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久し振りの時間

 試合会場に入ると、修学旅行のシーズンだからなのか少し選手が少ない気がする。それならばと臨んだ試合は、三年生の気迫に押されて準決勝で敗退してしまった。それでも全敗していた相手に善戦できたし、体格差を撥ね退けて勝利出来たりしたので、次に向けて手ごたえを感じる事が出来た。

 先輩の中にはこの大会を最後と位置付けている人もいる。練習は続けて行くのだろうが、「受験勉強に本腰を入れなければ」とためいき交じりに話しているのを聞くと、私もそろそろ進学について真剣に考え始めないといけない気がしてきた。


「先輩方って進路は何を基準に決めたんですか?」

 帰りのバスでそう切り出すと、「進学するの?」と逆に聞かれてし不思議がられた。

卒業してすぐ結婚では、井口先生の負担も大きいだろうと思っているので、短大にでも進学してパートでも就ければと考えてはいた。

「短大でもとは考えていましたけど、パートとかでも良いかなとも思っています」

「結婚以外でやりたい事とか無いの? こんな仕事に就きたいとか」

「地元から出たくないですし、転勤とかいろいろ有るじゃないですか」

 教員だって移動が無い訳ではない。条件次第では他校に再就職(?)も無くは無いだろうし、他県に姉妹校も複数ある。先輩たちもその辺は分っているだろうけど、それでも選択肢は広いのだろうか。

「例えば、地方公務員なら県外には出ないでしょ。警察とか消防とか」

「新庄、それは無理。どっちも身長制限が有って、たぶん橘さんじゃ足りない」

「じゃぁ、市役所とか」

「うちの親が市役所勤務だけど、ブラックに近いよ。給料安いらしいし」

 そもそも、警察官や消防士って危険と隣り合わせのイメージしかなくって、仮に身長が足りていたとしても選択肢には成りえない。市役所なら土日は休みかもしれないけど、古めかしい庁舎と乱雑に山積みされた書類のイメージが有って、こちらも選択肢としては選びたく無い。


「剣道は続けるつもり? 道場とか行ってたんだから、そこで雇ってもらうとか出来ないの?」

 言われてみれば、井口先生も大学生の時に教えに来ていた。あれってアルバイトだったのだろうか? それともボランティア?

 前の方で黙って座っている井口先生に聞くのも手だけれど、後輩たちにまで関係を露呈させるのは本意ではないし、明日も課題をしに登校はするのでその時に聞いてみよう。

「体育系の短大出れば、教えたりする資格ってもらえるんじゃないかな? 確か柔道部の子がそんな話をしていたから聞いといてあげるよ。先生も顧問なんだから相談に乗ってあげてね」

 冨田部長のその発言に、黙って手だけ振って了承の意を伝えた先生だったけど、「返事は!」なんて怒られて「明日の昼にでも聞いてやる。三年生も必要と思うなら遠慮するなよ」と返していた。

 脇を突かれて結城先輩を見ると、「お邪魔はしないからね」とウインクしてきて、新庄先輩からは「短大卒業後の結婚を強調しなさいね」とアドバイスを貰う。来年春の件がバレない様に、結婚のタイミングで誤魔化せとでも言いたいのだろうか?


 翌日は隔週で巡ってくる土曜登校日で、当然ながら午後の授業は無い。

 午前中の大半を井口先生が見てくれていて、「ここは外国か」と言いたくなるくらい英語漬けにされてしまった。それでも終始一緒に入れたので、嬉しさからか疲れは感じない。そして迎えたお昼は、当然ながら二人きりで取る事になる。

 幸いなことにフロアーの端に位置する教室なので、階段からも中は見えないし前を通る人もいない。開いた扉からは校内の喧騒が聞こえてくるので、多少込み入った話をしても聞かれる心配は少ないだろう。


 多めに詰めてきたお弁当を分けたりして、部活の始まる時間まで話をする。

「道場の方だが大半はボランティアみたいなもんだ。都合の付く時間に行って指導して、終わった後は残った人間で稽古をするから、その場所代を無料にしてもらっていた感じかな」

