決戦前の和解
ためしに父へ不動産屋で知り合いがいないか聞いてみると、税理を担当している二店舗を紹介してもらえた。先方には話を入れておくけど、無理にそこで決める必要はないとの事で、電車を使って訪ねてみた。
最初の不動産屋でも条件に合った物件が有ったけれど、相場よりも家賃が高めだからお勧めはしないと言われた。案内されて中を見せてもらったら、壁紙なんかも綺麗に張り替えられていたけど、レンジ周りが古くて使い難そうだった。
次の不動産屋では三軒ほど案内してもらい、二つ目の物件が建物自体は古いものの大幅なリフォームによって、お風呂やキッチン周りは新品との事だった。2LDKにしては延床面積も広くて南向きの四階は日当たりも申し分ない。元は3LDKだったらしくて、収納も豊富で各部屋が大きく作られていた。
「私は二軒目が良いと思ったけど、圭祐さんは?」
「俺も二軒目が良かったな。生活音は住んでみないと判んないが、駐車場も敷地内だし舗装もされていたからね」
「五階には大家さんが住んでいるから、綺麗に管理されているよ」
不動産屋のそんな言葉も有って、その日のうちに契約まで済ませてしまった。
本来だったら一ヶ月分の礼金が必要なのだけれど、父の紹介だからと無料にしてもらえたので、改めて父には報告とお礼の連絡を入れ、その足で圭祐さんが借りている部屋の解約手続きに向かう事にした。
行った先の不動産屋では、「三月から借りたいと言っている人が居る」との事で、三ヶ月前に届け出る必要の解約書類を遡って作ってくれて、一月の家賃までで良いと言ってもらえた。ちなみに、引越し先のカギは明後日にはもらえるとの事なので、休みの間である程度は終わりそうな予感がする。
「お昼はどうするの」
この前入った喫茶店の前まで来たので聞いてみると、窓越しに店内を覗いてから「寄るか」と答えてくれた。
さすがに店内は昼時なので混んでいたけれど、四人掛けの席が一つ空いていたのでそこに座り、ご飯ものが良いなとメニューを開く。ドライカレーがあったので、こういった店でも食べれる物なんだと感心してしまった。
「私はドライカレーのランチセットにするね」
すると、意地悪そうな笑みを浮かべた圭祐さんがマスターを呼んで注文する。
「ランチセットを二つ、メインはドライカレーとピラフ。あとサンドイッチを追加で」
「私がドライカレーだと変?」
すると、「いや」と言ったきり黙って楽しそうにしている。そんなに待たずに出て来たドライカレーは、想像していた物とは違っていてカレーピラフだった。
「これがドライカレー?」
マスターが離れた所で圭祐さんに聞いてみる。
「ここではそれがドライカレーだよ。普通のピラフがよけれが交換しても良いし、サンドイッチも来るから」
また意地悪そうな顔をした圭祐さんだったけれど、そこまで話したところでサンドイッチが運ばれてきて、その量に驚いてウェイトレスを見上げて言葉を無くす。
「相席よろしいでしょうか? 否は無しですけど」
私の隣に座ってきたのは東條さんで、アルバイト中の様だった。
「お昼休憩? それにしても制服が良く似合っているね」
「ありがと。カウンターの小母様たち、学校関係者で噂好きだから注意してね」
小声でそう言ったかと思ったら、圭祐さんに向かって少し大きめの声で話し始める。
「先生も大変ですね。休日なのに教え子の進路相談まで乗ってくれるなんて」
「大事な教え子だからな。後になって浪人しましたなんて、そんな言葉は聞きたくは無いし、それで恨まれたら報われない」
「でもぉ、この仕事好きなんですよねぇ。大学行くだけが進路じゃないでしょ」
「それだって、店を継ぐとかだったら資格が色々いるだろうし。修行だと思って専門学校だって良いんじゃないか? 剣道だって続けるなら尚更な」
随分とわざとらしい会話ではあるけれど、カウンターの小母様たちの興味は削ぐことが出来たようだった。
「ごめんね、気を使わしちゃって。あと圭祐さんを助けてくれてありがとう」
「へぇ、そう呼んでるんだ。で、今日も御忍び?」
「両親の了承は貰っているよ。将来設計について相談している最中、かな」
食事をしながらそんな話をしていると、食べ終わるのを見計らったようにパフェが二つ出てきて、本当に東條さんの進路相談になってしまった。
