2・正義のヒーロー
演間 博雄の朝は早い。
A.M.5:00に 起床。
顔を洗って身だしなみを整え、わずかばかりの朝食をとった後、警察署にバイクで出勤。
出勤簿に「演間」を押印したら、まずは朝礼に取り掛かる。
先輩方と共に元気な挨拶、そして情報伝達。毎日のルーティンだ。
博雄の本日のお仕事は見回りだ。先輩と二人でパトカーに乗り込み、都市の安全を見守る。
あるときは速度違反、あるときは人身事故に対応しながら、二人でノルマをこなしていく。博雄は新人ではあるが、もう1年目だ。簡単な見回り程度ならお茶の子さいさいだった。
時刻は夕方の16:00に差し掛かろうとしていた、その頃。夕焼けの赤が、車道を走るパトカー全体を赤く染めていた。
タバコの白煙が窓から立ち上る中、運転席に座る博雄が先輩警察官と顔を見合わせる。
「先輩、このへんで渋滞って珍しいッスね。今までこんなことなかったのに」
「……俺も初めてだよ。まー事故でもあったんだろ。今日このへんは俺達と三冬さんが担当してるから、ちょっくら聞いてみるわ」
先輩が燃えカスを灰皿に押し付け、もう片方の手でピポパと器用に電話を掛ける。
しかし、何コール待っても、一向に電話は繋がらない。「あとでかけ直すわ」という言葉で、コール音は止んだ。
「んー……なにかあったらこっちに連絡くるはずだから、とりあえず様子見だな」
「……なんだか、嫌な予感がします」
「は? あー、そいや、お前霊感あるんだったな。警察官じゃなくてヒーローのが向いてるんじゃねぇか?」
「やめてくださいよ……。僕は一生警察官で食っていくって心に決めたんです」
「ははは、いい心がけだ。その意気その意気」
軽口を叩きあう上司と部下。十数分間、軽い掛け合いは続いた。
だが、その和気あいあいとした雰囲気も、先輩が足で車体を揺らすことで終わる。
「チッ、一向に進みやしねぇ。だいたいお盆でもねぇのによ!
おい博雄。運転代わるから、ちょっくら先の方見てこい。何かあったらすぐ連絡しろ」
「はっ、はい! ……でも、僕でいいんですか?」
「いーんだよ。事故って加害者と被害者同士でしょーもない言い争いでもしてんだろ。
もう1年生のお前ならできる。行って来い!」
「承知しました! がんばります、先輩!」
そう言って気合い充分にパトカーを出る博雄。
一方、残された先輩は、懐から小箱を取り出す。
「おバカな後輩は扱いやすくていいな……」
パトカーの窓が灰色に煙るのを背に、博雄は歩道を疾走した。
*
(胸騒ぎが止まらない……!)
鬼教官仕立ての引き締まった筋肉は、アスリート並みの瞬発力を誇る。
渋滞する車道を横目に、歩行者やのろい車、果てには自転車すら追い越していく。目的地は、最高に”気味の悪い”場所だ。
博雄は昔から霊媒体質だった。
母親の実家の古家では、よく怪奇現象に遭遇した。今思えば、あれは怪獣だったのだろう。
小学校の頃、キャンプ中に森で迷子になったとき、怪獣に襲われて死にかけた。だが、運良くヒーローが現れ命拾いした。
中学、高校、大人になってもそれは変わらない。この世界の闇、怪獣との遭遇率が異常だった。
もうとっくに死んでいてもおかしくないが、なぜかここぞというときに悪運が強い。博雄はしっかりと己の性質を理解していた。
(ヒーローには絶対になりたくない、けど! ただ善良な市民を、死なせたくはないんだ!)
そのために、自分が探知する。直接戦いはしないが、怪獣を見つけたら即座にヒーローに連絡する。自己保身と正義感がごちゃまぜになった結果、博雄はこのような生き方を選んだのだ。
博雄はこの胸騒ぎの原因を確信している。
間違いなく怪獣だ。
(急げ、急げ、急げ――!)
