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ひとりぼっちの授業

「橘は、修学旅行に行かないつもりなのか?」

 筋トレのインターバルを取っていたら、井口先生にそう聞かれて「はい」と答えた。すかさず「なぜ」と聞かれたので、クラスで浮いている事などを話したのだけど、「一生に一度の思い出だぞ」などと行くことを進めてくれる。


 厚意で言われているのは判っているけれど、行きたくない思いは強くあった。それでも全てを話すのは躊躇われたので、バカにされるだろう理由で誤魔化す。

「先生は、私の水着姿をいやらしい目線に晒せと仰るのですか?」

「お前、いやらしい視線って……。まあ確かに、そういった目線は多々あるだろうが」

 やっぱり有るようなので、サボりは確定かな。だったら意地悪なワガママを言ってみよう。まさか春先の間違いは繰り返さないだろうし、どう反応するのか見てみたい。

「そういった場面で守ってくれる人も、来てはくれませんしね」

「——だったら大会に出るか? キャンセルの理由になるし、少しは費用も戻って来るだろ。補習がたんまり出るけど、空いた時間は見ていてやるから」

「良いんですか? 大会もそうですが、授業も持っていない生徒の補習まで見て頂けるなんて、無理していませんか?」

 予想以上のご褒美に、声が上ずってしまう。嬉しすぎる話に、ワガママが過ぎたかと思って聞き返すが、暇があるからみたいな答えを返してくる。

「担任クラスを持っているわけでないし、二年生がいない間は授業も空いてしまう。英語があまり得意でない生徒の補習と言えば、周りだって納得してくれるだろう」

 随分と嫌な所をついてきたけれど、反論できる程の学力を有するわけでもなく、今まで授業を持ってもらった事も無いので、やはり興味と嬉しさが先に立つ。

「それでは両親にもその様に伝えますので、手続きとかよろしくお願いします。必要な物が有ったら言ってください」


 その日は家に帰るなり「地区の大会に出るので、修学旅行は行かない」と母に告げ、キャンセルなどの必要な手続きをしてもらうように頼み、美紀ちゃんと真理佳ちゃんにメールを入れる。

『私、修学旅行は欠席します。大会出場を理由に認めてもらいました。一緒に回れなくてごめんね』

 しばらくすると、二人から返信が届く。

『は〜い。お兄ちゃんと回るから気にしないでね。大会ガンバレ!』

『ラジャー。この機会に先生を独り占めしちゃえ』

 よし。大会の成績もそうだけど、補習も頑張ろう。


 みんなが修学旅行に旅立った日。私が通常通りに登校すると、教室には教頭先生が課題を持って来てくれていた。

「大会が理由とは言え、本当に行かないで良かったのかな?」

「はい。私が進学するためには大会で成績を残す必要が有りますし、それだけに頼る事無く学力向上も必要ですから」

「分りました。では補習のプリントを置いておきますので、好きな所から始めてください。出来るだけ手の空いた先生に来てもらいますから、解らない所は聞く様に」

 そう言い残して教頭先生は出て行ってしまった。

 井口先生が来るまで、得意な国語から課題をやっつけてしまおうと手を付け始める。

 監視の先生は、来ても採点などの自分の仕事をするだけだったり、最初と最後だけ顔を見せる程度だったりで、課題に集中できたからか、あっと言う間にお昼になる。


 一人ぽつんと静かな教室でお弁当を取り出すと、ガラガラっと扉が開いた。

『もしかして圭祐さんがが来てくれた?』

 期待して目を向けると何故か結城先輩が覗いていて、私の机の上を見て引っ込む。

 なんだろうと思って立ち上がりかけると、冨田部長を筆頭に剣道部の三年生がお昼を持って入ってくる。

「学食だったらどうしようと思ったけど、お弁当で良かったよ」

「五月蠅いかもしれないけど、一人で食べるよりかいいでしょ」

「修学旅行に行かないなんて、あんたも変わっているよね」

 そう口々にしながら机を動かしてお弁当を広げるので、状況が解らないでいる私は首を傾げたまま固まってしまう。

「お待たせ〜」

 そう言って購買のパンを持った結城先輩が入ってきて、小声で「先生に頼まれてね」と言いながら私の隣に座る。どうやら井口先生が気をまわしてくれて、こうして集まってくれたようだった。


