#EXTRA アリサ編Ⅳ
ギルド戦が行われた翌日、フィロソフィ……浅田健三が逮捕されたのを知った。
ニュースでは私の顔にはモザイクが入っていたものの、スカイが用意したサイトでは私の顔が映った写真と音声データが依然と残されている。
ニュースでは売春事件としてフィロソフィにヘイトが向けられているが、ネット上ではこの事件の裏側、つまり、私がスカイのアカウントを永久凍結させたことなど、私が取った行動が話題になっていた。
このニュースを見て、興味を持った人たちが例のサイトに辿り着くのはそう難しいことではないだろう。DOMのプレイヤーも、関係のないリアルの人々も、そこで私のしてきたことを知る。私の悪事が知られてしまうのだ。そしてヘイトがフィロソフィから私に向けられる。そんなことは安易に予想出来たし、そう考えただけで憂鬱になってしまう。
私を助けてくれる人は、もういない。内容が内容で自業自得であるのは分かっていたので、誰かに相談することも出来ない。孤立無援とはこのことだ。
いっそ、私の心が壊れてしまえばどんなに楽だろうと思った。壊れて、何も感じなくなってしまえば、この苦しみからも解放されるのに。
いいや、私の心は既に壊れているのかもしれない。壊れていなかったら、あんなことが平気で出来るはずがないもの。
反省というよりは、どうしようもない嫌悪、後悔の念が私の心を支配していた。苦しめていた。
これが罰なのだろうか、罰だとしたら苦しみ続ければ私は救われるのだろうか?
……でも、救われるってなんだろう。すべての人がこの事件を都合よく忘れて、ネット上からもスカイの公開したデータが削除されて、万事解決。なんてことにはならないよね。
この先、私はどうなってしまうのか。学校、将来、すべてが暗闇に包まれて未来が見えない。
そんな不安が付きまとって、胸が苦しくて、私はなかなか寝付くことが出来なかった。その日だけでなく、それが何日も続いた。
ただ耐え忍ぶ日々。世間は楽しい夏休みで浮かれているというのに、私は自分の部屋に閉じこもって、罪悪感に苛まれながらただ夏休みを浪費している。鳴らないスマホ、誰かが連れ出してくれるわけでもない。救ってくれるわけでもない。まるで牢獄のような場所だな、と思った。
◆
やがて夏休みが終わり、学校に行かなければいけない日がやってくる。
学校の人はあのことを知っているだろうか、先生に情報が伝わっていないだろうか。もし退学を言い渡されてしまったらどうしよう。
そんな不安が私の心に渦巻いていたけれど、ここで変にクヨクヨしていてはいけない。顔に出せば余計怪しまれることは知っていた。だから私はいつもの、前のように堂々とした私を演じるように努めることにしたんだ。
「あ、愛里沙おはよー」
「おはよう、ユキちゃん」
しかし、あれだけ恐れた学校内の空気は何も変わっていなかった。近すぎず、遠すぎずの上辺だけの付き合いの友達。いつものバカみたいに騒いでいる男子生徒に、群れないと生きられない女子生徒たち。とても私のことがニュースになっていたなんて誰も気づいていない様子だった。
――うん、大丈夫。みんな私の下のままだ。
こんなことで悩んでいたのが馬鹿みたいだった。
外の世界は広い、広大な海に汚水を入れてみたところで、すぐに溶けて、汚水なんてどこに行ったのか分からなくなってしまう。そんな簡単なことも忘れていたんだ。
そうして何事もなく放課後を迎えた私は、ホームルーム後、俊明くんとかいう男子から告白みたいなのを受けたんだ。でも、そんなのは軽くあしらって終わらせればいい。
そう考えながら掃除を終わらせた私は呼び出されていた校門前へと向かっていた。
約束通り、俊明くんは校門前に居た。
まだホームルームが終わってから時間がそれほど経っていないので、多くの生徒が行き交っている。こんなところで彼の純粋な告白を振ることになるなんて可哀想だな……でも悪いのは俊明くんだよね。君のようにクラスカーストの低い人間が私のような人間に告白して、受けてもらえると真面目に思うこと自体がおかしいのよ。私も低く見られたものね。
そんな感情を隠して、私は再び、いつもの作り笑いを浮かべながら俊明くんのもとに近づいていく。何も知らないように装って、「こんなところに呼び出してどうしたの~?」って言いながら、ニコニコ笑顔で。
「あ、愛里沙さん。来てくれてありがとう」
「いいよー。なんの用かな?」
「え、えっとね……」
目を合わそうとせず、ポケットに手を突っ込みながら言い淀む俊明くん。そんな態度で告白しようとかマナーがなっていないよ。やれやれ、これだから童貞は、とか思っていると、
「これ、愛里沙さんだよね?」
彼はポケットからスマホを取り出して、ある写真を私に見せてきた。
画面に映し出されていたのはラブホをバックにした、私とフィロソフィのツーショット写真。例のサイトに掲載されてあった写真だ。一瞬、時が止まったかのような錯覚を覚える。
次第に体中から嫌な汗が滲みでてくる。鼓動が激しい。手足が勝手に震え出して、私の隠していた感情がダラダラと漏れ出していくような嫌な感覚に襲われた。
「ねえ、これニュースでもやっていたけど愛里沙さんだよね? アハ、やっぱりそうだ! こんな近くで見たことないから分からなかったけど、おんなじ顔じゃん!」
不意に俊明くんの表情が邪悪に歪む。今までに見たことのないような、意地の悪い顔をしている。私は その時、今までに感じたことのない恐怖を覚えた。学校の人に知られてしまった事実に対する恐怖よりも、その後の私の未来に対する恐怖でもない。地味で大人しい彼が、ここまで豹変してしまう、人間の本当の闇の顔を見てしまったことに恐怖を覚えた。
