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抑えられぬ気持ち

 部活の朝練を覗くと、上級生が道着を身に着けて素振りをしていて、その内の七人は女子だった。体育館には、私と同じ様に見学している女子も三人いる。いや、見学者の一人は真理佳ちゃんだから人数には入らないか。


 男子は紺の道着ばかりだけれど、女子は紺と白とが居て白の方が多い。暫らくすると顧問の先生がやってきて、何人かにアドバイスを与えると、男子を含めた見学者に声をかけてきた。

「大会の成績はそれほどよくは無いが、それは中学に入ってから始めた子が多いからかな。だから未経験だからと躊躇せずに、興味が有ったら入部届を持ってきてください」

 そうしてチャイムを合図に解散して教室に入る。今日から給食も始まるので午後も授業が有るけれど、道場に行くのは夕方だからそれも気にならない。それまではこのワクワク感に目一杯浸っていよう。


 学校ジャージに着替えて竹刀を持って、少し早めに道場に行く。挨拶をして中に入ると、小学生が練習していた。

『まだ小さいから低・中学年かな?』

それでもしっかり声を出して、一生懸命に竹刀を振っている。しばらく見学していると私と同じくらいの子達が入って来るけど、皆が道着を着たまま入って来る事から、その格好で自転車を漕いで来るみたいだ。

 乗り難くは無いのかと思ってはみたものの、私は歩いてこれるのだから問題は無いと結論付ける。奥には更衣室も有るようだけれど、そちらは指導者用なのかもしれない。


「早かったね、沙織ちゃん」

 後ろからそう声をかけて来たのは、こちらも学校ジャージ姿の翔真君だった。さすがに真理佳ちゃんは付いて来てはいないけど、代わりに道着を付けた男の子がいる。

「こいつは笹本一馬(ささもとかずま)。小学校が一緒で、ここを紹介してくれたんだ。一馬、この子は橘沙織ちゃん。幼稚園が一緒で真理佳の友達でもある子だよ」

「笹本です。よろしくお願いします」

 笹本君は丁寧に挨拶してくれたものの、私(の胸?)を見て無礼にも「ちっさいな」とつぶやく。

「橘沙織です。ちっちゃいのがお嫌でしたら、よろしくしなくても結構ですよ」

「あ、いや、ごめんなさい」

 つい、『これだから同年代の男の子は!』と思って口に出た言葉に、笹本君は素直に謝罪をしてくる。

 相変わらず気が強いなぁ、などとあきれる翔真君の後ろから井口さんが現れて、二人の頭を軽く小突いて叱る。

「お前らだって、俺ぐらいで背が止まると言われるからな、ちっこいって言葉は」

 井口さんは言われ慣れているのだろうか。私に苦笑いを見せると、翔真君の襟首を掴んで奥につれて行く。擦れ違い際に「橘もだ」と言われたので、後ろをついて進むと休憩所みたいな部屋に入る。


「さて、まずは注意事項からだ」

 椅子に座るよう促し話を切り出す。私たちは並んで椅子に座り、道場内の説明や注意事項、心構えなどを一時間近く聞かされる。さすがに聞き飽きてきた頃合いで、井口さんが竹刀を二本取り出すが、一本は赤マジックで印がされていて良く見ると割れている様だ。

「手入れが悪かったりすると、こうやって割れたりする。なので、手入れ方法を……」

 一つ一つの作業を丁寧に説明しながら、竹刀をバラバラにしてしまう。説明されたけれど元に戻せる自信が正直ないなか、道具を取り出して竹の角を綺麗に削って行く。

「こうやっておくと、竹同士が上手くズレて割れにくい。まあ、それでも使っていれば割れるけど、割れてしまった竹刀はパーツを組み換えしてやれば使えるようになる」

 結局は割れている竹をそのまま使って組み上げると、私たちに竹刀を出す様に促す。


「あの、携帯電話で写真を撮っても良いですか」

 どうしても自信の持てなかった私が提案すると、驚いた表情をしつつも「いいよ」と言ってくれた。私が取り出した携帯を見て、「ガラケーか」とほっとした様な顔を見せたので、井口さんもスマホでは無いのかもしれない。

