#09 すり減る精神、追い込まれた空
7月23日 月曜日
今日で学校が終わり、夏休みが始まった。空は青く澄み渡り、太陽が俺たち学生を祝福してくれている。
それなのに俺は解放感もクソも無く、あの言葉が俺を悩ませていた。
俺のギルドにフィロソフィの雇った工作員が紛れ込んでいる。ハロルドの言ったことが真実だとしたら非常にまずい状況にある。有利な状況になっていると錯覚していたのが、逆に追い込まれていたってことだぞ……。今まで数に物を言わせる戦略を立てていたのが裏目に出てしまったんだ。
真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である、この俺がナポレオン先輩の言葉を忘れていたなんて迂闊だった。今は息をひそめているが、セレスティアスとのギルド戦になれば工作員はオーダー66のように動き出し、ディアボロスにとって不利な行動を取り始めるのだろう。
≪シエルの家≫
DOMにログインする。ログインしたからといって何かが解決するわけではないのだけど、それが毎日のルーティーンのようなもので、同じ行動をとることで安心感を得たかった。
目を開けるとそこは自分の家。
安売りされていたふかふかのソファーにばふりと腰を落とし、メニューコマンドを呼び出してギルドメンバーを確認する。
ウッディー
「あ、マスターだ。こんちゃー」
ゲロ
「こん! フィロソフィ倒すの楽しみですね~」
ラムネ
「こんにちはー!」
………
この中に工作員がいる。そう思ったら全員が裏切者のように思えてきてしまって疑心暗鬼に陥りそうになる。面従腹背。みんなが仮面を被り、俺にいい顔を作って見せている。だけど、仮面の裏側では俺を嗤っているんだ。
いいや、こうして俺を不安にさせて、精神的に弱らせるのがハロルドや、フィロソフィの作戦なのかもしれない。くそ、分からねえ。一体、何が正しいんだ。これだけの数をギルドに入れて、一人一人尋問して行くのか? まさか、時間が掛かり過ぎる。尋問したからって嘘をつかれていたら見抜ける自信が無い。
ここで考え込んでいても駄目だ。外の世界、アルケディアの街にでも繰り出すか。
≪帝都アルケディア・大通り≫
夕陽が街をオレンジ色に染め上げている。相変わらずDOM内は多くのプレイヤーでごった返している。
「ちょっと、あんたまた他の女とパーティ組んでいたでしょう!」
「いいじゃねぇか、パーティ組まねえとレベル上げ出来ないんだし」
「私の気持ちも考えてよ……」
武器屋の前で喧嘩しているカップルが居た。俺にはどうでもいいイベントだ。そのまま無視して通り過ぎる。
さて、例の問題だが第三者の意見を聞こうにも、ユリア、もちこ、モフモフのいつもの3人はログアウト中だし困った。彼女達にもリアルの生活があるわけで、リアルあってのゲームなのだからリアルを優先するのは当たり前だ。文句をいう訳にはいかない。
ふと考える。彼女達は現実で一体どんな生活を送っているんだろうか。エルフにロリっ子、モフモフと、個性的なアバターだけど、現実ではしっかりとした人間の姿をして、健康で文化的な生活を営んでいるのだ。分かっていてもイマイチ想像が出来ない。彼氏とか居るのかなぁ、休日はそんな彼氏とキャッキャウフフをしているのかなぁ、って何を考えているんだ俺は。って何を見ているんだお前は。
目の前には俺のことをガン見してくるドワーフの男。気が付けば、そのドワーフの男だけじゃない。周囲のプレイヤーも俺のことを見てくる。そして、目を合わせば逸らしてくる。視線の片思い。
おいおい、一体これはどうなっているんだ。俺の顔に何か付いているのか? 顔を手で触って確かめる。目が2つに鼻が1つ、口もしっかりと付いている。大丈夫、問題は無いはずだ。そうやってジロジロと人の顔を見るのは失礼じゃないですか。
