挨拶の約束
言っていた通りに圭祐さんの寝相は良くって、セミダブルに二人で寝ても落ちるようなことは無かった。
早くに目覚めた私は、その温もりを堪能するように抱き付いたまま時を過ごす。一人で昨夜の行為に赤面し、また求めてほしくて胸に顔を埋め、その先を想像して身を固くする。そんな事を繰り返していると圭祐さんが目をさまし、髪を撫でてくれる。
「あまり眠れなかったかい」
「ううん、眠るのが勿体なくって早くに目がさめちゃった。今日も続きを、する?」
はしたないとは思いつつも聞いてみると、少し考えるそぶりを見せて体を入替え、覆い被さるような体勢でキスをしてくれる。
「そうしていたいけど、そればかりでも困るだろ。とりあえず朝飯でも食べに行こうか」
「朝から外食?」
「冷蔵庫を見て分かっただろうが、なんも無いからね。すぐそこに雰囲気の良い喫茶店が在るから行こうよ。それとも、ファミレスなんかの方が良いかい」
「いえ、喫茶店って入った事ないの。だから連れてって」
さすがに明るい所で肌を見られるのはまだ恥ずかしいので、圭祐さんには寝室から出てもらって、持ってきた私服に着替えて制服を畳んでバッグにしまう。顔を洗って軽く化粧をして髪をすくと、伊達眼鏡を掛ければ支度は完了する。
連れて行かれた喫茶店は歩いて十分ほどの距離にあって、古くからそこで営んでいたのであろう落ち着いた雰囲気のお店だった。
モーニングセットを頼んでしばらく待つと、チーズの焼ける良い匂いがしてきて、それまでに漂っていたコーヒーの香りと混ざり合って、思わずお腹が鳴ってしまう。初めて食べるピザトーストは、ハムとピーマンとマッシュルームが軽く乗っただけのシンプルなモノだったけれど、とっても美味しくって自分でも作ってみようかと思った。
「こういった店は初めてなんだろう。どうだい、気に入ったかい」
「えぇ、毎日来ても良いくらい。でも、私なんかが一人でとか友達とで入るには、すこし勇気がいるかも」
「そんなことはないだろ。まあ駅から距離が有るから、友達とチョットってわけにはいかないだろうけど」
最寄駅まで歩けない程ではないけれど、バスに乗りたくはなる距離なのも確かで、わざわざこのお店目当てでは来ないと思う。席も窓際に四人掛けが三セットとカウンター席が五つ、二人掛けが奥に四セットなので、真理佳ちゃん達と来たとしてもまとまって座れないかもしれない。
「でもね、東條さん家が近いから。剣道部の女子でお泊りすれば、来れるのよね」
奥の二人席から窓の外を眺めながらそう言うと、『カラ〜ン』と扉が開いく。
二人きりだった店内に四名の来客があり、他にも空いている席が有るのにわざわざ圭祐さんの後ろに席を取るので、どうしても視界に入ってしまう。
「女の子って、頻繁に泊まったりするものなのか? まあ、沙織だってそうして出て来たらしいけど」
「平日はさすがに無理よ。でも、イベントが有れば可能じゃないかな。三年生だったら思い出作りとして、なおさらだと思うけど」
後ろの席の注文を取るために店主がやってくるのが目に入り、追加を頼もうとメニューを開く。
「どうした。甘い物が足らなきゃ、ケーキを頼んでも良いよ」
「そしたらね、お勧めケーキを五つ頼もう。口止め料として」
「「「「ごちそうさまです」」」」
聞こえた声に慌てて振返って固まる圭祐さんに代わり、「どうぞ、召し上がれ」と答える。
そう、後ろの席に座ったのは東條さんたち剣道部の三年女子で、ちょっとした賭けをしていてお泊り企画がされていた。
東條さんは部長になるにあたって、一つ上の先輩達から『先生と沙織の進展を報告すること』と言われている。今回のお泊りについては事前に話をしていて、もしその間に会う事が有れば口止めを、会わなければ報告をすることになっていた。
そんな事から、圭祐さんの住所に一番近い東條さん宅でお泊り会が催されたのだった。
「この店のマスターって、私のお祖父ちゃんなんですよ。で、たまに先生が来る事を聞いていて、橘さんとちょっと賭けをしたんです」
東條さんからそう聞いた圭祐さんは、今度は私を見て固まっている。
「結城先輩や冨田先輩から、私たちの関係を報告するように言われているらしくて。あまり詮索されるのも嫌なんで、休みの間に会えたら買収するよって言ったの」
「で、俺は聞かされずに罠にはまったって事か。分った、皆のケーキ代は持たせてもらうよ」