圭祐さんは家に戻るとパソコンの表計算ソフトを方眼紙に見立て、新居の見取り図を作り始める。その間に私はベッドやオーブンレンジ、テーブルセット等のサイズをスマホで調べて書き出す。書いた端からそのサイズの絵をパソコン上で作っては、見取り図の中に置いて行く。
それが済むと引越し予定の家具なども採寸して、夕飯くらいまでかけてレイアウトを決めて行く。もっとも、圭祐さんの部屋は荷物が少ないので、そんなには時間もかからなかった。それに、引越し先は収納が多いので、私の引っ越し荷物は高校から使っているライティングデスクくらいしかなさそうな感じだった。
「圭祐さんの家具って、濃い目の茶系が多いよね」
「木目とかの方が落ち着くし、薄い色だと汚れが目立つだろ」
十分綺麗にしているのだから、そこまで気にする必要も無いとは思うけれど、私も落ち着いた感じは好きなので文句は無い。
「私の部屋って白っぽい物で揃っているから寒々しくって、濃い色のものって温かみがあるようで好き」
「それじゃ、ベッドはこの辺りの物が良いかもな。畳ベッドに布団も楽だとは聞くけど、どうする」
夕飯の煮込みうどんを作りながら、二人して想像を膨らませていると、真理佳ちゃんから電話がかかってくる。
「いま大丈夫?」
「料理中だけど、後は煮るだけだから大丈夫よ」
「あのさ、初詣の件なんだけど。元旦の寒稽古が終わった後は都合つくかな。先生も予定は無いって聞いてるから、道場で待ち合わせて学校近くの神社なんてどうだろ」
少し前に圭祐さんの所に電話があって、「翔真が元旦に初詣に行こってさ」と言っていたから予定は空けてある。もっとも、あれからずっと一緒に居ますとは言えないので、考えるふりを挟む。
「先生を誘ってくれたのは、私たちの関係が人目に触れないためだよね。やっぱり持つべきものは幼妻ね?」
「ちょっと! そこは幼馴染でしょ」
「うん、ありがとう。翔真君にもお礼を言っていてね」
こうして元旦の予定が出来てしまったので、三〇日にちには家に帰る事になった。そして私たちの関係は、恥ずかしさは伴うものの裸を見せ合うほどには進展していて、それでもホテルに行くまでには至らなかった。
家に戻って部屋に入ると、ノックと共に母が入ってくる。
「洗濯物は早めに出して、出来れば先に回してもらえると嬉しいのだけれど」
「大丈夫。圭祐さんの所で洗濯していたから出すものは無いよ」
「家まで決めて来たらしいけど、どこまで進んでいるの?」
決まったではなく進んだと聞いてきたので、肉体関係の事であろうと想像は出来る。やはり学生である以上は結ばれるべきではないと考えているのだろう。
「安心して、まだそこまでの関係にはなっていないから。パジャマをわざと忘れたのに、それを見越して用意していたくらいだもの」
そう言ってパジャマを見せると、心配そうにしていた顔が不安そうな顔になり、何か言いよどんだ末に口を開く。
「結婚の約束をしたのだから、お母さんは関係を持つことに反対するつもりは有りません。でもね、妊娠してしまったら短大での学業に支障が出るし、高校を卒業する前に悪阻が始まってしまったら、先生の立場を悪くしてしまうから。だから、ね……」
「入籍前にはそう言った関係にはなると思うよ。でもね、『何年も待ったのだから、あと数カ月延びても大差はない』って言ってくれたし、圭祐さんのご両親に認めてもらうまでは踏み出せないの」
すると、「そう」とだけ言い残して母は部屋を出て行ってしまった。
少なくとも、後一カ月は学校に通って授業を受ける。クラスメイトの中では付き合っている事くらいはバレているけれど、今関係を持ってしまったら多分接し方が変わってしまって、踏み込んでしまった事が露呈してしまいそうで怖い。隠し通す自信が、あまり無い。
久しぶりに三人揃って取る夕食は、豪華では無かったけれど、手が込んでいて温かい物だった。
教えそびれていた圭祐さんの携帯番号と固定電話の番号、今の住所と新しい住所を書いたメモを母に渡し、一月中には引越してしまう事を告げる。もっとも、引越ししたとしても学校へはこの家から通い、向こうに泊まる事は有っても、行きっぱなしにならない様にすると話して安心させる。
「なんだか気持ちが追い付かなくて、寂しいとかの感情が湧かないよ」
