7・悪役(のフリをした一般人)、悪事を企てる
「ホットコーヒのブラックとサンドイッチセット1つッスー」
「はいよー」
後田の勤務するカフェには、最近よく見る新規の常連客がいる。
いつもの定番メニューは、コーヒー付きの朝食セット。時間帯はほぼ午前中。
毎日のように現れる彼は、古参客お目当ての見物客となっていた。
「ども」
「ッス」
俳優もかくやという容姿の端麗さを晒す彼の職業は、フリーター。
――元警察官の博雄である。
言葉少なに着席した彼は、毎日朝食を摂りながら、窓際の席で外を眺めるのが日課となっていた。
女性の多いカフェでは、そんな退廃的な雰囲気を醸し出す博雄を見守る固定客すらつくほどであった。
(……相変わらず人気ッスねぇ)
オーダーを取りながらちらりと彼を盗み見る後田。結局顔か、と嫉妬じみた感情を抱きつつも、笑顔での接客は欠かせない。
(ま、特に探ってくる様子もないし。
怖がる必要はなかったって事ッスかね?)
最初は敵対組織である博雄に、いつ摘発されるかと恐る恐る接客していたものだが、1週間も過ぎてしまえば慣れたものだ。
そもそも後田は悪事を行っていないのだ。彼に疑われる要素は1つもなかった。
チャリンチャリン。
扉につけられた呼び鈴が鳴る。新たな来客だ。
「いらっしゃいませー。
2名様ご案内ですー」
案内のために客を誘導する後田。
(…………ん?
んん???)
しかし、いつものように席に案内しようとしたところ、後田の違和感センサーになにか引っかかったらしい。
2人の片割れ。つややかな黒髪に、黒縁メガネをかけた長身の男。そこそこの美丈夫が伺える。
その客とは初めて会った筈……なのだが、何故か見知った気配を感じた。
(…………いやー、まさか、ねぇ)
見覚えがある顔であった。
(……先輩がこんなとこに来るなんてありえないッスよねー…………?)
他人の空似だろう、と疑問をしまい込んで、仕事に戻る後田だったが、そのモヤモヤは一向に晴れることがなかった。
*
「実は、俺の友達が怪獣に襲われて……目が覚めるかもわからないって言われたんです……」
落ち込んだ様子で、黒髪の男は語る。
反対側の席に座るのは、ふくよかな見た目の中年女性であった。常ににこにことした笑みを絶やさない雰囲気が、逆に胡散臭さを感じさせる。
「まぁ、そんなことが……。お辛い経験をされたのですね」
「はい……最後に話したとき、俺たちは大喧嘩して別れて。
謝ろうって思って会いに行ったら、彼のご両親にそう言われて……。
……もう、どうすればいいのかわからない」
目線は揺らぎ、身体はふるふると震えている。
女性は哀れな子羊を見るように、眉尻をきゅっと下げた。
「それは、大変な事件でしたね……。
……実は、私も似たような経験がありました。
あれは、30代の仕事ざかりの頃でしょうか。私の父が事故にあって、植物状態になりました。
もう二度と言葉を交わせないかもしれない、と医者に告げられて。
それはもう、失意のさなかでした」
「…………貴方もそうなんですね……」
「ですが、父は、半年後にふと目を覚ましたのです。
どうしてだと思いますか?」
「え、と……わかりません」
「私はあの頃、何かに縋りたくて、ただ一心不乱に祈りを捧げていました。
その祈りが、天に通じたのでしょう。父は目が醒めた後、神様に会ったと言うのです。
その神様の特徴は、私が祈っていた神様そのものでした……」
女性は両腕を大きく広げ、芝居がかった声で続ける。
「新巻さん。
祈りましょう?
今はただ、絶望の底で打ちひしがれているかもしれません。いつか消えてしまいそうで、とても不安定に見えます。
ならば、仮初の”生きる道筋”を決めるのです。強がりだとしても、それが生きる原動力になります!」
「…………!」
そう言って、女性はカバンから1冊の本を取り出した。
分厚い冊子だった。謎のシンボルマークが描かれた表紙には、『神々の言葉』と銘打たれている。
「こちらの本を差し上げます。
1ページだけでいいので、読み進めてみてください。きっと、貴方の人生が良い方向に変わる転換点となる筈です。
私からの助言はここまで。また聞きたいことがあれば、いつでも連絡してくださいね」
「ありがとう、ございます……。
気が楽になった気がします」
「いえいえ。私達は、いつでも貴方を歓迎します」
ちぐはぐな関係性の二人は、話を終えるとすぐにカフェを出ていった。
――その話を聞いていた者が二人。
(イルカの描かれた絵画とか買わされそうな人ッスね。
ま、オレには関係ないッスけど)
(悪質な勧誘、ではなさそうだが……怪しいな)
迷える子羊と宗教勧誘。
それが二人の共通認識であった。
*
数日後。
朝の時間帯に、見覚えのある、カフェで話す1組の男女の姿があった。
「聞いてください!