「実は僕もDOMやってんだよね! なんだか見たことある顔だなあって思っていたけど、同じクラスの女子だとは思わなかったな! アハハ! こんな面白いことってあるんだ!」
黙っている私を見ながら、俊明くんは一人で笑い声を上げている。悪魔のような汚い笑い声だった。
「僕知っているんだよね。君って、いつも人のこと見下しているんでしょう。他の人もみんなそう言っているよ? どうせ僕のことも格下に見て、馬鹿にしていたんだろうね」
「そんな……そんなこと……」
「そんなこと無いって言うの? 面白い冗談だ! ……ねえ、僕がこのことを先生にチクりに行ったらどうなるか、もっと面白くなりそうだとは思わないかい? 今から職員室に行ってこようかなあ!」
俊明くんは大声でそれを叫ぶもんだから何があったのかと、私たちの周りに人が集まってきている。
来ないで……来ないで……。
「な、なんでもないから……!」
私がそう叫んでも上手く声が出せない。まるで透明な手に喉を締め付けられているような感覚で、声が出せないだけでなく息も苦しい。
「あ、手が滑ってスマホ落としちゃったなあ」
俊明くんは私の顔写真が映っているスマホを表側にして、みんなに見せつけるように、わざとらしくスマホを地面に落とした。それだけでなく、注目が集まるよう、あの音声も大音量で一緒に流れている。
「なんだ、これ?」
「あれじゃない? ニュースでやっていた……」
「もしかして、この人じゃない?」
ギャラリーはそんな会話をしながら、スマホの画面と私を比べるように顔を覗き込んでくる。その顔が炭で塗りつぶされたように真っ黒で、人とは思えないような歪な口の形をしている。人はどんどん集まってきていて、死体に群がる蠅のように、有り得ないほどの人数が私を囲んで、侮蔑、嘲笑している。
「うわー、犯罪者じゃん!」
「しかもおっさんと援交してた売女だよ。くっせーな」
「くっせえ」
「しねよ」
「ゴミ女」
「生きる価値なし」
抜け出そうにも人が多すぎて動くことが出来ない。人々はもう、スマホなんかを見てはいなかった。みんな私を見て嗤っている。私の顔を見て嗤っている。嗤いながら、私を押し潰そうと、亀のような足取りで近づいていている。私を殺そうとゆっくりと近づいてきているのだ。死が、近づいてきているのだ。
「いやっ、来ないで、来ないでぇぇぇぇ!!」
◆
目を覚ました。
そこはいつもの私の部屋で、窓からは日差しが差し込んでいる。近くにあるスマホを取って時間を確認すると、昼の12時5分。まだ夏休みは1日残っていた。
「今のは……夢……?」
寝起きのうまく働かない頭で現実と夢の判断をする。果たして、今までのことは全て夢だったのだろうか。
ベッドから床に視線を落とすとそこにはスカイが渡してきたVRヘッドセットが転がっている。それは今までの出来事が現実だったことを嫌というくらい見せつけていた。
DOMでスカイと恋人になって、スカイを裏切って、それが全て私に返ってきて……そんなのは全部夢。だったらいいのに。
さっきまで見ていた地獄は、私がしたことに対する罪悪感の現れなのだろう。
私を一番苦しめるものは、スカイの公開したサイトでもなく、周囲の人の反応でもなく、私のしてきた罪そのものなんだと知った。
私のしてきたことは許されることではない。未成年で援助交際の被害者である女性という点から、フィロソフィのように罰を受けることもない。それは幸運のように見えて、一番残酷なことのような気がした。
私はこれからどうなるのだろうか。いや、何事も自分がどうするのかが肝心なんだよね。
……もし、もう一度スカイに会うことが出来るなら、今度は少しだけ違った行動が出来るような気がするんだ。彼からしたら二度と目の前に姿を現さないで欲しいというのが正直な気持ちかもしれないけど……これは私の勝手な押し付けなのかもしれないけど……それでも私はもう一度彼に会って話がしたい。
彼にテレパシーで語り掛けるように、ぼうっと床に転がっているスカイのVRヘッドセットを見つめていると、不意にメールを受信したことを教えてくれるヘッドセットのランプが点滅した。それは虫の知らせか、あまりにもタイミングが良すぎて深い意味があるんじゃないかと思ってしまう。
私の持ち物では無いので確認するかどうか迷ったけど、もしかしたらスカイから私にメールが届いたのかもしれない。可能性としてはかなり低いけれど、妙なタイミングと、僅かな可能性にかけたいという思いに突き動かされた私は、いてもたってもいられずスカイのヘッドセットを装着し、届いたメールの送り主が誰なのか確かめてみることにした。
……メールの送り主はDOMの運営からだった。
スカイのアカウントは永久凍結されているはずだから、今更こうやって届くのは通常ではあり得ない。本来であれば、持ち主であるスカイに連絡するべきなのだろうけど、向こうには着信拒否されているからこちらとしては連絡の取りようがない。
他人のメールを覗くのは気が引けるけど……ここまで来て引き下がるなんて出来るはずもないよね。悪いと思いながらも私はメールを開いて内容を確認することにしたんだ。
「これって……」
その内容を確認した私は、すぐにホーム画面に戻り、Disappearance Of Memoryのゲームを起動させた。そして――。
ただのおまけのはずが随分と長くなってしまいました。
本当はもっと早くに完結させたかったのですが、リアルの都合などでダラダラと長引いてしまい、すみませんでした。それと、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。みなさんのお陰で書いていて本当に楽しかったです。
この小説はこれで完結となりますが、まったく別のジャンルの新作も始めたのでそちらにも目を通してくれると嬉しいです。