化け物
すっかり闇は晴れ、日差しが差している。
あれから、どのくらいの時間がたったのだろうか。ようやく、前方に街らしきものが見えてきた。
こんな場所にある街だ、こじんまりとしていた田舎を予想していたが、そこそこの大きさはありそうだ
しかし、入口付近に到着すると、異様な雰囲気が漂っていた。
「誰も、いないのか」
まるでゴーストタウンのようだ。
誰の声もせず、物音もなく風の音が響き、立ち並ぶ建物はどれも廃墟同然、至る所が崩れていた。
あの女性からは誰とも関わるなと言われていたが、そもそも誰もいないんじゃないか。
来てみれば何かいいイベントが起こるかも、なんて思っていた勝手な希望は砕かれる。
その反動か、一気に疲労、空腹、眠気が襲ってくる。
仕方がない、気持ちを切り替えよう。
むしろ誰もいない分、確実に寝床は確保できるだろうし、運が良ければ食料も見つかるかもしれない。
あともう少しの辛抱だと、自らを奮い立たせ、街中へと進んでいく。
そして、失礼だとは思いつつも、手当たり次第に建物内を探っていく。
レンガ造りの大きい建物や、木造住宅のような場所まで、念のため、ノックや声掛けをしながら。
だが、これといってめぼしいものは見つからない。
今度は大通りを抜け、細い道から何かを探してみる。
そうしてさまよいながら、体感で一、二時間が経った頃。
諦めかけ、ノックもせずに扉を開ける途中、鍵がかかっている家が見つかる。
窓はカーテンで閉じられ、中の様子は全く窺えない。
もちろん、鍵がかかっている建物は他にもあったが、何かを隠すように閉じられたそのこじんまりとした家が、妙に気になった。
思い切って、強くノックをしながら大声を出す。
「すみませーん、ごめんくださーい!」
こんな日本風のあいさつでいいのかはわからないが、もしも誰かがいるのなら何かしらの反応があるだろう。
そして、少しの間、待つことにする。
……。
やはり、ダメか。
「はあぁ」
疲労困憊の俺は、息を吐きながらその場に座り込んでしまう。
このあたりが諦め時なのかもしれない。
しかし、神はまだ見放してはなかったようだ。
物音をほとんど立てず、静かに扉が開く。
そこから、初老の男性が顔を覗かせていた。
一瞬、何と切り出せばいいか戸惑ったが、俺から訪ねたのだから誠意を見せなくてはならないだろう。
「あの、すみません。その、旅をしているものですが、決して怪しいものではなくて。
その、もしよければ、食料を分けてもらえませんか」
「そんなことはいいから、早く入れ!」
「え?」
「いいから!」
小声で、急かすように招かれる。
だが、怪しい気もするが、背に腹は代えられない。
それに、食糧にありつけるもう二度とないチャンスかもしれない。
俺は素直に、家の中へと足を踏み入れた。
入ってすぐに感じたのは、埃っぽさ。
加えて、家具などは朽ちているようで、木のすえたような匂いが充満している。
とても、人が住んでいるようには思えない。
「早くこっちに来い」
案内されたのは、床に取り付けられた扉だった。
「ここですか?」
「ああ」
いよいよ、怪しさは頂点へと達する。
しかし、こちらから訪ねた手前、やっぱりいいですと断りを入れるほど人間はできていない。
ええいままよの精神で、覚悟を決めるしか無いようだ。
扉の先、薄暗い地下室へと続く階段を降りていく。
そこは、木箱や棚が置かれ、多くの荷物でごった返しており、その中心の貧相なテーブルの前に、年の離れた二人の女性が立っていた。
上の部屋と比べて、生活感が溢れる場所。
どうやら、普段の生活はここで送っているようだ。
「で、食料がほしいのか?」
訝しげな目を男性から向けられる。
あまりいい雰囲気ではないな。
「はい。いえ、できればでいいんですが」
「わかった。分けてやるからさっさと……。ん、その怪我はどうしたんだ?」
「あ、これは」
やはりこれは目立つらしい。
それも無理はない。包帯で手当てはしてあるが、破れ、血に滲む服はそのままだからだ。
こんな格好のままでは、怪しまれても仕方がない。
「ここに来る途中、化け物に襲われたんです」
「……それは、デモニオか?」
驚いたように尋ねられる。
しかし、そんなものは聞いたことがない
「デモニオって?」