「何か資格が有れば、小中学生とかに教える事は出来ますか?」

「何とも言えないが、授業料を取っているんだから、バイト代くらいは出してもらえるんじゃないかな」

「短大を卒業して直ぐに結婚って有だと思います?」

「成人式も過ぎて大人なんだから、当人同士の問題だと思うが……。早すぎる訳でもないから、良いんじゃないか?」

 どうやら井口先生の希望はこの辺りのようで、彼女の期間を二年程と目論んでいる様だ。

「結婚が早いと彼女でいる期間が短いじゃないですか、それって少し寂しいですよね」

「結婚したからって接し方が変わる訳ではないだろうし、杞憂だとは思うぞ。取り戻せない時間は惜しいと思うかもしれないなぁ」

「それって、結婚前に同棲も有りだと言っています?」

 井口先生は目を泳がせながらも「あり、かな」と答えてくれる。そうすると、二十歳の誕生日辺りで親に挨拶してって事なのかもしれない。それはそれで楽しみだけれど、やっぱり在学中の時間を大切にしたいと思う。


 物思いに耽っていると、井口先生が人差し指を口に当てながら立ち上がり、窓にそっと歩み寄って声をかける。

「お前ら、ちゃんと飯食ったか? あと、見つかると怒られるぞ」

 驚いてベランダを覗くと、先輩たちが座り込んで照れ笑いを浮かべていた。隣の教室で聞き耳でも立てているものと思っていたら、こんな所に居たとは。それにしても、先生はよく見つけたなと感心して顔を向けると、「風に吹かれた髪の毛がフワフワ見えたもんでな」と苦笑い。

「それじゃ部活に遅れないように」

 そう言って先生が去った後、窓を乗り越える様に先輩たちが入ってくる。心配してくれてたんだろうなと思うと、頭が下がる思いなのだけれど、いくらスパッツを履いているとはいえ、スカートが捲れるのを気にしないのは苦笑いしか出ない。

 ポンっと頭を叩かれ「行くよ」と言われて、慌てて荷物を掴んで後を追う。


 月曜日は修学旅行の振替休日で、居残りの私は登校予定だったけれど、課題の進みが良かったので登校扱いとしてもらえた。

 美紀ちゃんから「お土産を渡したいから家に来て」とメッセージが来ていたので、お昼を食べてから遊びに行くと、真理佳ちゃんが既に居て暗い顔をしていた。

「旅行中に何かあったの?」

 そう声をかけると、目にいっぱい涙を浮かべた真理佳ちゃんが「失敗しちゃった」と一言だけ呟き、美紀ちゃんが後を受ける。

「翔真君が距離を取って来るんだって。私から見たら、いつもの優しいお兄ちゃんに見えるんだけどね。で、理由が微妙でさぁ」

 どうやら真理佳ちゃんは修学旅行前にあった文化祭で告白をされていた様で、無論その場で断ったそうだ。告白したのは道場で私をバカにした笹本君だと聞いて、『身の程をわきまえろ!』と思ったが、須藤さんに唆された様だと言うのでおおよその見当が付いた。

 彼女達は、私みたいな翔真君の友達関係だけでなく、真理佳ちゃんも邪魔な存在として排除しようとしたのだろう。それでも、翔真君が距離を取ろうとする理由に、どうしても見当が付かない。さらにガードを固めるならばわかるが、真理佳ちゃんを悲しませる行為に及ぶことに納得がいかないのだ。


「最近の翔真君は、稽古がおかしなくらい激しいけど、何か関係が有るのかな?」

「それも私のせいだと思う、告白されて断ったことを伝えてからだから」

 美紀ちゃんと顔を見合わせて、二人して首をかしげる。真理佳ちゃんに彼氏が出来て自棄になるならわかるけど、断ったのに自棄になるものなのだろうか。

「あのさぁ、春の一件で沙織ちゃんが感じた感情の中に、今の翔真君に当てはまるものって無いかな」

 春の一件は真理佳ちゃんにも協力してもらっているので、大体の事は話してあるけれど、自分の行動が恥ずかしくて思い出したくは無い。それでも思い起こしてみて一つの事柄を取り出す。

「翔真君は、自分のせいで真理佳ちゃんが幸せを掴めないんじゃないかって思ったのかも。自分が優しくし過ぎるから真理佳ちゃんが依存して、他が目に入らないと考えたんじゃないかな。だから真理佳ちゃんの幸せのために身を引くって」