圭祐さんは気付いているのだろうか。東條さんはこの店の来る事を予測していて、私たちの味方になるための理由を作りたくて賭けを申し出ていた。だから私はその賭けに乗って、でも先輩たちに良い報告もしたくて圭祐さんには黙っていたのだった。
「ところでさぁ。橘さんの話し方がいつもと違うのは何故?」
「学校ではないからだよ。彼氏彼女でかしこまった話し方も変かなって」
「ふ〜ん。じゃ、先輩達には『堅物なので進展はないけど、二人とも幸せそうです』なんて送っとくね」
そのうち遅い進展に苛立った先輩方が「いいかげんにしろ!」って学校に乗り込んできそうだけれど、圭祐さんが相手してくれるだろうし、私たちのペースで進んで行ければいいのだと思う。
店を出て窓越しに手を振って挨拶を返し、腕を組んで歩き出す。
「この後はどうするの?」
「これ、といって行きたいところは無いが……。食器でも買いに行くか? その後に昼ご飯でも作ってもらえると嬉しいな」
「ならホームセンターへ行って、その後スーパーかな。百均でも食器は有るからそっちでも良いよ」
「沙織の気に入りそうな物が有る店にしようよ。車出しても良いから」
悩んだ挙句にクルマを出してもらって、大型ショッピングモールまで足を延ばす。
そこは専門店が店を並べていて、食器専門のお店も数店ある。家でも使っている特にお気に入りのお店に入り、大小のお皿やスープボウル、カトラリー(スプーンやフォーク等)などの洋食器を二セット買い揃えると、別の店に寄って茶碗や箸などの和食器も購入する。和食器は直ぐ必要ではないけれど、夫婦○○が有るので気分に浸るためにも外せなかった。
「包丁は有ったけど、研いだりしたことある?」
「簡易研ぎ機なら、たまに使ってるよ」
ならばあとは食材だな、と食品店へ足を運ぶ。
魚売り場に行くと程度の良いヒラメの切り身が有ったので、メインはムニエルに決定する。そうなると付け合せはレタスにポテトサラダかなと考え、ジャガイモやニンジン等をかごに入れて行く。調味料は確認しながら代用しやすいもので揃え、挽肉とトマト缶にパンを追加してお会計を済ませる。
家に戻ると早速、二人で台所に立って料理に取り掛かる。
お芋を茹でて、潰してもらっている間にきんぴらを作って粗熱を取る。ポテトサラダに調味料などを入れて混ぜてもらっている間に、ヒラメの下処理をして焼き始めると香ばしい匂いが立ち昇って来て、バケットを切り分けてもらってお皿に並べて完成。
手抜き感はあるものの、圭祐さんは「うまい」を連発して喜んでくれて、初めての手料理をほめてもらった私は、幸せいっぱいになった。
食後はコーヒーを飲みながら、しばらく他愛のない話を続ける。その後は、食器を片付けてもらっている間にミートソースを作る。これなら今晩パスタにしても良いし、朝食のパンに乗せても使える。なんだったらチンするご飯と炒めても良いと説明すると、感心されてしまった。
時間はあっという間に過ぎてしまう。
さすがに明日は学校が有るので夜までとはいかず、道場まで送ってもらって家に帰る事になった。
「クリスマスもこうして過ごしたいけど、ごめんなさい。毎年家族で臨海部のホテルに泊り掛けで食事をしに行くから、ここには来れないと思う」
「冬休みになれば部活もないし、一日遅れでプレゼント交換でもしようか」
「もぅ。そこは挨拶に行かせてくれって言うところでしょ」
「無茶言うな。親御さんは俺が担任であることも、道場で教えていた事も知っているんだぞ」
「でも、優先する理由が欲しいんでしょ。それとも、私から話をする?」
ワガママが過ぎるのは承知している。それでも、圭祐さんが理由を欲している様に、私もそばに居続けるための理由が欲しくてたまらない。危うい立場だからこそ、真理佳ちゃんの様に両親に認めてもらいたかった。
「ごめんなさい。なんとなく帰るのが惜しくって。言ってみただけだから、気にしないでね」
眉間にしわまで寄せて考え込んでしまった圭祐さんに、『冗談よ』と誤魔化して終わらそうと言葉を吐き出す。前から考えていて思い付きで言った訳ではないけれど、そのタイミングが最善かと問われれば疑問符が付くのも事実なのだから。
「せっかくの食事なんだから、家族水入らずで楽しんできてくれると嬉しい。が、すまない。許されるならば、食事の前に時間を頂けないか聞いてはくれないか」
「だから拗ねてみただけで」
「あぁ。だからこそ沙織の真意が含まれているはずだし、指定校推薦の結果は出ている時期だから。その約束で沙織が不安を抱く事なく入試に臨めるならば、俺に異論はないよ」