 真理佳ちゃんとはアドレス交換などをしていたので、翔真君も持っているものと思ったけど、「女の子は危険があるからね」との理由で持たされてはいないようだった。

 私は井口さんに携帯を渡して指示通りに分解を始め、その作業を写真に収めてもらうと、差し出された携帯を受け取らずにお願いをする。

「差支えなければ、師範の連絡先を入れて頂けませんか?」

 一瞬戸惑ったように動きを止めたけど、何事も無かったかのようにロッカーに置いてあったバッグから携帯を取出し、赤外線通信でアドレスを移してくれる。

「ワン切りしてくれれば登録しとくよ」

 そう言って返された携帯には、井口さんのフルネームや住所まで入っていて、言われた通りに電話を掛けると、黙って登録を完了させていた。そうか、名前は圭祐(けいすけ)なんだ。


 初日はそんな感じで、竹刀を振る事も無く終わりを迎えて帰路につく。次に会えるのは来週だな、なんて思いながら夕食を取っていたら、母が思い出したように「武具店から電話が有って、週末には道着が届くそうよ」と言ってきた。実は練習用の道着も買う予定だったけれど、採寸してもらったら取り寄せになってしまったのだ。

 母には自転車で取りに行くと言い置いたけど、試しに井口さんにメールをしてみる。

『週末に道着が届くと連絡が来ました。来週は道着を着て行った方が良いでしょうか? それと、自転車で取りに行くつもりですが、中台の交差点を曲がれば良かったですよね 沙織』

 期待をしていなかったと言えば嘘になるけど、お風呂上りに部屋へ戻ると『日曜の午前中なら空いてるよ』との返信が入っていた。待ち合わせする時間と場所をメールすると、デートの約束みたいでワクワクした。


 楽しみにしていたのに、やって来た井口さんの車には翔真君も乗っている。

「お休みの日なのに、ありがとうございます」

 後部座席に座ってお礼を述べると、井口さんは「気にするな」と笑って車を発進させて、翔真君は「真理佳から伝言」と言って紙を差し出す。メールでない事に疑問を抱きつつ受け取った紙を開くと、「僕まで巻き込むな!」と書かれている。

どうやら、二人で取りに行くことに不安(?)があった井口さんが、理由を付けて翔真君を連れだしたようで、少し自重しようと心に決めた。


 部活の方は、二週間ほど体力作りのメニューだけだったけれど、その後は素振りの練習などが加わり竹刀を毎日振っている。道場の方も、週二回の指導で素振りを直されたり打ち込み練習を始めたりで、あっと言う間に夏休みを迎える。

 夏休みの武道場は柔道部と半日ずつ交代で使っていて、後半に差し掛かると防具を着けての打ち合いも始まった。

 女子の新入部員は三人いるのだけど、部活以外で指導を受けているのは私だけ。そのせいもあって上級生が私の相手をしてくれて、少しずつ技が決まる様になってくると、毎日が楽しくてしょうがない。

 そして、週二回の道場が充実してくる。それまで一緒の曜日だった翔真君は別の曜日に移動となり、井口さんは時間一杯を私だけに使ってくれる。

『私だけを見て、私の事だけを考えてくれる時間』

 なんて言うとデートの様だけど、井口さんにとってはただの指導時間なのだろう。私にとっては彼氏彼女の気分に浸れる大切な時間だったけれど。


 この頃から試合形式の練習に重点が置かれて、部活などでの攻め方や責められ方を話すと、返し方や隙の突き方などを教えてくれる。気付いてみると、秋口には上級生の大半と互角以上の試合が出来るようになっていて、一級の試験も合格していた。


 県の剣道連盟主催で寒稽古(かんげいこ)が元旦から行われるのだけれど、場所が遠いうえに交通の便も悪くて、私も翔真君も参加しなかった。その代りに道場の方でも寒稽古が行われるので、私たちは道場の方へ来ていて、井口さんもこちらに来ている。

 元旦から会えるなんて嬉しすぎてしまって、早朝の寒さなんか感じないくらいだったけれど、みんなして行う稽古なので、一人占めできないのが少し残念だった。


 最終日には、数名が指名されて有段者による試合が行われるのだけれど、なぜだか私も指名されてしまった。相手は高校生で、背も高ければ段位持ちの格上でもある。不安そうにしていると、井口さんがやってきて耳打ちしてきた。

「お前の方が格が上だよ。気負うな、沙織」

 初めて名前で呼ばれて思わず熱くなる頬を慌てて面で隠して、それでも貰った一言によって落ち着いた気持ちで試合に臨めた。体格差は如何(いかん)ともし(がた)くて防戦一方になってしまったが、辛くも小手が決まって勝利する。師匠の顔を立てる事が出来て、とっても嬉しくなった。


