった方法である事もあり、当時は検査を受ける人が少なく。

 診断が下った時には手遅れ。という患者が多々見られていた。


 三人は同時期に同じくらいの進行のマンマが見つかり、そしてこの病院が採用した薬物療法を受けに入院したという絆に近い共通点があったのだ。


 不安が大きかったのだろう。

 だから三人は常に寄り添い、互いの完治を信じていたのだ。


 それから、僅か十日ほど過ぎたある正午。

 その日は、北部では雪が降っているのではないかという程の寒さだった。


「小暮ちゃん。窓……開けてくれない? 」

 病室で点滴の取り換えをしている時に、不意に言われた言葉だった。


 戸羽篠は、抗がん剤の副作用で強い吐き気を覚え、食事が一時中止し現在は点滴で水分と栄養を補給している状態だった。最近はあの元気そうな声も出ていない。

 それもその筈だった。

 彼女の癌は凄まじい速度で進行し一昨日の夜からステ部屋に移っている。


 小暮は戸惑いながらも、少しだけ窓を開いた。肺の中まで冷やしてしまいそうな風が待っていたかのように入ってくる。

 丁度ほぼ同時に、病室のドアも開いた。

「ありゃ、寒い? あ、これは小暮さん。こんにちわぁ」


 入室してきたのは戸羽篠の母親だ。丁度年的にも小暮の祖母に近いくらいだった。人懐こい笑顔が確かに戸羽篠の面影を感じさせる。


「母さん? なぁにそれ」

 その言葉に嬉しそうに母親は手に持ったビニール袋をガサガサと動かした。


「イチゴジュース。あんた好きだったからこれなら口に入るかもって父さんが探してきてくれたんよ」

 それを見た戸羽篠はクスリと笑うと。

「ありがと、また後で飲むから置いといて」といった。

 母親が缶を置いた所には何本もジュース缶が開封されないまま置かれている。


「戸羽篠さん、そろそろ私、行きますので窓閉めますね? 」

 小暮の言葉に、戸羽篠は小さく首を横に振った。

「もう少し、開けたままにしてもらえませんか? 」


「えっ」窓に手を掛けていた小暮は驚き止める。既に手の甲が凍る様に冷えていた。


「すみません。小暮さん。娘が満足したら、わたしが閉めておきますので~」

 それを察した母親がそう言うと、戸惑いながらも小暮は頷いた。


 部屋を出る時だった。

 ふと振り向くと戸羽篠が窓の方に身体を向け横になり、その背中を母親が大切そうに、大事そうに優しく優しくなでていた。

「ありがとう、ママ」


「ええんよ、ええんよ」


 その小さな二つの背中が震えていたのは、きっと寒かったからではないだろう。



 その週末、戸羽篠さんは亡くなった。



「小暮さん、これ戸羽篠さんのお母さんから、皆さんにって~」

 詰め所横の休憩所には、両親が娘の為に買ってきたが、とうとう1本も開封されなかった缶ジュースが沢山置かれていた。


 あの後、やはり一番若かった戸羽篠が亡くなった事が大きかったのか、中川は家族との時間を大切にしたいと最先端医療の病院に移り、倉木は夫が信頼している気孔の先生の元へ移った。

 仲良し三人組の居る景色は、思い出だけとなった。





 賑やかなネオンが街を彩ると、小暮は毎年この患者の事を思い出す。そして。


 親子は。


 いついつまでも親子なんだと。

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