表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/22

揺らぐ気持ち

 入学式には四人そろって行ったのだけれど、クラスは皆バラバラになってしまった。もっとも翔真君だけは進学コースなので、三年間同じクラスになる事は無い。一般コースは成績の偏りが無いようにクラス分けしていると聞いたけれど、修学旅行のある二年生では三人共に同じクラスになりたいと思う。

 井口先生は新任だからか担任クラスは持たず、二年生の英語を教えるそうだ。てっきり体育の先生だと思っていたので驚いたけれど、塾に居た安西先生との接点がそこだったかもと変に納得してしまった。


 校舎の裏手にある武道場に行くと、大会で顔を合わせていた子など数人の新入生が見学していて、そこに混ざって中を覗き込むと井口先生が紹介されていた。紹介しているのはかなり年配の先生で、前に言っていた恩師に当たる人なのかもしれない。

 そして、それを聞きいているのは一八名の女子生徒で、これが女子剣道部員の全員だとしたら規模は小さい方だろうか。向こうで練習している男子部員は四十名ほどいるので、半分くらいの規模となる。

 見学している子の中から「顔は合格だけど背がねぇ」「私と同じくらいかな」なんて声が聞こえてくるので言い寄る子はいなさそう、かな?


 女子剣道部に入部したのは私を含めて十人で、その中に大会で当たった事のある子は七人いて、三人は県外との事だった。当然、未経験者は一人もいない。

 入部後すぐ更衣室に個人のロッカーがあたえられ、早めに用具を持ってくるようにと指示される。


 全員の用具が揃うと、皆の実力が見たいと井口先生が言い出して、防具を着けた先生が全ての部員と試合を行う事になった。いい試合になったのが四名いたけれど、当然ながら先生の全勝となってしまう。

 しばらくタブレットと睨めっこしていた先生を横目に、三年生の指示に沿って基礎練習が行われたけれど、一区切りついた所で先生が集合をかけて、防具を着けるように指示が飛ぶ。

結城(ゆうき)、橘、試合ってみろ」

 そう言われて出て来た二人それぞれに、タブレットを見せながらアドバイスを送る。二年生の結城先輩にどの様なアドバイスをしたかは解らないけれど、私には「全力で行け」とあった。そうして行なった試合は競り合った末に私が勝利し、負けた先輩には改めてアドバイスをして下がらせる。

 学年の上下関係なく試合をさせて、一巡すると「今の実力順だ」と言って表を見せられた。私の順位は五番目で、上位の三名は二年生が占めている。

「三年生は覇気が無いなぁ。受験を控えているのも分るが、気を入れて行かないと怪我するから気を付ける様に。結城と橘は相手を見過ぎだから、もっと積極的に攻めろ。その他はもっと相手の動きを見て頭を使って攻める様にな。自分なりの攻め方を数パターン組み立てる事を考えて練習していこう」

 そこまで言うと素振りを指示し、時間一杯まで細かい癖を指摘して回っていた。


 高校の部室には狭いながらもシャワー室があり、中学とは違って汗を流してから帰れるのは助かる。さすがに汗臭い女子高生が電車に乗ってきたら、世の男性たちはさぞ幻滅するだろう。

 そんな中、毎日の厳しい指導に三年生を含む六人が退部を願い出て、マネージャーとして在籍する事になったりもしたけれど、夏休みに入った今では皆が厳しい指導を当たり前のように受け止め、少しでも強くなるために練習にはげんでいる。

 新任なりに生徒との信頼関係を作れている先生をすごいと思うけど、たまに上級生からの扱いが友達のそれになるのも新任ならではかもしれない。


 二週間に一度は現在の部内順位が発表され、学年や相性の良し悪し関係なく試合をして、お互いに攻め方のアドバイスなんかを交換する。そうする事で相手をよく見る癖が付くのだとか言っていたけれど、私は見過ぎる傾向が有るそうなので、変化の見極めに重点を置くようにしている。

 まあそんな感じだからか、先輩ともかなり気安く話が出来るような雰囲気が出来ていて、特に結城先輩には可愛がられている。お互いの攻め方が似ている事も有って、変化のバリエーションをお互いで研究し合っているのも、仲良くしてもらえる理由の一つだと思っている。


