たき火
辺りはすっかり暗くなり、何かしらの生き物の声に時折驚きながらも、道を進む。
普通ならここで恐怖を感じてしまうのだろうが、それ以上に星空の美しさが勝っていた。
いくつも輝く光に、オーロラのような波打つ薄い光。
そんな、どこか非現実的な景色を眺めながら呟く。
「ああ、腹減ったな」
様々な声に紛れて、先ほどから腹の虫が鳴いている。
しかし、今ここでは低くくぐもるこの音が最も恐ろしい。
この能力をどうにかして応用できないかとも思い、お腹いっぱい、なんて言葉を自分に打ち込んでみたものの、全く効果はなかった。
全身に溜まった疲労のせいか、それとも純粋に念の込め方が甘いのか。
チュートリアルをするのなら、せめてこの能力ははっきりさせてほしかったな。
なんてことを考えていると、前方に小さな光が見える。
街の明かりと勘違いしそうになったが、目を凝らせばその光は一つしかない。
そんなにうまい話があるわけないか。
だが、あのオレンジ色からして、誰かがキャンプでもしているのかもしれない。
そうであれば、食料なり水なり分けてもらえるかもしれない。
そんな、ここが異世界という現実をどこかへ追いやったような考えで、羽虫のように近づいていく。
正常で慎重な判断が難しいほど、追い詰められているのだ。
こうしてまで生に執着する俺を、昔の自分は笑うのだろうか。
いかんいかん。
考えまで暗くなってしまう前に、あそこへ急ごう。
明かりが増すにつれ、光りの正体が明らかになる。
どうやら、あれはたき火で間違いがないようだ。
そしてその隣には誰かが一人、丁度よさげな岩に腰かけている。
もう少し近寄らないとはっきりとはわからないが、白く美しい鎧を着こんだその姿から危険人物ではないだろうと適当な判断をする。
意を決し、火の暖かさを感じ取れる所まで進む。
そこには、息を呑むほどの美目麗しい女性が座っていった。
体は鎧で固められているが、兜は取り外されており、整った顔と長く輝く金髪が現れている。
目は閉じられているが、それが余計に、とこかこの世のものではないような美しさを演出している。
その姿を認識し、安心からか容易に言葉が出てしまう。
「すみません、少し、いいですか」
前世での他人に話しかけるような杓子定規な言葉を投げかける。
しかし、反応は全くない。
「あの、すみません」
「……」
再度、声をかけるも反応はない。
もしかして、ぐっすりと眠っているのだろうか。
……それなら、ちょっとだけ食料でも漁って退散しようか。
起こしても確実に分けてもらえるとも限らないし、この方が確実だ。
いや、これは仕方がない。生きるためだ。
良心は痛むが、野生の動物に食われたとでも思ってくれ。
軽く見まわし、食料が入っていそうな麻袋を見つける。
まさに、身をかがめて手を伸ばそうとした瞬間。
目の前に、鈍く輝く銀の線が横切る。
音もなくいきなり現れたそれは、俺の身体を硬直させる。
そして、その時間を動かしたのは、冷たく鋭い声だった。
「貴様、何をしている」
ようやく、目の前の物体の正体が分かった。
今まで寝ていた女性が、いつのまにか剣を握っていたのだ。
そう理解はしても、身動きを取ることはできない。
「何をしていると、聞いている」
ここは、正直に謝るべきだろう。
「ごめんなさい。お腹が減って、何か食べ物を探していたんです」
「物乞いか。死ねば楽になるぞ」
これは、取り付く島もないな。
正直限界は近いが、今の状態では無理に奪うのも不可能なため、素直に退散するしかない。
「すみませんでした」
さっと踵を返し、そそくさとこの場を離れようとする。
はぁ、これからどうしようか。
「貴様、怪我をしているのか」
「え?」
聞き間違いか、後ろを振り返ってみる。
そこには特に何も変わらない、先ほどの彼女が座っている。
「そこに座れ」
剣で地面を指し、鞘に納める彼女。
有無を言わせぬ威圧感があり、借りてきた猫のように座ってしまう。
楽にしてあげる、と殺されてもおかしくはないこの状況。
彼女の一挙手一投足に視線が向いてしまう。
「そんなに怯えるな。その左腕は、そのままにしておけないだろう。軽く手当てしてやる」
声色は全く変わっていないが、内容は驚くべきものだった。
そして、彼女は立ち上がり、俺の傍へと寄ってくる。
この急な変わりようは、逆に恐ろしい。
「ずいぶんと酷い傷だな。よくも放置していたものだ」
「いや、いろいろとありまして」
そう、傷は塞がっているといっても、完全に元通りになっているわけではない。
生々しい爪跡が残り、疼くような痛みは常に続いていた。
あの時願ったのは、生きたいという一点のみだったため、それ以上のものは望めなかったのだろう。
「動くなよ」
何か魔法のようなものを期待していたが、普通に消毒や包帯で手当てを行うようだ。
手際よく、左腕への処置が進んでいく。
こんな綺麗な女性に手当てをしてもらえるだなんて、なんだかむず痒いものがある。
そんな緊張する時間が流れる途中で、空気を読まずに腹の虫が鳴る。しかも、特大の。
「……」
「……気にしないでください」
すると、処置もそこそこに彼女は立ち上がり、何かを漁りはじめた。
そして、戻ってきた彼女の手には、赤く丸いものが握られていた。
「これでも食っておけ」
手を差し出し、それを受け取る。
硬く、丸い果実のようなもの。
「いいんですか?」
「ああ、問題ない」
その言葉を皮切りに、勢いよく齧りつく。
甘い。とにかく甘い。
俺は、こんなにも美味いものは知らない。
「何を泣く奴があるか」
「……え?」
頬を撫でると、確かに零れたものがあった。
無意識に泣いてしまうだなんて、恥ずかしい。
「こ、これは心の汗ですよ。たき火の前だから、アッチィって感じで」
「そうか」
たった三文字で一蹴される。
言葉の力って、すごい。危うくぽっきりと大事な何かが折れるところだった。
「あの、ありがとうございました。怪我の手当てから、食料まで」
「ああ。もういいだろう、さっさと去れ」
最初の彼女の態度からすると、ここまでよくしてもらったのは奇跡に近いだろう。
ここは言う通りに去るべきだが、ダメ元で一つだけ尋ねてみる。
「最後に、人が住んで場所がどの方向にあるか、教えてもらえませんか?無理なら、いいですけど」
「……貴様が歩いてきたその道を、変わらずに進めばいい。じきに街が見えてくるだろう」
なんだ、進む方向はあっていたのか。
まぁ、距離はまだまだありそうだが。
「ありがとうございました。それでは、また」
「最後に一つ、この先の街では、誰とも関わるな。でなければ、関わったすべての者の命はないと思え」
「え、はぁ」
よく理解はできないが、まぁいいだろう。
もう何も言うことは無いようだし、先へ進もう。
暖まった身体は十分に活力を取り戻している。
手にある果実を一齧り、この場所を後にした。