博雄は己の勘を頼りに、片田舎の郊外から都心へ駆ける。時間にして数分。とんでもない速度だ。
やがて、博雄は終端を理解した。悪い予感が、先程よりずっと大きく膨れ上がってきていた。
「ここ、だ…………!?」
都心も都心。何なら中心部だ。
最終目的地にたどり着いた博雄は、地獄のような光景を目にすることとなる。
スクランブル交差点に散乱する死体。
人だったモノ。
肉片。
そして――怪獣。
「あ、あ…………」
(ひ、ヒーローに連絡……って、ない! 携帯が、ない!?)
腰ポケットに手を伸ばす博雄。しかしその感触は空振り。
博雄はうっかりさんだった。そういえば、ブツはパトカーに置きっぱなしだった気がする。
(どうしようどうしようどうしよう!?
……アッ、そうだ! 一旦撤退して、先輩にこのこと報告――)
顔面蒼白で立ち尽くす新人警官の姿に、幸い怪獣はまだ気がついていないようだ。
博雄は冷静に事件現場を観察する。死亡者、推定200人以上。時刻はP.M.16:30。犯人は横断歩行者を怪力で虐殺したと思われる。
これで十分だ。そして帰ろう。後はヒーローにまかせて……と、脳内警官ごっこを終えた頃だった。
博雄は死者に見知った顔があることに気付く。
(……ナンバー2ヒーローの”プロット”…………?)
そこには、かつて博雄を助けてくれたヒーローの亡骸があった。
*
博雄の心は、かつてないほど怒りに支配されていた。
――幼い頃に、正義の道を志すきっかけとなったヒーロー。それがプロットだった。
臆病心から、ヒーローそのものにはならなかったものの、警察官として働く博雄のエマージェンシーにも嫌がらず応えてくれた。大人になってからもたくさん助けられた。
そんな彼は今や、物言わぬ死体となってしまった。
(いい。いいよ。やってやるさ。
連絡担当? 探知者? 仲介役? そんなの、どうだっていい!
俺がここでやらなきゃ、誰がやるんだよ!?)
博雄は警察のジャケットをバサッと脱ぎ捨てた。
(この俺が――プロットの代わりに、時間を稼ぐ!!)
「ようやく見つけたぞ、怪獣め! あの人達を殺したのはお前だな!」
”プロットを演じる”。
その実態を知る者からしたら、明らかな強がりだ。けど、それでいい。
目的は、怪獣を倒すことではない。ヒーローが到着する時間を、少しでも稼ぐことだ。
怪獣は振り返り、その血走った瞳をギョロッと博雄に向けた。
『ははははは! 待っていたぞヒーローくん。どうしてここがわかったんだい?』
怪獣の声は靄がかかったように不鮮明だ。
恐竜のような巨体が、のっそりと博雄と対峙する。
(無駄話を長引かせろ。相手に不利な状況を作り出せ……!)
「俺の質問に答えろ、怪獣! お前が殺したのかと聞いているんだ!」
プロットのような勇ましい口調で、博雄は怪獣に問いただす。
まともな返答など期待はしていないが。
『それに答える義理はないぜ。でも、そうだなァ、1つだけ教えてあげるなら、アレだ。
ぼくは君に会いたかったんだよ!』
「――なっ!?」
(俺に? そんな筈がない! だって俺は、今まで怪獣と戦ったこと――)
『素晴らしい身体能力! そしてぼくの居場所を突き止めるその頭脳!
ああ……君を手に入れたら、まずはその脳を食べてあげる。それから、血液を吸い上げて、骨を抜いて、最後に筋肉を食べ尽くしてあげよう! おめでとうヒーローくん!
君は偉大なぼくの血肉の一部になるんだぜ!』
(――チッ、強そうな”ヒーロー”だったら誰でもいいのか!?
そんな馬鹿げた理由で、プロットは……!)
「狂ってる……!」
脳が沸騰しそうだ。冷静な理性と、破壊的な本能が博雄の中でぶつかりあった。
『でも君は、おとなしく食べさせてくれないんだろ?
だからぼくは、今から君を殺す』
「……同じ言葉を返そう。俺は今から、お前を殺す!」
(俺はここで、多分死ぬ。だが、未来の犠牲者を、少しでも減らせたなら……
……って、え…………?)