 二学期に入って早々、その結城先輩と駅に向かう途中のコンビニでアイスを食べていると、嫌な話題を振られる。

「橘さんは彼氏とかいるの?」

「いえ、同年代の子は幼く見えてしまって。きっと、幼馴染がいじめられていたからなのでしょうが。かといって年上となると知り合う機会は無いですからね」

「ふ〜ん。井口先生とは道場で知り合ったらしいね」

「——はい。男子剣道部の相羽君と一緒に中学から習い始めて、その時から教えてくれていたのが当時大学生の井口先生です」

「その相羽君と、仲がいいと聞いたよ」

 今までそんな話をされた事など無かったのにと警戒していたら、どうやら翔真君との関係を疑っていたようだ。もしかして先輩は年下が好みで、翔真君を狙っているのだろうか。


 私はこの五ヶ月もの間、教師と生徒の関係を厳格に貫いているのだから、疑われるはずもないのに少し動揺してしまっていた。

「ただの幼馴染です。彼の双子の妹を一緒に守っていた同志ですから、恋愛対象として見た事ないですよ。呼び方はその頃からのものですから」

「ちなみに、彼はフリーなのかな?」

「どうでしょうか? 今はクラスも違いますから接点も有りませんし……」

 そう言ったものの、彼女のいる翔真君を見て目を腫らした真理佳ちゃんが目に浮かんで、それでも彼女の思いは叶わないモノで……。う〜ん。


「でも。妹思いの彼が、ブラコン気味の妹を悲しませる行為に走るか疑問ですので、フリーと言えるかどうか」

 取り敢えずフォローを入れて、窺うように見た先輩は飛び切りの笑顔で口を開く。

「やっぱり。そうだよね。可愛い子がいつもそばに居るから『彼女なの?』って聞いたら『妹です』って言われてね。でも兄を見る目には見えないし、あんなにも仲のいい双子を見た事なかったから、これはもしやと思っていたんだよ。シスコンの兄とブラコンの妹って萌えるよね」

 完全に標的を勘違いしていた様で、真理佳ちゃんには申し訳ない事を言ってしまったみたい。今晩にでも謝って、そして注意を促さなくてはいけないと思った。


 そうこうして頑張って来たものの、この一年では成果に結びつかなかった。

 一年生なのに出させてもらった団体の大会成績は思わしくなかったし、個人戦でも体格差は否いなめなくて、大会には出るものの三回戦負けとかが多かった。

 毎日指導してくれている先生に顔向けができない成績で終わってしまって、申し訳なく思っている。そんな訳で筋力アップの必要性は感じるけど、背が伸びなくなるのは避けたいと思っているのが踏み出せないでいたりする。

そう、背が伸び悩んでいる。止まってしまったわけでは無いのだけれど、平均身長には全然足りてなくって、昇段試験などに出向いた時などは、小中学生に間違われる事もあったりする。

 そして心を悩ますのは、『ちび無双』のあだ名が未だに囁かれていたりすることだった。学校の先輩からは聞いたことは無いのだけれど、みんな知っている感じだったのは言うまでも無い事だろう。


「橘は、まだ背は伸びているか?」

 二年生になって直ぐの部活開始前、井口先生から何気なく聞かれて「ほんの少しですが」と答えると、むずかしい顔をして何処かに行ってしまった。なんだろうと思いながらも時間が迫っていたので追求せず、仮入部の後輩を連れて、ジャージ姿で学校の外周を走りに行く。


「橘。ちょっと話があるんだが、良いか? 一年生は武道場に行って、部長から指示を貰ってくれ」

 走り終わって武道場に向かう途中で、保健室の窓から井口先生に声をかけられて、言われるままに保健室に入る。本来居るはずの保険医は席を外していて、そこには井口先生しかいない。

ベッドが目に入り落ち着かない気分になる私は、男性教師と女子生徒が二人っきりでいるのは良くないと思いつつも、軽く首を傾げて先生の言葉を待つ。


「突然なんだが、練習メニューに筋トレを追加するか?」

「え?」

「いや。もしかすると、背はこれ以上伸びなくなってしまうかもしれないし、体重は増加すると思うが……。もう一段、強くなれる可能性があるんだ」

 考えていた事とはいえ、突然の提案だったので混乱してしまう。そしてコンプレックスに触れてこられて公私の区別がつかなくなって、思わず常々考えていた事を口に出してしまった。