晩酌が進むと父がそんな事を言い出すが、母は既に寂しいのだろう。
「そんな事を言っても、二人の食事は寂しかったじゃないですか。アナタも仕事ばかりでなく、早く帰ってくるようにしてくださいね」
そうして、今日だけは遅くまで話続けた。
大晦日は朝から御節の用意を手伝い、年越しそばを食べて早めに寝る。そうして迎えた元旦は、日が昇る前から道場に集まって寒稽古に臨む。
今年は圭祐さんも道場側に参加していて、腕が鈍っているだろうと、他の師範たちにかなりしごかれていた。それでも善戦している所を見せつけられると、改めてすごい人なんだなぁと見惚れてしまった。
私たちの関係を知っているのは館長くらいだろうから、その事でからかわれることは無かったけれど、夏休みに一緒に稽古した子供たちに、私が囲まれていた事もしごきの理由の一つかもしれない。
そうしている中に、翔真君たちがやって来て新年の挨拶をし始め、結婚したことが知れ渡ると、「羨ましい」だの「早すぎる」だの「しごき直してやる」だのと、やっかみ半分の祝福を受けていた。
そちらに目が行っている間に、圭祐さんは一足先に奥に引っ込んでシャワーを使って着替えて現れる。館長から呼ばれ、私もシャワーを借りて着替えを済ませると、真理佳ちゃんに誘われる形で初詣へと向かう事になる。着替えなんかの荷物は圭祐さんの車に乗せておいたので身軽になって駅まで歩く事が出来た。
神社に着くと、美紀ちゃんと彩萌ちゃんが居て神崎君の姿も有る。もしかして、昨日から一緒に居たのかな。翔真君は神崎君の事をお邪魔虫と言っていたのだけれど、奇数になってしまった今、私にとってのお邪魔虫は彩萌ちゃんだった。
「彩萌ちゃん、なんで貴女まで腕を組んでるのよ」
そう言ってはみたものの、前後はお付き合いしている者同士で腕を組んで歩いているのだから、あぶれてしまう彼女が圭祐さんの腕を取っている事を非難しにくいのも事実ではある。公には出来ないのだから。
「沙織ちゃんがしているからじゃない。大丈夫よ、取らないから」
「先生が困ってるでしょ」
「だって新婚さんの邪魔は出来ないし、神崎くんは好みじゃないし、でも腕組んでみたかったしね。こっちは気にしないで、二人の世界に入っていていいよ?」
だからって「はいそうですか」とはいかずに、微量な距離感とシラケた空気の中での初詣と成ってしまった。来年は気兼ねなく二人きりで初詣に来たいな。
「家に寄ってくれるよね」
どうせ帰っても正月らしいものなどないのだろうから、家で御節を食べてもらおうとお願いすると、圭祐さんも「新年の挨拶はしときたい」と快く引き受けてくれた。
二人して道場に戻るのも変なので、先に家に戻って車を寄せてもらう。
すぐ来るだろうからとそのまま外で待っていると、車から降りた圭祐さんは渋い顔で荷物を投ってくる。
「橘の荷物をどうするのか、まさか持って帰る気か、なんてからかわれちゃったよ」
「なんて言ったの」
「友達と遊んでくるから家に届けといてくれって、教師使いの荒い生徒だってね」
そんなに荒く使っていないと思うのだけれど、口をとがらすと「方便だよ」って頭を撫でられた。
挨拶もそこそこに帰ろうとする圭祐さんを家にあげ、御節を食べてもらう事にする。
「娘を嫁がせるのだから、もっと為人を知りたいのだが」
上がる切っ掛けになった父の言葉だけど、どちらかと言えば三者面談とかに出た事のない父が、私の日頃を聞きたがった故の発言だったみたいだ。
一通り聞き出すと、今度は私の幼い頃のエピソードが語られ、親バカ振りを発揮させていて恥ずかしい。初めの頃はギクシャクした感じだった母とも、夕方近くには和やかな雰囲気で話も出来ていた。
結局は夕飯もうちで食べて行くことになり、勧められたお酒を断りきれずにそこそこの量を飲んでしまった。このまま泊まって行けと言い出す父に、「そこまでは流石に」と断って電車で帰って行く。
車は明後日の帰省まで置きっぱなしとなるから、二日分くらいの着替えを用意しておいて、車にそっと積んでおくことにしよう。
『ちゃんと家に着いたよ』
お風呂を済ますと、そんなメッセージが入っていたので返信して布団に入る。
『今日は色々ありがとう。明後日は認めてもらえるように頑張りますから、支えてくださいね』