9・中身一般人の悪役、宗教の教祖となる★挿絵あり
その日、『神々の光』本部のちいさな一室では、罵声が飛び交っていた。
「おい! 誰だよ“聖水”盗みやがった信者は!! 監視カメラをすぐに確認しろ!」
「はっ、はい!」
白衣の老人が、パソコンに張り付く部下の信者に怒鳴り散らしている。
「クソッ、最悪だ。俺を崇拝する信者が、裏切るような真似をするとはな」
そう言ってペッと唾液を吐き捨てる男は、いつだか街頭演説を行っていた、清らかな候補者とは似ても似つかない。
カタカタとパソコンが叩かれている中、ガチャリとドアノブが開かれる音が反響した。
その瞬間、室内に重苦しい重圧感がのしかかった。
現れたのは細身の男だ。長い前髪がその顔を覆い隠していて、薄ら寒い雰囲気を放っている。
「……依存させすぎたようだな」
威圧的な声で呟く前髪男。
その存在に気付いた白衣の男は平伏した。
「ッ、申し訳ありません! シュン様、この失態は私の……」
「良い。
それよりだ。江戸愛実から接触があったようだな」
「……ええ。ですが、娘にだけは――」
「取って喰おうとは言わん。ただ、従うだけで良い。
私からの命令は一つだ。
江戸愛実と会え」
「っは……?」
「――今日の夜8時。約束があったろう?
メールに返信しろ。そして顔を合わせろ。
以上だ。逆らったらどうなるのか……わかっているな?」
それだけを言い残して、男はふらりと部屋から消えた。
恐怖心からか、白衣の男ははたりと両膝をつく。
「クソ……クソぉ……。
どうしてこんなことに…………」
ぽろぽろと涙を流して、悔しさに顔を青ざめる男。そんな男の肩を叩く存在があった。
パソコンで監視カメラを確認していた部下の信者である。
「……伝道師様。
それらしき映像が見つかりました……が、その……」
「何だ? 早く言え!」
「……とにかく、映像を見てください!」
監視カメラの映像が再生される液晶画面に張り付く白衣の男。
しばらく鑑賞した後、男は怒りに任せて液晶画面を拳で叩き割った。
「ッなんっで……! どういうことだよ……!?
怪獣が聖水を盗みやがった――!」
――爬虫類型の背が高い怪獣が、フラスコを次々と鞄に入れていく映像が、無事だった液晶画面の端々に流れていた。
*
午後8:02分。
「来ない」
「………………連絡しましょうか?」
「いや、まだだ。来るまで待つ」
後田、俺、愛実がセットされた舞台にて。
俺たちが座るのは隅っこの席。窓から離れている場所で、外からの視線を遮るパーティション付きだ。
既に約束の時間から2分は過ぎている。
たいていこういう約束は時間丁度か5分前に到着するものだが……。魂胆を見抜かれたか?
そう疑い始めた頃だった。
「いらっしゃっせー」
来た。
黒のスーツに身を包んだ男性。顔の皺は深く、愛実の父というよりは祖父と言われたほうが納得がいく。
「連れがもう着いている筈なんですが……」
「こちらッス」
後田の案内に連れられて、男性が俺たちの近くにやってくる。
(二度目だな、伝道師サマ)
男性は、愛実の横に座る俺の姿に目をかっぴらいて固まった。
――あれは、俺が入団試験と言われて、真っ白い部屋に連れて行かれた時。
祈祷師のような白服に身を包んだ”伝道師”サマと対面した俺は、嘘八丁で『神を信じてます!』アピールをして、見事合格したのだ。
動かない父を見かねたのか、愛実が「座って」と反対側の席に手を向ける。
渋々といった様子で誠一は着席した。
カウンターの後田にアイコンタクト。『店を閉めろ』の合図だ。
後田はCLOSEDの看板を飾りに外に出ているだろう。残されたのは3人の客だけ。
(これで邪魔者は入らないな)
「愛実。どういうつもりだ」
「……父さん、私は貴方にお話があって呼んだの」
俺は聞きに徹する。親子の会話には入らない。暗黙のルールだ。
「話? そんなの、家ですればいいだろう。大体お前は帰ってこなさすぎる。
神の愛し子たるお前なら――」
「黙って。そんな話をしにきたんじゃない。
単刀直入に言います。私は彼、新巻ヒロトさんと結婚します」
ひゅーう。
あ、伝道師サマ、また固まってる。
「なっ……」
「もう一度言うわ。私は彼と結婚する。
なので、婚姻届に証人が必要。父さんにはそのために印鑑を持ってきてもらう必要が……」
「――俺が許可した覚えはない!」
ダン、とテーブルが叩かれる。
愛実は震えている。……大丈夫、と俺は手を重ねた。
「お飲み物はお決まりですかー?」
丁度いいところで、後田の援護が到着だ。にこにことハンディを見せつける後田に、誠一は苛つきながら注文している。
「チッ、ホットコーヒー1つ」
「私はレモンティーで」
「僕は……ん、カフェラテで」
各々の好みでドリンクを注文する。「かしこまりっス」と雑な敬語でオーダーを確認している後田に、再び目配せを送った。
(間違えるなよ)
(ウス!)
案外、喋らずとも通じ会えるものだ。
「……何故だ。
何故、お前がその男を選んだのだ。
何人も見繕ったではないか。お前の美貌、頭脳、身体能力と釣りあうエリート達を。
……それなのに、お前が連れてきたその男は、凡な教団の信者……」
「…………貴方は信者たちを何だと思っているの!?」
低いトーンで語る誠一に、激怒する愛実。
(めちゃめちゃ修羅ってんなー)
「何だと、だって?