俺、あれからあの本を読んで、書いてある通りに毎日お祈りしてたんです。
そしたら、友達が目を覚ましたって連絡があって…………!」
「まぁ! それは良かった!
ご友人とはもう会われましたか?」
「いえ、まだ電話だけなんですけどね……でも、彼、あのときはごめんって謝ってくれて。俺も謝って、今度お見舞いに行くって、仲直りできました!」
「うふふ。新巻さんの祈りが天に通じましたね」
「そ、そうですよね!?
だって、急に目が覚めたって……! 経過も良さそうで、神様が俺にプレゼントをくれたとしか考えられないんです!」
目をキラキラさせて語る黒髪の男。
それを遠くから見つめる後田は、可哀相なものを見る目をしていた。
(バカだなー。そんなのたまたまに決まってるのにねぇ。
こんな騙されやすくて頭弱そうな男が先輩のワケなかったッスわ)
実際の所、顔つき、仕草、歩き方まで、”先輩”の堂々としたものとはかけ離れていた。
黒髪の男は、パッと見弱々しく、自信なさげな態度が目につく普通の青年と言っても差し支えない。
「あの…………良ければなんですけど。
俺を、神々の光に入会させてください!」
「…………あらあら。
本に記載された『指針』を読まれたと思われますけど、入会には試練がありますのよ? 自信があるのですね?」
「ハイ! 俺、絶対に”伝道師”さんに認められるように頑張ります!」
「かしこまりました。
では、こちらの契約書にサインを。印鑑も持ってこられましたわね?」
「ええ!」
そう言ってサインペンと一切れの紙を取り出す女性。
さりげなく、住所の記入欄と印鑑を押すスペースまであるあたり、裏を感じさせた。
男は躊躇せずに署名と押印を行う。達者な字で書かれた”新巻ヒロト”の5文字に、女性はにんまりと口角を上げた。
「では、ついてきてください。
伝道師様はいつでもお待ちですよ」
「え、今すぐっすか……?」
「はい。『神は決意を即ち(すなわち)受け取りし』、です。
ささ、教団はあちらになりますゆえ」
「うう……緊張する……」
「そう焦らず。自然体の貴方で良いのです」
今回の相談会はあっさりと終わったようだ。
強張った表情の男と、にやにやが止まらない中年女性を見送った後田は、その後に続いて退店する博雄に「あざっしたー」と挨拶を終えて、通常業務に戻るのであった。
*
江戸 愛実はストーカーである。
彼女は好きになる人間の数こそ少ないが、その分深い愛情を注ぐタイプだ。
しかし、愛情表現が下手くそな彼女は、『片思いなのに一方的に話しかけるのが申し訳ないから』、なんて理由でストーカーをしてしまう癖があった。
当人からすればはた迷惑であるが、彼女のストーカー歴は1歳の頃から。
具体的には親愛なる実の兄に対して始まったという、生まれきっての才能なのだ。
(……今日も遠くから見させてもらいます、蛇沼様……)
電信柱の後ろから、黒髪のウィッグを被った蛇沼をじっと観察する愛実。
愛美は一応地味な色の服を着用してはいるが、その明るい髪色で擬態が台無しだった。
ちらちらと見られながらも、蛇沼から一定の距離を保って気配を隠す。
赤の他人に見られようと、彼女には関係ないのだ。
(……はぁ……ため息が出るわ…………。
……っていうか…………さっきから視界の端にいる人間、なに?)
恍惚の表情で推し事中の愛実だが、こちらの様子を伺ってくる、逆側の歩道で電柱に身を隠す男に不快感を抱いた。
先程からずっと愛実と同じペースでそろりそろりと歩いている男性。
なんだか見たことがある顔のような気がしないでもないが、どこからどう見ても不審者である。
「……あのー。お嬢さん、なにか探し物でも?」
(ゲッ、話しかけてきた!)
「いえいえ。たまたま、電柱の裏に隠れたい気分でしたので」
「そ、そうですか」
「そういう貴方こそ、こそこそと何をなさっているのですか?」
「僕は鳥を観察してましてね。こうやって歩かないと逃げられちゃうんです」
「周囲に鳥類は見当たらないようですが」
「……おかしいなぁ、今逃げられたのかも」
あらあら、うふふとにこやかな笑顔の裏で、バチバチの探り合いをする二人。
(気味が悪いわ。別ルートから追いましょう)
そうして道を変えて、蛇沼のストーキングを再開する愛美であるが……。
やはり、いる。
((なんなのあの人))
不審者と愛美の内心が一致しているとはいざ知らず。
((まあ、邪魔されないならいいや))
ーーそうして、何も知らない蛇沼は、謎のストーカー二人に追い回され続ける羽目となったのだった。