「茶色く、爪の長い化け物さ。赤い目も特徴なんだが、知らないか?」
この傷の元凶を思い出す。大方、そいつと考えてもいいだろう。
「そうです。その化け物に襲われた傷です」
彼とその後ろの二人がどよめく。
「よく逃げ切れたな」
「いえ、その、逃げたというよりも、何とか殺すことに成功しまして」
「なに?君みたいな少年が、か?」
そう思うのも無理はない。
何か特別な武器を持っているわけでもないし、今まではただの平凡な高校生だったのだから。
それがあんな化け物を倒したなんて、信じられないだろう。
「もしかして君は、私達を助けに来てくれたのか?」
「え?」
脈絡のない質問。それはどこか懇願するような、すがるようなものだった。
さっきから食料を分けてもらいに来たと言っているのに、話が通じていないのだろうか。
「アンフェール国から派遣された助けじゃ、ないのか?」
「ち、違います。本当に、ただの旅人なんです」
「……そ、そうか。い、いや、君は腕が立つんだろう。私達を連れて行ってくれないか?」
「お父さん、その人、困っているでしょ」
止めてくれたのは、この人の娘なのだろう、年は若く黒髪が似合う女性だった。
「そ、そうだな、取り乱してすまなかった」
どうやら、これはただごとではなさそうだ。
早く腹を満たして休みたいところだが、今後のためにも取りあえず話を聞いてみよう。
「いったい、何があったんですか?」
「ああ、いや、客人を立たせたままなのは失礼だ。そちらに座って、話をしよう」
なぜか先ほどと態度が一変し、テーブルに案内される。
なんだろう、若干の居心地の悪さを感じながらも、席に着く。
「ソフィア、とりあえず何か軽く食べられるものを用意しなさい」
「うん」
「さて、何から話せばいいかね」
そうだな。とりあえずは、ここの現状を聞くべきだろう。
「あの、どうしてここは誰もいないんですか?それに、あの荒れ様も何かあったみたいですし」
「さっきも話題になったデモニオ。数年前ぐらいか、その群れに襲われたんだよ」
「襲われたって」
「今まで見たこともない化け物が、いきなり現れたんだ。
何とか抵抗しようと皆で粘りはしたが、恐怖の時間を長引かせるだけに過ぎなかった」
いきなり現れた?それはまた災難な話だ。
「街の外に逃げた奴らも、残ったやつも、全員殺された。あいつらは人間を食料と見ていたんだろう、食い尽くされたんだ。私たちは運よくここで隠れることができたが、誰もいないのはそういうわけだ」
「そんな……」
なんてことだ、まさかここが、そんなに危険な場所だったとは。
能天気に歩いていた自分を思い出すと、寒気がする。
「でも、時間も経っているし、エサもない状況なら、もう大丈夫なのでは」
「それはわからん。確かに、尋常ではない数の群れは移動したかもしれん。だが、現に君も出会ったのだろう」
「……ええ。ここから一日歩いたぐらいの場所で」
あいつを倒し、チュートリアルは終わったと勝手に安心していた。
でも、ここは現実であり、状況は全く良くはなっていなかった。
ここで休んで出発しても、街の外に出てしまえばいつ殺されてもおかしくはない。
「お待たせしました」
ソフィアと呼ばれていた女性が飲み物と食べ物を運んできてくれる。
その彼女と目が合い、微笑みを向けられる。
あまりそう言うものに耐性のない俺の心臓が跳ねる。
「ありがとうございます」
「それで、食べながらでいいから、お願いを一つ、いいかな?」
対面に座った男性に尋ねられる。
「え、ええ。構いませんよ」
「私たち、いや、この娘だけでもここから連れて行ってくれないか」
「お父さん!」
ああ、つまり、俺の腕を見込んでいるのか。
だが、誰かを守れる強さなんて、俺は持ち合わせていない。
英雄気取りで行動しても碌な目には合わないだろう。
「いえ、その、俺には無理です。自分の身を守るのでさえ、精一杯なので」
「ええ、そうよ。お客様に迷惑をかけちゃダメでしょ」
「ううむ」
この人の気持ちもわからなくもない。
長年助けを待って、目の前にヒーローが現れたら誰だって縋りたくなる。
……俺に、できるのだろうか。
いや、それよりもとにかく。
「あの、これを食べ終わったら少し休ませてもらってもいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