「今のままの私では、釣り合いませんか?」

 そこには、『強さにおいて釣り合うか』との意味だけでなく、『背を求めて弱いままでいる自分に、隣に立つ資格があるか』を含んでしまった。後者は気付かれたくない。


「——いや、十分すぎるほどだと思う。それでも、それだからこそ、お前の納得できる道筋を示してやりたい」

 一瞬の間が後者を感じ取ったもので、怒られるかと思った。それでも私の意図を十二分に理解したうえで、勿体ない位の言葉をかけてくれて、そっと近づいて優しく抱きしめてくれた。

 それはほんの数秒ではあったけれど、温かくて幸せな気持ちにしてくれて、解かれた時の悲しみはどうしようもないくらい強くて、溢れそうになる涙を無理やり作った笑顔で誤魔化して飛び出す様に退出する。


 あの人に無理をさせて困らせてしまった。そんな弱い自分が許せなくて、駆け足で階段を上りきると、屋上の踊り場で座り込んで声をあげずに泣いた。早く泣き止んで部活に戻らないと、と思えば思うほど涙は止まってはくれない。腕を強く抱いて耐える程、とめどなく頬を伝って零れ落ちる。

 しばらくそうしていると、心が空っぽになってしまった。

『腫れた目を先輩たちに見せたくないな。このまま、知らない所へでも行ってしまおうかな』

 そんな事を考え始めて涙を拭いて振り返ると、階段に座り込んでこちらを窺っている人と目が合う。泣いていたとはいえ、気配を感じない程に取り乱していたのだろうか。


「少しは落ち着いた?」

 そう声をかけてくれたのは美紀ちゃんで、そっと私の隣に腰を下ろして、私の頭を優しく抱え込んでくる。

「保健室から出て来るところを見てさ。泣きそうな顔だったから保健室に駆け込んで、そこに居た井口先生を問い詰めたんだ。そしたら困った顔で『文句は後で聞く。すまないが慰めてやってくれ』って言われてね。逃げるなよって言って追いかけてきちゃったけど、迷惑だったかな?」

 どうやら、私が先生に何かされたと思っているようで、双方に申し訳ない。

 それでも、先生の誤解を解こうとすると関係を話さなくてはならないし、そこを隠していては怒りの矛先は向いたままになってしまうだろう。心底弱っていたのかもしれない。美紀ちゃんならば解ってくれるのでは、と考えてしまった。


「美紀ちゃん約束してくれる? これから話すことは絶対に秘密にするって」

「事と次第によっては無理。でも、沙織ちゃんが傷付いてしまうのは望まないよ?」

 そう言って私の頭を抱えていた手を離し、真剣な面持ちで目を合わせてくる。

「実はね」

 そう前置きして、初めて会った時から井口先生が好きな事や中三の時に告白した事、先生がその思いを汲んでくれた上で学校を進めてくれた事を、誤解を招かない様に話していく。

「それじゃ、今は恋人同士ってこと? もしかして浮気されたとか?」

「ううん。入学する前に『沙織が成人するまで恋人は持たない』なんて言ってね。だから、教師と生徒の関係を続けているの。それなのに……」

 また涙が出てきてしまって言葉が途切れると、美紀ちゃんが優しく背中をさすってくれる。


「——さっき、私が弱さを見せて甘えてしまって。優しくされて切なくなってね」

「だったら乗り換えちゃったら? 翔真君とかさ。沙織ちゃんとだったら真理佳ちゃんだって許してくれそうだし、いつまでもブラコンじゃヤバいっしょ」

「でも。翔真君は自覚していない様だけど、真理佳ちゃんしか見ていないじゃない。何人かがアピールしていたけれど、気付いていない様だったわ」

 そうは言ったものの、そもそも先生以外を好きになるなんて考えられない。何より、先生は私が成人するまで待つと言ってくれたのに、裏切って良い訳が無い。

それでも私が解放してあげたら、先生は幸せになってくれるだろうか?


 私がこの気持ちを諦めさえすれば、あの人は…………。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