#11 メモリークラッシュ
今日は待ちに待ったクリスマスイブ。DOM内でもしんしんと雪が降り積もり、クリスマスイベントが開催されていた。俺たちはイベントアイテムをいち早く集めて、アイテムを揃えた者だけが入れるイベント会場へと急いでいた。目の前にはアリサが微笑みながら俺の手を引いている。
これはまだ俺がスカイで、アリサとは恋人関係だった時のことだ――。
『ほら、はやくはやく! 他の人たちが来ちゃうよ!』
俺とアリサは雪の積もった森の中を走っていた。森の木々にはクリスマスイベントの飾り付けがされている。キラキラと輝くイルミネーションが幻想的で、目を奪われながら歩きづらい雪の上を走っていたんだ。
『あった、あったよスカイ! 約束のもみの木!』
無邪気に騒ぐアリサ、目の前には“約束のもみの木”と呼ばれる、自分の身長の何倍もある樹木が聳え立っていた。飾り付けが豪華絢爛で、他の木とは明らかに違い特別って感じがしたのを覚えている。
そんな約束のもみの木の下で、俺たちは身を寄せ合って座っていた。
『――ねえ、スカイ、知ってる? この約束のもみの木に2人きりで訪れたカップルは必ず結ばれるって言い伝えがあるんだって』
『スカイは信じる? ……私はね、信じているよ』
『この広い世界で私たちが出会えたこと、それにはきっと意味があると思うんだ。リアルでは会ったことがないのに、こうやって心が通い合っているの。約束のもみの木が無くても、きっと将来は結ばれているよね!』
『……ねえ、スカイ。もっとくっついてもいいかな? うふふ、ダメって言ってもくっつくから! ほら、もうくっついちゃったもん』
『私、全然寒くなんて無いよ。スカイが側に居てくれているから。心の中がとても暖かいの。こんなの初めて……。私たち、ずっと一緒だよ?』
◆
7月23日 火曜日
暑さで目を覚ます。
「――夢か。変なものを思い出させてくれるな」
半覚醒状態のまま着替えを済ませ、一階に下りるとテーブルには朝食が置いてあった。母さんは既に家を発ったようだ。金庫は当たり前だけど開いているわけが無い、と。
食欲も湧かなかったので、朝食は食べずに冷蔵庫へ入れ、あとは水分だけ補給して俺は再び2階に戻ることにした。床に転がってある外出用のリュックを背負い、黒のキャップを深く被る。
久々の外出がこんなクソ暑い日とはね、レベル1の勇者がラストダンジョンに潜り込むようなものですよ。
外に出ると、太陽が空の中心でギラギラと輝いていた。空気が陽炎に揺らめき、悪意しかない熱気が俺を襲う。そんなに自分の存在を主張しなくても十分目立っていますから、太陽さんはもうホント、勘弁してください。
なんて頭の中で文句を言いながら駅まで歩いていく。
駅の中は冷房が効いていて快適だった。しばらくここで休んでいたかったけれど電車が来る時間になったので渋々外に出る。そうして、何度か電車を乗り継いでようやく目的地の秋栖駅まで到着した。
俺の住んでいるところよりも店が少なく、自然の緑色が目立つ。田舎な場所だなーというのが第一印象だった。ここの町にアリサが住んでいるのかぁ。ふーん、へー。
スマホで地図を確認しながら例のホテルの場所まで向かう。暑さは相変わらずで、俺の体力と水分をジリジリと奪っていく。ようやくラブホの目の前に着いた頃には疲労困憊、頭がグラグラするし、もう限界です。やけにリュックが重いなあと思ったら、昔に買ったVRヘッドセットが入っているじゃありませんか。そういや母さんに見つからないようにリュックの中に隠していたんだっけ。余計な荷物を持ってきてしまったなと後悔。
閑散とした場所に薄汚れた要塞のような見た目のホテルがあった。俺はラブホの入り口前を見張るように陰で2人が現れるのを待つ。
――時間としてはそろそろだ。緊張感で全身がピリピリとする中、俺はスマホを握る。これがパパラッチの気分か、暑くさえなければ案外悪くないな。