 それを聞いた真理佳ちゃんは泣き崩れてしまった。あの時の私と同じ、どうしようもない絶望感に苛まれているのだろう。


「真理佳ちゃんは、翔真君を愛している!」

 私がそう言い切ると、美紀ちゃんは苦い顔をして真理佳ちゃんを見て、真理佳ちゃんはビックリした顔で私を見る。

「違うの? 家族の、兄妹の好きではないんでしょ? それは一人の男性に対する愛情ではないの?」

「だって私たちは兄妹で、そんな感情は抱いちゃいけなくて、お兄ちゃんの幸せを奪っちゃいけなくて……」

「じゃぁ、なんで告白されて断ったって言ったの? 私は貴方だけを見ています、と伝えたかったんじゃないの?」

 建前が聞きたいわけではなく、真理佳ちゃんの本心を聞きたかった。気付いていないかもしれないその気持ちを引き出したかった。

 美紀ちゃんは快く思っていないのだろうが、状況をどうにかしたいとは思っているようで、私の事を睨んでくるが口を挟んでくることは無い。

「叶わないものだとしても、認めてしまえば楽になる気持ちも有るよ」

 髪を撫でながら諭すと、気持ちが定まったようで顔をあげた。

「私はお兄ちゃんが好き。翔真を愛している。誰にも渡したくない。でも……、私の我儘で不幸になってほしくない」

 それまで黙っていた美紀ちゃんが諦めたように肩を落とし、それでも勇気づけようと言葉を掛ける。

「ならば、今まで通りに接しなさい。沙織ちゃんの様に、どんなに苦しくても笑顔でいなさい。私たちが愚痴でも何でも聞いてあげるからね」


 こうして私たちは人に言えない秘密を共有した。できれば美紀ちゃんの秘密も知りたいところだけれど、そんなモノなくても私たちの関係が揺らぐことは無いだろう。

 そして二学期の終業式に、物事は思いもよらなかった方向へと動いて行く。


 発端は井口先生からの呼び出しだった。呼ばれた進路指導室には、男子剣道部の顧問と井口先生の他に学年主任の先生もいた。

「来てもらってすまない。翔真の事なんだが最近変わった様子は無かったか?」

「変化に気付けるほど親しい関係ではないので。ただ真理佳さんからは、文化祭辺りから何か違うと相談されたことが有ります」

 三人の教諭は顔を見合わせ、どこまで話すかと小声でやり取りし始める。ただならぬ様子に、真理佳ちゃんまで呼ばれても困ると思っていると、学年主任から話をされる。

「実は、最近の彼は授業態度が良くなくてね。居眠りしたりサボったりで、期末試験をほぼ白紙で出した。それに退部も願い出ていて、その辺の事情を知っている者を探しているのです」

「翔真君が、ですか?」

 最初は誰の話をしているのか理解できなかったけど、困った顔の井口先生を見て無理やり理解する。それでも翔真君がそこまでおかしな行動に出ているとは、夢にも思わなかったし想像できもしない。

「他にあてが無いようでしたら、私が聞いてみましょうか?」

 口々に頼むと言われて学校を後にすると、真理佳ちゃんにメッセージを入れる。

『ごめんね。翔真君に相談が有るのだけど、家に行っていいかな?』

『大丈夫だよ。お昼もうちで食べる? 炒飯で良ければ作るよ』

 駅に着く頃に返信が有ったので、『お願いね』と返して相羽家へ直接向かう。


 昼食には早い時間なので翔真君の部屋に案内される。

 向かい合わせで座ると、確かに私の知る翔真君ではない。無表情で、決して目を合せようとはしないなんて、相当な荒みようだと感じる。さぞかし真理佳ちゃんに心配をかけているだろうと、彼女が可哀想になった。

「部活を辞めると聞いて相談に乗りに来たのだけど、なんか殴ってやりたくなったわ。真理佳ちゃんに心配かけてまで、なにをしているの!」

 何のために来たのかは想像がついていたらしく、机の上にあった紙を黙って差出してくる。そこには大きな丸が二つ描かれていて、左の丸は半分くらいが黒く塗りつぶされている。数字や記号が印字されているけど理解は出来ない。