『ほら、あれが生放送に出ていたシエルよ』
『8月1日にセレスティアスとギルド戦を行うんですって』
『勝てるのかしら?』
『あれで負けたらカッコ悪いわよね』
『ギルド戦を前に逃げ出したりして~』
『そうなったら笑ってやりましょう、オホホ!』
どこからともなくそんな言葉が聞こえてくるような気がした。嗚呼、分かっているんだ、それは人々の声じゃなくて、自分の心の中からの声だって。少し落ち着こう。精神的に疲弊してきている。
その場で深呼吸しようと深く息を吸った時、俺の目の前は闇に包まれた。
さっきまで見えていたオレンジの街並みが消え、視覚情報が全てシャットアウトさせられた。
な、なんだコレは――。
俺は暗黒魔法でも喰らわされたのか。いや、違うな、街の中でプレイヤーに攻撃なんて不可能だ。ああ、強制ログアウトさせられたのか。まあ、不具合か何かだろう……。
そう思って、一度VRヘッドギアを外す。なんと、VRヘッドセットのスイッチが切られている。そして近くには人の気配。見上げるとそこには俺の母さんが立っていた。
「あれ、母さんがどうしてここに?」
俺はヘラヘラとした口調で言うけど、母さんの眉はつり上がり、口はヘの字。ああ、これはどうやら怒っているようです。これはVRヘッドセットの電源を切ったのも母さんっぽいな。
「空……その変な機械を頭にずっと付けて何をしているのよ」
「いや、これはVRヘッドセットって言って……」
「こないだのテストだって随分と点数を落としていたじゃない。中学の頃はトップの成績だったのに、どうしてこうなっちゃったの?」
ハイ、それはDOMに夢中で寝不足になり、学校ではほとんど寝て過ごしていたからデス。家でも勉強をせずにずっとDOMをしていたからデス……なんて言えるわけねーだろ。
「母さん、明日から仕事で数日家を空けるので、しばらくこの変な機械は没収しておきます。前に母さんが居なかった時、ご飯も食べずにずっとコレをやっていたでしょう」
母さんはカメレオンが舌で獲物を捕まえるときのような俊敏さで腕を伸ばし、横に置いてあるVRヘッドセットをガシッと掴み取った。
「ちょ、おい! 母さん、それはねえって!」
「いいえ、没収です。こんなものばっかりやってるから頭が変になるのよ」
そう言って母さんはVRヘッドセットを持ったまま俺の部屋から出ていく。冗談じゃねえ、この大事な時期に没収されてたまるかよ。俺は急いで母さんを追いかける。母さんは1階へと降りて行き、乱雑にVRヘッドセットを金庫に放り込んだ。高価なものなんだから丁寧に扱ってほしいな。いや、それどころじゃねえ、母さんはガチャガチャと金庫に鍵をかけ始めたぞ!
絶望、それ以外の言葉の他にあるだろうか。頭から血の気がどんどん引いていくのを感じる。
「ああああああッ!! マジで有り得ねえって!!」
俺はその場に崩れ落ちる。
「夏休みだし丁度いいわ。バイトでもして過ごしたらどう?」
そんな、殺生な。
不幸なことに家にある金庫はダイヤル錠だ、番号が分かるのは母さんだけ。鍵で開ける方式ならなんとか家の中を探し出して開けることが出来るのだけど、これでは完全に母さんの意思次第だ。厭な汗が頬を伝う。
ちくしょう、これだからアナログ人間は嫌いなんだよ。何でもかんでもゲームのせいにしやがって。いや、実際にはゲームのせいなんだけどさ。だからって没収するかよ……。人間じゃねえ。
今ログイン出来なきゃギルドメンバー達はどう思う? ギルドマスターの俺がログインしなかったら逃げたって思われるに決まっている。
長くなったので話の途中ですが分割します。