そんなの……馬鹿なやつだと思っているよ!
無邪気にカネを落として、無邪気に祈りを捧げて、それで救われるなんて、勘違いも甚だしい。俺の養分になっていることに気付かない、哀れなネズミだ」
「……!」
俺を見てニヤリと笑う誠一。
……そうか。こいつは俺を教団から切り離して、愛実と別れさせたいのか。
「……薄々、貴方がそういうつもりなのはわかっていた。
今日は徹底的に話し合いましょう。その歪んだ考えを矯正してあげる」
「ああ? お前と話すことはない。俺はもう帰る」
そうやって話を切り上げようとした伝道師に、ドリンクを持ってきた後田が声をかけた。
「あっ、お客様! せめて、当店自慢のコーヒーだけでも、お飲みになって下さい!
今日はスペシャルブレンドなんです。他のお客様には秘密ッスよ?」
人を乗せるのが上手になってきたじゃないか後田。
不満たらたらな様子の誠一だが、後田の期待のこもった視線に、渋々とコーヒーに口をつけた。
――チェックメイト。
「んぐっ……。
では、再度聞く。お前は何故その男を選んだ?」
「そんなの決まってるでしょ?
私が彼を選んだのは――」
と、その時だった。
誠一の上半身が、テーブルに崩れ落ちた。
「あら。
父さん、疲れ果てて寝ちゃったみたいです」
「そうみたいですね。徹夜でもされたんでしょうか?
店員さん! 僕たちのぶんのドリンクは結構です! 料金は置いておきますから!」
「ハーイ! かしこッス!」
重症の不眠症患者用の強力な睡眠薬を入れたコーヒーは、すぐさま流し台に放流されることだろう。
俺たちは、昏睡する誠一を担ぎ、元・劇団の寮に向かった。
愛実が寮に入るのはボスに認可済みだ。箝口令が敷かれているのか、道中ですれ違う怪獣どもは一人もいなかった。
劇団寮(現・秘密結社)の地下1階。
薄暗い拷問部屋のような一室に入室したら、まず誠一に手錠と足枷を装着し、次に胴体と膝を縄でグルグル巻きにする。
あと、手錠より手前の手首に、アマゾンで2000円でポチった中華製のスマートウォッチも付けておく。これでひとまずのセッティングは完了だ。
拷問部屋の扉が閉められる。
……さて、伝道師サマは、朝までおとなしくお留守番できるかな~?
*
誠一がそれに気がついたのは、己の胴体をぎゅうぎゅうと圧迫する感触が発端であった。
次に気付いたのは、異様な身体の緊張。全身が凝り固まっていて、指先の感覚が鈍い。
恐る恐る、目を開けて――誠一は絶句した。
――天井から吊り下げられた首吊紐。
右手に見えるのは、中世の処刑道具、ギロチン。
壁に立てかけられている用途不明のノコギリ。そして部屋の中央に備え付けられた電気椅子。
地面に滴る血痕に、過去に使用者がいたことも伺える。
……背筋が凍るようだった。
悪趣味としか言いようがないその部屋で、誠一は己の状態も把握した。
ガチガチに拘束されている。
「クッ……何が起こった……!?」
昨日の記憶が曖昧だ。愛実に呼び出されて、カフェに行って……それから、どうした?
頭痛がひどい。ズキンズキンと痛む頭で、必死にこの状況を推理する。しかし、現状を打破する方法も、現状に至った経緯も、回らない頭では考えつかない。
焦りが心臓の鼓動を早めて、誠一は命の危機を察する。大声で叫んでやろうか、なんて考え始めた時――
「おろ、遅いお目覚めでしたか」
「おはよう。父さん」
――現れたのは二人の男女。愛実とヒロトだった。
誠一はその瞬間、すべてを思い出した。
己をカフェに呼び出した愛実。やけにコーヒーを進めてきた店員。なぜか愛実の隣にいたヒロト。
脳細胞が老化した誠一でもわかる。これは明確な計画犯だ。
「――――騙したな!?」
「騙したなんて人聞きの悪い。私達は倒れた父さんを介抱してあげただけよ。ね、ヒロトさん?」
「ええ、そうですよ。お疲れのようだったので、僕が部屋まで連れてきてあげたんです」
ニコニコと、世間話をするように笑い合う二人の姿に、誠一は思わず身を震わせる。
両手を後ろで組んだ愛実が、誠一にゆっくりと近付いていく。
この状況下で、不気味なほど笑顔な娘にゾッとした誠一は、思わず身体をよじった。しかし、抵抗むなしく拘束は外れない。
「父さん。私、父さんに言いそびれてることがあったわ」
「ひっ…………な、なんなんだよ……!」
ひた、ひた、と。
小さな歩幅で距離を詰めていく愛実。
「私、前、神様なんて信じないって言ってたわよね」
「だっ、だからなんだって…………」
ひた、ひた。
「実は、あれは嘘だったの。
父さん。父さんは、神様の声なんて聞こえないでしょう?」
「は、ハァ!? 俺は伝道師として信者に――」
ひた、ひた。
「私は、神様の声が聞こえるの。
神様に触れられる。お話できる。一緒にご飯だって食べれる」
「………………」
愛実の足が止まった。
「私の神様は、悪のヒーロー。
スタントマン様」
誠一は、顔を真っ青にして硬直している。
「その神様が言っているのなら――貴方を殺してしまっても良いですよね?」
愛実の手に握られていたのは、銀色に光る包丁。
その刃先が誠一の心臓に向けられ――
……グシャリ、と。
縄を突き破った包丁が、誠一の肉を抉った。