ソフィアさんから快い返事を頂戴する。
腹を満たした俺は、早々と仮眠をとるのであった。
******
「……して、今になって!」
「落ち着け、まだこっちに来ると限ったわけではない!いいから、静かにしてろ」
騒がしい声に目が醒める。
いや、それより前の、大きい音のせいな気もするが。
はっきり言って寝た気はしないが、さすがに起きないわけにはいかないか。
「ごめんなさい、起こしてしまいましたね」
俺に気づいた彼女が話しかける。
どうやら、テーブルの方で両親が何か言い争っているようだ。
「非常事態なの、きっと大丈夫だとは思うけど」
耳を澄ませなくとも、天井から重たい足音。
気丈にふるまっている彼女だが、わずかに体が震えている。
「もしかして、デモニオか?」
「ええ、おそらく」
まさか、こんな街中、それにピンポイントでこの家に侵入してくるなんて。
形相を変えた彼がこちらに近づいてくる。
「そ、そうだ。旅のお方。あなたはお強いのでしょう、いざという時はお願いします」
震える声で、確かに懇願されている。
今までの姿が嘘のようだが、この様子を目の当たりにして、断ることができるだろうか。
それに、どちらにしろ、殺さなければこちらの命もない。
「え、ええ。やってみます皆さんは隠れていてください」
やれるかどうかはわからない。
だが、根拠のない自信でも持たないと、この状況には耐えられない。
電気は消され、息を殺して暗闇の中に潜む。
心臓の音がうるさい。
あと、どのくらい待てばいい。
耐えがたい時間を耐え、足音が聞こえなくなる。
「はぁ」
一安心。
しかしそれは、一瞬で絶望へと変わる。
激しい音が鳴り、上から木の破片などが落ちてくる。
そして外の明かりが差し込む中、忘れもしない、あの化け物と同じ姿が現れる。
それは部屋の中を覗き込み、鼻を動かしている。
気のせいか、その顔の赤い瞳が薄く、いやな笑いを浮かべたように見えた。
このままではあの時と同じ、いや、皆がいる分悲惨な結末を迎えてしまう。
せめて、ここから離れ、この家族は助けなければいけない。
幸い、化け物は入り口で立ち止まり、こちらへはまだ視線が向いてない。
人間がいることはわかっているのだろうが、居場所はまだ知られていないようだ。
さぁ、どうすればいい、考えろ。
以前のように生きたいと撃ち込んでも、今の状態では上手くいかないはずだ。
……ならば、不意を突いて敵に言語ではない「音」を撃ち出してみるか。
成功するかはわからない。でも、囮くらいにはなれるはず。
撃って怯ませたら、その隙に階段を駆け上がり、外に出よう。
それで、皆を助けた後に何とか逃げることができればいい。
気合と正義を原動力にして、強く念じ息を目いっぱい吸い上げる。
右手の照準を合わせ、集中。
そして入口正面に躍り出て、思いっきり、最大限の音量で叫んでやれ!
「バァン!!!」
口から発した炸裂音、それは衝撃波となり、反動を伴って撃ち出された。
狙い通り化け物にぶち当たり、吹き飛ばすことに成功する。
喜んでいる暇はない、一気に階段を駆け上がり、外に出る。
正面の部屋の壁を破り、倒れている化け物。
しかし、ダメージはないはずだ。
現に、傷などは何一つついておらず、すでに立ち上がろうとしている。
ここで攻撃の手を休めるわけにはいかない。
もう一度構えを取り、叫びながら撃つ。
だが、立ち上がる動作を止められないくらい、その威力は落ちていた。
いや、別にそれは問題じゃない。
あくまでも目的はあいつの気を引くこと。
地下室への入り口から離れ、そのあたりにあった椅子などを何度も投げつける。
「さぁ、こっちにかかってこい!」
できるだけの挑発はした。
それでも、来ない。
それどころか、俺に意を介さずに、化け物は急ぐ様子もなく地下へと向かっている。
「かかってこいよ!!」
投げるものも無くなり、再度、銃を放つ。
しかし、
不意打ちで無傷だったのだ、効果があるはずもない。
諦めるな、次の手だ。
こめかみに銃口を当て、短く薄い先ほどの時間を反芻する。
彼らは、俺を助けてくれたのだ。
大丈夫、何とかなるはず。
「守りたい」
生きたいと願ったあの時ほどではないが、多少は力が湧いてくる。
もう、他の手段を取る暇はない、突っ込め!