決意のこもった宣戦布告とは裏腹に、博雄は周囲の異変に気付いた。
視界の端に映ったのは、人力で移動する撮影用カメラ。それも、ヒーロー用の。
警官にも馴染み深いそれは、国民的チャンネルNHK(日本ヒーロー協会)が生中継で使うカメラであった。
(ヒーロー用カメラは一般人は映されないはず……なのに、ここにある。
そして………………怪獣ショーの観客だ)
博雄と怪獣。その半径50メートル四方を取り囲むテレビ局。
一般人。
……そして、ヒーロー。
(あぁ…………助けては、くれないのか)
博雄は絶望した。
*
戦闘は、意外にも肉薄した。
怪獣が肉弾戦を好むタイプなのも、博雄にとっては僥倖であった。
博雄とて、ヒーローほどではないにせよ鍛え抜かれた身。その拳が怪獣に通用すると知った彼は、怪獣の焦りの声を前に余裕を感じ始めていた。
怒りを乗せた鉄槌が、怪獣の野太い拳に激突する。怪獣は、博雄の剣幕に押され始めている。
怪獣の踏ん張った両足がずずずと後方に後退する動きを、博雄は見逃さなかったのだ。
(あれ……? 意外と……)
弱いかも、なんて。
図体はデカイ割に、パワーは少し心もとない。こんな怪獣に、本当にプロットは殺されたのか……?
『え、えっと、ストップストップ! タンマ、休憩させてくれ!』
「抵抗は無駄だ! お前はここで、俺に殺されるんだよ!」
いよいよ博雄は調子に乗り始めた。これは演技ではなく、本気で言っている。
『ごめんごめん! 謝るからさ! 俺なにかしたかな!? そんな怒んないでよ、あとで居酒屋でも奢って――』
「……何かした……だと…………?」
「お前は! あの人達を殺した! それさえも覚えていないというのか!?」
『いや、だからさぁ! それは俺じゃなくて……』
「――侮辱するなァッ!」
(ああ……やはりコイツは、どこまでも怪物だ。ぜんぶ欠けてる。倫理観、道徳、価値観、決して人間とは相容れない……。
説得は無理だ。今、ここで殺す――!)
そして博雄の火山が再噴火。もはや怒りの感情が博雄の強さの源となっていた。
パァン、と博雄の拳が怪獣の巨体を大きくのけぞらせた。
憎らしそうに片腕を抑えている。
(やったッ!)
だが、さすがの怪獣も分が悪いと思ったのか、『サラダバー』と言い残し逃走を試み……たかのように思えたが、目の前にある死体を見て一瞬立ち止まった。
(……スキあり)
「? 逃げないのか、怪獣」
『いやー、こりゃ俳優くんも役に入り込みますわ。こんなにリアルだと現実だと錯覚しちゃうよね』
「何を言っているか知らんが……
お前はここで積みだ」
『は?』
博雄は、怪獣が立ち止まっていた一瞬で、懐から小銃を取り出していた。
無論、本物だ。
博雄はトリガーに手をかける――ここで絶対に撃つ、と。
しかし、その試みは虚しくも失敗する。
怪獣の背後にある死体の山へと、怪獣が吸い寄せられるように入っていったのだ。
(……何だ!?)
そして、物音。ドサっと重量感のある音の後に、死体山の麓付近から、人間の手が伸びてきたのだ。
「やぁ、ごめんね。熱くなってるとこ悪いけど、あの怪獣は既に俺の手の中さ」
――出てきたのは、血まみれの男だった。
くすんだ金髪に日焼けした肌。博雄を超える長身の彼は、銅色の瞳で見下ろしながら胡散臭気な笑みを浮かべている。
その左手に、干からびた”怪獣”を携えて。
(ッは――)
エマージェンシー、エマージェンシー。そんな機械音声が、博雄の脳内で鳴り響いていた。
心臓の鼓動が早まる。
(怪獣なんかより、こっちのがよっぽどカイブツだ……!)
人間の身でありながら、怪獣の生気を一瞬で奪い取る。
それはもはや人ではない。
(人の形をした、ナニカ…………!?)
――その日、人類は、初めて”人型怪獣”と対峙した。