 井口さんはと言えば、同じように体格も段位も上の相手に圧勝してしまった。

「早くあの背中に追いつきたいな」

 隣で見ていた翔真君がそう漏らすのを聞き、心の中で新年の願いを神様に祈った。

『あの人の横に立てる日が、早く来ますように」


 正直に言うと学校の成績はあまり良くない。それでも部活や委員会は手を抜かずにいるおかげで、無事に二年生になれて、嬉しい事に真理佳ちゃんと同じクラスになった。翔真君も当然ながらついてくるけど、こちらは部活が一緒なのだから違うクラスの方が良かったと思ってしまう。

 真理佳ちゃんは元気いっぱいで、友達もたくさん出来たようだけれど、翔真君と一緒に居ることが多い。恋愛関係の話になると翔真君を目で追ったりするところを見るに、いけない恋心を抱いていやしないかと心配になってしまう。

 一度それとなく美紀ちゃんに話したところ、美紀ちゃんも同じ意見であったので、道を踏み外さない様にお目付け役をお願いした。


 部活ではいつの間にか向かうところ敵なしの状態で、男子に相手をしてもらう事の方が多くなっていた。そんなだからか、付いたあだ名が『ちび無双』。平均身長より少し低いぐらいなのに、『ちび』は無いだろうと思うのだけど、目くじら立てて練習相手に苦労はしたくはない。

 当然、試合に行けば上には上が居るのだけれど、コンスタントに上位に食い込めているので、会場でも目立ってしまっている様だった。決して『小さいのに』を付けてほしくは無いのだけれど……。


 順調でないのは井口さんとの関係で、道場での指導時間が独占状態なのは嬉しいけれど、それ以上の進展が見込めない。名前を呼んでくれたのも正月の一度きりだし、道場以外では二人になる事がまず無い。一度「圭祐さん」と下の名前で呼んだら、困った顔をされてしまったので脈は無いのかもしれない。

 そのくせ彼女が出来たか聞くと、「いろいろ忙しくて時間が無いからなぁ」としか答えてくれない。その時間とは、作る時間なのか、二人になる時間なのか……。


 そうこうしている内に初段に合格して、恒例の新年寒稽古がやってくる。

 今回も道場主催の方に出ると、井口さんは県の方に出ているとの事で会えなかった。この会えなかったのが思いのほか堪えてしまい、最終日を前にメールしてしまうと衝撃的な返信が入ってきた。

『この休みの内に、会えないでしょうか』

『すまない。ところで、勉強は頑張っているのか? 行きたい高校とかは、決まっているのか?』

 井口さんは順調に行けば、再来年の春には高校の先生になっているはずなのだ。そうなったら仕事で忙しくなるだろうし、道場には顔を出せなくなるのかもしれない。教えをこう事が叶わなくなってしまうのだと気付かされたのだ。

それでも、そんなのは嫌だと思うものの、ワガママを言える立場でもない。

『学力は正直あまり良くありませんので、高校はまだ決めていません』

 そう返信をしてから三十分は経っただろうか、呆れられたのではないか、幻滅されたのかもしれない、そう不安が募って再びメールを送ると同時に着信が入る。


『高校でも圭祐さんに教えを乞う事は無理ですか』

『高校生になっても俺から教わりたくはないか』


 同じ思いでいてくれた。

 井口さんのそれは恋愛感情ではないだろうけれど、一緒に高みを目指すと言う理由を私にくれようとしている。そんな思いに至って、涙声で電話をかけてしまった。

「私、どうすれば良いですか」

「実は恩師から内々で話があってな、私立高校の剣道部立て直しに力を貸してくれと言われている。仙見台学園(せんげんだいがくえん)って知っているか? 進学校でもあるがスポーツにも力を入れている」

 知っているもなにも、野球やサッカーでは県上位から外れたことは無く、さらにこの近辺では上位に位置する進学校でもある。

「——知っていますが、偏差値がまったく足りません」

「いくつかコースが有って、特進や進学のコースでなければ中の上位だ。協力は惜しまないから頑張ってはくれないだろうか。有力者の引き抜きみたいな打算と思われても構わないが、できれば沙織の成長に手を貸したい」

「また、名前で呼んでくれましたね。——私、頑張ります。絶対に追いかけますから。だから、これからは名前で呼んでください。そして、名前で呼ばさせてください」


 立場も年齢も実力も、全てが釣り合わない事は百も承知しているけれど、それでも私はそこに立ちたい。だから力をください、と思わずにはいられなかった。

「——わかった、二人の時はそうしよう」

 電話の向こうで苦笑いしているのだろうな、などと考えながらも嬉しさは隠しきれずに、「おやすみなさい」と挨拶を交わして電話を切った。切った電話に向かって「好きです」とつぶやき布団にもぐりこむ。

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