化け物へ向かって、駆け出す。
その無謀な行為に、手痛い代償が返ってきた。
「ガハッ」
何が起こったかを理解する前に、壁に叩きつけられる。
そして、体はそのまま前に倒れてしまう。
背中への衝撃と、徐々に広がっていく痛み。
意識が落ちそうになる暗闇の中、後悔が渦巻く。
分かっていたことじゃないか。
一番大事なのは他人ではなく自分、「守りたい」なんて言葉では何もできないのだと。
前世で散々思い知ったことじゃないか。人間は、エゴが全てであると。
だから俺は、人間として生きたくなかったのだ。
結局俺は、あの死にたがりから何も変わってはいない。
こうなってしまえば、「生きたい」なんて言葉も無意味だ。
……ああ、悲鳴が聞こえる。
だけど、身体はもう動きそうにもない。
ごめん、ごめんなさい。
それから、様々な声色の悲鳴は途絶え、辺りはしんと静まり返る。
そして、重い足音と、液体が垂れる音が近づいてくる。
死を前にして俺は、嗚咽を上げることしかできなかった———
「何をしている」
聞き覚えのある凛とした声がする。
見上げるとそこには、白い鎧を身に纏った彼女がいた。
目の前にいた化け物は、首を刎ねられていた。
「貴様、何のつもりだ?」
「……」
もうどうだっていい。
抜け殻になったおれは、胸をつかまれ強引に立たせられる。
「いいか、よく聞け。この街は、突然現れたこの化け物によって滅ぼされた。
逃げようとしたものも街の外で殺され、それでも、そいつらは最後まで何とか生き残っていたのだろう。
そいつは鼻はいいが視力はあまり強くない。貴様が関わらなければ、匂いを残さなければ、まず死ぬことはなかった」
まるで俺を責め立てるかの様な発言。
何でそんなことを言われなけらばならない。
「あの家族が死んだ責任は、貴様にもある。その罪も償わずに、死んでいいのか」
感情が伴わないような、冷静な声。
それは冬の隙間風のように、俺の身体を凍えさせる。
「違う……。知らなかったんだ、何もかも。あんただって、何も教えてくれなかったじゃないか」
かすれた小声でそれに答える。
こんなの、どうしようもないじゃないか。
「私は忠告したはずだ。誰ともかかわるな、と」
だけど、こんなことになるなんて思わないじゃないか。
「全部、教えてくれたらよかったんだ……。それなら、俺だってこんな不用心なことはしなかった」
「そんな義務はない。それに、あれはあくまで可能性の話だ。誰かが生きていたかなんて、私の知ったことではない」
突き放すような物言い。
それに対し、怒りよりも悲しさが胸を占めていく。
「俺は、被害者じゃないか……」
「そうか」
今度ははっきりと、嫌悪を示すような言葉で突き放される。
意思のない人形を扱う様に乱雑に放られた俺は、痛みの中、絶望に思いをはせる。
結局、何も変わらなかった。
理不尽に振り回され、少しでも希望を持とうものなら砕かれる。
異世界に行こうが、何処に行こうが変わりはしない。
所詮、これが俺の人生なんだ。
「あいつらは血の匂いに敏感だ。すぐにお前も、喰われるだろうさ」
仕方がない、仕方がない。
何度その言葉を吐いてきたのだろう。
いつだって世の中を恨み、自分を憐れんでいる。
もう、このまま腐っていくだけ。
俺は、底の見えない後悔へと沈んでいった。