「沙織ちゃんに頼みが有る。真理佳を守ってもらえないだろうか」

「それは貴方の役目でしょ。その為の剣道ではなかったの?」


 しばらく黙っていたけれど、開いたままの扉から階段を下りる足音が聞こえると、始めて目を合せてくる。

「その紙は僕の視野だよ。神経にダメージが有ってね、左目の半分が見えていない。まだ両親しか知らない事なんだけど、頼みごとをする以上は隠し事をしたくなくてね」

 真理佳ちゃんにも言っていない事だから、下に降りるのを待って話し始めたようだけれど、どうして知らせてあげないのだろう。

「いつから?」

「修学旅行先でやたらと人に当たってしまって。疲れがたまっているのかと思っていたんだけど、練習中に太刀筋が見えない事が有って検査したのが先週」

「見えなくなってしまうの?」

「薬で進行を抑えられるけど、一度見えなくなった所が見えることは無い。それで剣道は辞める事にした。だから、真理佳を守ってやる事が出来ない」

 随分と短絡的な考えだと思ったけれど、翔真君にとっては真理佳ちゃんを守れない事が最も重要な事柄なのだろう。

「だったら笹本君にでも頼んだら? 彼、告白したそうじゃない」

 言った途端にものすごい顔で睨んできたけど、怯まずに言葉を続ける。

「友達だから何かあれば助けるけど、そもそも何から守るの。悪い虫からならば、彼氏がいた方が効果的でしょ。貴方が捨てたいなら好きにすればいいけど、彼女の気持ちも考えてよね」

 そこまで言って立ち上がると、うなだれた翔真君を置いてリビングに向かう。


 じっとリビングでたたずむ真理佳ちゃんに、後ろから抱き付いて小声で話しかける。

「詳しくは本人から聞いてほしいけど、貴女を守る事が出来なくなって落ち込んでいるそうよ。だから笑顔で支えてあげてね」

「目の事はママから聞いているよ。私が変な事を言ったから無理な練習をして、取り返しのつかない事になってしまった。私がいるとお兄ちゃんは不幸になってしまうの」

 すべてが自分の撒いた種だと言い出す真理佳ちゃんは、儚げな笑顔で「沙織ちゃんにも、ごめんね、だね」と私にも謝る。

「私は先生の事、なにが有っても諦めないよ。だけど貴女は諦めてしまうの?」

 黙って首を横に振る真理佳ちゃんに、笑いかけて背中を押す。

「貴女に彼氏が必要だと言ったら怒った、捨てたいなら勝手にしろって言ったら項垂れた。きっと、翔真君は真理佳ちゃんが一番大事なんだよ。それは家族愛かもしれないけれど、大切に思っている事は確かだよ。だから、貴女が彼を幸せにしてあげて。そばに居て笑いかけてあげて」

「うん。ありがとう」

 真理佳ちゃんが昼食を作っている間に学校へ連絡を入れると、学年主任が電話口に出てくれた。怪我による精神的な物なので、親御さんに連絡を取って話し合ってほしいと話すと、すぐに連絡すると返答される。あとは学校側にお任せするしかないだろう。


 夜になって井口先生から久しぶりに電話がかかってきた。

「今日はありがとな。夕方にお母さんが学校に来て、目の事を聞かされたよ。学校としてもしばらく様子を見る事になったから、申し訳ないが沙織も気にかけてやってくれ」

 どうやらいきなり退学とかにはならない様で、少し安心できた。もっとも、三学期の期末考査次第だとは思うけれど、真理佳ちゃんの為にも頑張ってもらって卒業くらいはしてほしい。


「ところで、翔真君ってシスコンだと思いますか?」

「少し危うくなるくらいのシスコンとブラコンに見える。俺も妹がいるけど、年が離れているせいかあんな感じにはならんな」

 初めて聞く家族の話題に俄然興味が湧いて、当初の目的である『兄妹の関係性を確認する事』を忘れて質問する。

「妹さん、いるんですか?」

「言って、無かったよな。沙織の一つ上だよ。もっとも、沙織の方が大人に見えるくらいだし、可愛げなんてこれっぽっちも無いけどね」

「私一人っこなんですけど、大丈夫ですか?」

「いきなりだなぁ。まあ、兄貴がいるから大丈夫だろう。実家に残っている二人でどうにかしてもらうから心配なんてしなくていいよ」

 三人兄弟なんだと初めて知って、少しづつで良いから家族の話とかしてほしいな、と思ったものの口には出せずに黙り込むと、「彼女になったらな」と約束してくれたので良しとしよう。

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