溢れてしまった涙をそっと拭ってキスをしてくれて、ちょっと苦い顔をして言葉を続ける。
「だから、たとえ罵倒されても詰られても、この気持ちを言葉にしたい。その後の食事に響くかも知れないけど、そこは許してほしいな」
「うん。ありがとう」
送ってもらって家に帰り着くと、台所から母が出てきて呼び止められる。特に連絡が入っていた訳ではないので急用が有ったとは思えないのだけれど。
「木下さんの家に泊まりに行っていたのよね」
「?」
「沙織ちゃんが男の人と食器を選んでいるのを見たと、知り合いから連絡を貰ったものだから」
そんな連絡を母に入れてくるような人が居るとは思えなくて、可能性があるとすれば父の職場の人かもしれない。税理事務所に勤めているので、今の時期は税務申告に向けた資料の確認や、節税に関するアドバイスの為に外回りが多いと聞いたことが有る。
父はお酒が好きな事も有って、同僚を家に招くことが度々あるので挨拶を交わすことも多い。そんなだから、買い物を見られていてもこちらは気付かなかった可能性はあったはずなのだ。
「あのね、お付き合いしている人がいるの。年上で一人暮らしをしているのだけど、食器とか全然なかったから、遊びに行ったときに使えるようにって、その人と二人で買い物に行ったわ。お昼ご飯を作って一緒に食べて、近くまで送ってもらったの」
「その人の家に、泊まったの?」
「泊まったわ。嘘をついてしまった事は、ごめんなさい。でも泊まっただけで、本当に何も無かったから」
その場に座り込んでしまった母の前に正座をし、床に着くほど頭を下げる。
「本当にごめんなさい。でも、私たちは将来を真剣に考えていて、進学についても相談に乗ってくれているの。私を大切に思ってくれていて、肉体関係なんて望まれたことは無いよ」
「だからって、許される事ではないでしょ!」
「高校生だから、まだ子供だからって言うの? クラスの半分以上に彼氏がいて、その半分近くが処女ではないのに、何が許されない行為なの?」
顔をあげて蒼白になった母に問いかけると、発する言葉を失ってしまう。本当だったら父もいる時に話すべきなのだろうけれど、この状況では先に話しておく必要が有りそうに思う。
「クリスマスの食事だけど。彼がちゃんと挨拶をしたいと言うから、食事の前に時間を作ってもらえないかな。お父さんにも伝えて欲しいのだけど」
「自分の口で頼みなさい。貴女を見かけたのはお父さんなのだから」
父は圭祐さんを見た事が有るはずだと思ったけれど、考えてみると学校行事には入学式以後は参加していない。昇段試験などへの車出しが少なかったものだから、もしかして覚えていないのかもしれない。
お風呂を済ませてソファーに座ってテレビを見ていると、帰ってきた父がそのままの格好でやってくる。テレビを消し、正面に座るのを待って口を開く。
「ごめんなさい、嘘をついて外泊しました。今年の春から付き合い始めた彼がいて、その彼の部屋に泊まりました。初めて入った彼の部屋には食器類がろくに無くって、今日は買いに回ってお昼を二人で作って食べました。私の進学が決まった後に挨拶をしたいと言ってくれているので、クリスマスの食事前に会って欲しいです」
一気に喋ってしまった私の言葉を黙って聞いていた父は、母が煎れてきたお茶を一口すすって問いかけてくる。
「その彼とは道場で知り合ったのか?」
「はい」
「父さん達には紹介できない立場なのか? 働いていないとか」
「ちゃんと働いているし、道場での評判も良いと館長から聞いています。けど、彼の仕事や私の部活の関係も有って、なかなか挨拶の時間が作れなかったのも事実」
「遊ばれているわけでは、ないんだな」
「そんな事が出来る人じゃないし、大事にしてもらっています」
「急に挨拶と言ってきたのは、その……。子供が出来たとかではないのか?」
確かに言い難い話だろうけれど、そこまで落ちるものかと思うほど、最後の言葉には力が無くって、黙って座る母と共に死刑宣告でも受けたような表情をしている。
「キスで子供が出来るならば検査する必要が有るけど、未だ体を求められてもいない身としては、杞憂だとしか言えないよね」
崩れるように脱力する父は、しばらく考えら後に「食事も一緒でなくて良いのか」と聞いてきたけれど、家族で楽しめと言われたことを伝えて、チェックイン後に部屋で会おうと言ってもらえた。