「その、ありがとうございます」

「気にしないでよ。それより、なんで行かなかったの? 修学旅行」

 いろいろ有ってクラスで浮いていたことや、水着になるのが嫌だったこと、沖縄ならばいつでも行けるから等と説明すると、「気にし過ぎだ」とか「一度きりの思いで」などと言い返される。

「自由行動を彼氏と二人で、なんて考えなかったの?」

「い、いませんよ。彼氏なんて」

 不意に言われて泳いでしまった目に、周りの視線が突き刺さるようで怖い。

「だから考えなかったの? それまでに作ろうとか、この機会に告白しようとか」

 部長の執拗な質問に窮していると、結城先輩が確信めいた口調で決定的な言葉を放つ。

「一緒に行けなかったのかな? 学校に来た方が会える人なんだよね」


 私は今、どんな表情をしてどんな顔色だろう。

 どこでバレてしまったのだろう、どうしたらあの人を窮地から救えるだろう。考えれば考えるほど不安に押しつぶされそうになる。


 すると、ポンっと肩を軽く叩かれる。

「べつに責めてるわけでも、告げ口する気も無いから安心して。どちらかと言えば、想像通りならば応援したいなってね」

 たぶん呆けた顔をしているだろう私は、言葉も無く結城先輩を見る。

「あのチビッ子ならば、橘さんくらいが釣り合うかなって見ていて、お互いが距離を測りかねているように見えて、春先の一件で無理しているのかなって思ってね。今日のお願いで確信めいたものを感じたんだよ」

 結城先輩のその言葉に、ウンウンと頷いていた部長が後を続ける。

「最初は結城の妄想癖が始まったと思っていたけど、そうでもなさそうだし。でも良いと思うよ、あのチビッ子は融通が利かないほどの堅物だし」

「体育の前垣や社会の田端だって元教え子と結婚しているのだし、在学中に問題さえ起さなければ大丈夫だよ」

 普段口数の少ない新庄先輩までも、そう言って後押ししてくれる。


「でも、二股とかされていないんだよね? クルマ選んだって彼女とも続いているとかさ。助手席にぬいぐるみを置いてまでって、そこまで思っていたって異常じゃない?」

 部長のその言葉に、先輩たちは一転心配そうな表情を浮かべる。それも私ですと言っていい物なのだろうか、言わない方が良いのか。

「い、一回切れています。私が成人するまで彼女は作らないと宣言してくれます。だから二股とかないです。大丈夫です」

 心配させるのも悪いと思ってそう言ったものの、先輩たちの表情は曇ったままでお互い顔を見合わせて、『貴女から言ってあげなさいよ 』とでも訴えているようだった。そこまで先生の信用は無いのかと可哀そうになっていると、結城先輩が口を開く。

「橘さんとチビッ子は、付き合っているわけではないの?」

「はい。成人するまで教師と生徒の線は超えない、と約束しましたので」

「貴女の腕時計。もしかしなくてもプレゼントだよね?」

「高校に合格した時、入学祝でいただきました」

「車を選んだ彼女の顔、貴女は頻繁に目にするよね」

「えぇ。見ているかと言えば、見ています」

 そこまで答えると、結城先輩は頭を抱えて黙ってしまう。

 不安になって周りを見回すと、誰もが苦虫を噛んだような表情を浮かべている。どうしようもなく空気が重くて食事を取る雰囲気ではない中で、新庄(しんじょう)先輩が唯一人(ただひとり)ニッコリ笑って確認してきた。


「好きな人から、『成人するまで待つからそれまで我慢してくれ』と言われ、入学祝と称した束縛の気持ちとして、時計をプレゼントされました。相手はその誓いを有言実行する為、助手席にぬいぐるみまで置いて、誰も座れない様にしています。そこに座って良いのは車を一緒に選んだ、当時中学生だった女の子だけ。そうです、チビッ子が求める唯一無二の存在は私なのです。と、貴女は語っているのだけれど合っていて」