しばらくして話し声が聞こえてくる。
「……わたし、今日から夏休みなんだー、アハハ。いいでしょー」
「ほう、羨ましいな……」
俺は見つからないように通りの陰からその話し声の主の姿を確認する。小太りのおっさんと、未成年に見える少女が身を寄せ合ってラブホに向かって歩いている。残念なことに、こちらからは2人の背中しか確認出来なかった。だが、なんだか見覚えのあるシルエットをしている。
もしかすると、この2人がフィロソフィとアリサかもしれない……。一応写真に撮っておこう。
無音カメラで盗撮……いや、未成年の女の子を守る為の正義の行い、2人がラブホの中に消えて行くのを見届ける。後姿だけでは顔も確認出来ないし、証拠としては微妙である。いつ出てくるか分からないけど、今度は帰りの時のシャッターチャンスを狙おうと思う。
2人がホテルの中に入ってからというもの、セミの鳴き声以外は何も聞こえてこない。五月蠅いはずなのに、静かだと思えてしまうのは人通りが少ないからだろうか。こんなところで待機している自分を客観視してみると、この世界に自分だけ取り残されてしまったような気分になる。
今、ラブホの中では、あはん、そこはだめぇ、ぐへへ、いいじゃねぇか、とか言いながら2人でハッスルしているのだろうな。そして現実世界で疲れ切った後はベッドの上で絡み合いながらDOMにログインして再びイチャコラするってワケだ。ああ、段々と俺の憎しみのボルテージが上がってきた。
2人が出てきたのは約2時間後。その間、俺は夏の熱気に蒸され、蒸され続けて、ドロドロになって溶けてきた脳みそが、汗になって全身から流れ出てきているような不快感に包まれて、もう、なんだか思考がメチャクチャだ。これは本当に脳みそが溶けてきているのかもしれない。
とにかく、今はやるべきことをやらねば。意識が朦朧とする中カメラを起動し、2人の正面からの写真を収めてやる。
2人はラブホに入るときと同じように身を寄せ合って出てきた。こんな暑いってのに、よくくっついて歩けるもんだね。ラブホをバックに、密着している2人をフレームに収め、シャッターボタンを押す。何度も言うけどこれは盗撮ではなく、青少年保護育成なんたらの為の正義の行動なんだ。
撮った写真をすぐに拡大して、その顔を確認する。
「おいおい、マジかよ……」
顔写真を交換したときと、あのツーショット写真に写っていた少女と全く同じ顔だった。 やっぱりアリサはビッチで間違いなかったんだな! アハハ、ついに決定的な証拠写真を手に入れたぞ!
「じゃあ、またゲーム内でな……」
「うん!」
2人はラブホの門から出ると、その場で解散するらしく別々の方向に向かって歩いて行く。2人にとって大事な用事は終わったようだし、これ以上一緒に居ると怪しまれるだけだもんな、帰りまで一緒に居る必要は無いってワケだよ!
何故か異様にテンションが昂っている。俺はもう壊れてきているのかもしれない。いや、壊れてるくらいが丁度いいかもな。今なら通常では出来ないような行動が出来そうな気がする。
「おや……」
その時、アリサの服のポケットからハンケチーフが地面にはらりと落ちた。わあ、女の子って本当にいつもハンカチを持ち歩いているもんなんだね。んで、俺はそれをひょいと拾いあげる。ハンカチの端の方には“愛里沙”と刺繍が入っている。
まあ、アリサって実名だったのね。一日一善。落し物は届けてあげないといけない。
俺は前方を歩いているアリサを追いかける。トコトコ、トコトコと。お嬢さん、お待ちなさい、ちょっと、落とし物ですよ~。って感じに。
そういや俺たち、夏休みには会う約束をしていたんだっけ。そして、今が夏休みだ。俺がアリサに声を掛けたら一体どんな面白い反応を見せてくれるんだろう?
誤字報告ありがとうございます!