 口調がいつにもましておかしい気がするけれど、指摘する間違いがないので黙って頷くしかなくって、怒気を孕んだ「あのクソチビ!」にハッとして弁明する。

「あの、でも、言い寄ったのも告白したのも私で。そんな幼い私に誓いまで立ててくれて。あの時だってワガママを聞いてもらったのに、立場を危うくしてしまった私自身が許せなくて泣いてしまって、それでも困りながらも改めて誓ってくれたんです。先生は悪くないんです。今回だって……」

「ならば! うまくやりなさい。私たちは卒業してしまっているだろうけど、来年の春には貴女は一八歳になるんだから。『成人しました』って押し通して、ちゃんと彼女にしてもらうのよ」

 私の言葉を遮ってまで言い切った部長の言葉に、思わずプッと噴いてしまって睨まれてしまった。

「それ、春に友達にも言われていて。言質も取ったから安心しなさいって励まされたんですよ」

 ならそう言うことよ、と食事を再開して時間一杯を楽しませてもらう。『考える事ってみんな一緒なんだなぁ』と変に感心してしまった。


 お願いごとをした手前もあってか顔を合せたくなかった様で、午後の授業に五分遅れて井口先生がやって来た。

「来てくれてありがとうございます。それとお昼も」

「一人で食う飯はわびしいからな」

「でも、贔屓が過ぎましたね。いろいろとバレましたよ」

 自覚は有ったのだろう、苦笑いをしただけで何も言わずに進み具合を確認し始める。午前中は真面目に進めていたので、はかどった方だとは思うのだけれど、出来栄えに関しては心許無い部分も間々ある。

 それではと手付かずだった英語の課題を解き始め、コツだの感性だのと教わりながら二人きりの時間を堪能する。これがデートだったらとも考えなくもないが、今の関係からすれば贅沢すぎる時間なので文句のつけようも無い。


「なんて言っていた?」

 淡々と過ぎた午後の授業の終わり際に、ぽつりと先生がつぶやくので端的に答える。

「『あのクソチビ!』と」

 舌打ちしつつも黙って外を見る先生の横顔に、笑いかけながら言葉を続ける。

「それでも、お似合いなのだし思い合っているのならば、諦めずにうまくやりなさいと。生徒と結婚した先生もいるのだから、と背中を押してくれました。だから成人するのが待遠しいですが、過ぎてしまえばあっと言う間なんでしょうね」

「前から思っていたんだが、お前の言う『成人』とは高校の卒業を指しているのか?」

「いいえ、そんな事ないですよ。それより、いい大人が助手席にぬいぐるみってどうなんでしょうか。けっこう引きますよ」

「引かれたくて置いてるんだから、ほっといてくれ」

「わかりました。うちに幼稚園児くらいのクマが有りますから、今度取りに来てください。彼女にしてもらえるまで貸してあげますから、大事にしてくださいね」

 随分と幼かった頃から家に居たそれは、私の遊び相手でもあり相談相手でもあり、そばでずっと見守ってくれている大切なぬいぐるみ。だからこそ私の代わりに、私が欲してやまないその場所を守ってほしいと思った。はたして、取りに来てちゃんと載せてくれるだろうか。


 放課後の部活では、先輩達の先生を見る目がいつにも増して厳しかったけれど、先生は何処吹く風とでも言う様にいつも通りの指導に徹していて、何か察した様な後輩達は黙々と励んでいる。触らぬ神に祟りなし、なのだろうか


「明日は六時にはバスが出るから、遅刻と忘れ物をしない様に。事故とか遭わない様に注意するんだぞ」

 早めの時間にそう締め括られて部活が終わる。防具袋に用具と本番用の道着を入れ、竹刀の手入れをしてまとめ置いて帰宅する。途中のコンビニでパンを買うのもいつもの事で、共働きの家が多いのもあって、試合の日は手作り禁止が慣例になっている。

 自室で試合の事を考えていると、タブレットにメールが立て続けに届いた。開いてみると、頼んでおいた旅先の写真が美紀ちゃん達から大量に送られていて、最後に『試合ガンバレ』とメッセージが入っていて嬉しかった。

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