深まる関係
二日目は他校との交流試合が午前中から組まれていて、なんやかんやと動き回った事も有って、三時を過ぎた今でも昼食を食べる事が出来ていない。それでも他校生を送りだして片づけを済ませ、シャワーも浴びてサッパリしたので、取り置いてもらっている焼きそばを食べようとしてメモに気付く。
《先生も食べずにいるので連絡してあげてね。 東條》
焼きそばが二つあるのは、一緒に食べろとの意味らしい。
心遣いに感謝して電話を入れると、ワン切りされてしまった。もしかして他の先生と一緒に居たのかもと思い至ると、不安に思う間もなく扉をノックされる。
「ここにいるぞ」
圭祐さんの声に慌てて扉を開けると、ペットボトルのお茶を抱えて一人で立っていた。
「その、なんだ。三年生が気を利かせてくれたんで、無下にも出来ずに待たせてもらった。とは言え、ここに二人でいるのも拙いので移動しないか?」
「では、敢えて人目の有る所へ行きましょうか」
そうして生徒達が雑談している教室へ移動し、剣道や進学などの当たりさわりのない話をしながら食事を取る。早く食べ終わった圭祐さんに「クラスの出し物ですけれど」と、昨日の内に別口で焼いておいたクッキーを食べてもらう。
程々のところでクラスに戻ると、すでに片づけが終わっていて美紀ちゃんが声をかけてくる。
「やっと戻ったね。販売の方は早い時間で完売したから、先に片付けちゃった」
「先生。店の予約が早めなんで、ホームルームは手短にお願いしますよ」
そばに居た神崎君に要望され、「チャイムが鳴ったら移動するか」と答える圭祐さんは、今回の進めに満足しているようだった。
打ち上げは、学校とは駅を挟んで反対側に在るお好み焼き屋さんで、宴会用の一部屋で行われた。八人掛けのテーブルが四つあり、申し合わせたように彼氏彼女がいるテーブルといないテーブルの半々に分かれる。
私は女子ばかりのテーブルに着き、圭祐さんが目の前に座る。その隣は彩萌ちゃんなので、まあ気になるほどではない。
頼んだ生地が届くと各自で焼き始めたけれど、料理が不得意らしい圭祐さんの分は、私が当然のように焼き始める。手際よく焼いて行くと、感心したように手元を見て来るので少し恥ずかしい。同じテーブルの女子は私の気持ちに気付いているので、敢えて私の行動に口を出すことは無いし、どちらかと言えば放置してもらっている。
斜向かいのテーブルでは翔真君が一人でみんなの分を焼いていて、焼き上がった物を真理佳ちゃんが食べさせている。当然ながら一つの箸を交互に口にしている訳だから、そこのテーブルは真似してみたい的なオーラが出ている。特にこの文化祭で急接近したカップルなどはウズウズしているに違いない。
そのテーブルには美紀ちゃんが居て、皆を代表するように翔真君からの問いに答えているところに、真理佳ちゃんが「そんなの気にし過ぎじゃない」と答えた事から、真似し始める子も出始める。そして真理佳ちゃんの目は私に向いていて、『貴女もするのよ!』と訴えかけてくる。
焼き始める時は半々にしようと思っていたけれど、そこまでされたら従うしかないと腹をくくる。圭祐さんの分はそのままに、私の分から一口とって黙って口元にもって行くと、一瞬の躊躇は有ったものの口に入れてくれて、人前で彼女らしいことが出来て頬が熱くなる。
「愛して無い人となんて、出来るわけないじゃん」
タイミングを計ったように真理佳ちゃんが声を上げ、してやったりとウインクをしてくるが、圭祐さんには見えているはずもなく、女子の生暖かい目線に晒されて固まってしまう。
まぁ、一回も二回も変わらないのだからと、その後も食べさせたりしていたら、彩萌ちゃん達が「私達のも食べてくれますか?」とからかい出して、慌てて拒否してしまった事で関係が明白になってしまった。
その後カラオケに誘われたのだけれど、疲れたからと断って、圭祐さんと駅に向かって歩き始める。
「電車に乗りますか?」
圭祐さんの住所は、道場へ通い始めてすぐに教わっていたけれど、今もそこに住んでいるか判らないし、距離的に車で来ている事も考えられる。
「駅近のコインパーキングに車が有るから」
そう言われて寄り添って歩き、車に乗って走り始めてからも翔真君が言った『送り狼』が耳に残り、緊張のために会話らしい会話が出来ないでいて、人通りも無い住宅街に入ると緊張がピークに達する。
「取って食う訳じゃないから、そんなに緊張しないでくれないか?」
駐車場に停まった車から降りる間際にそう言われ、それでも頷くだけの返事しか返せずに黙って降りる。
古めかしさを感じない五階建てのマンションは、ベランダ側から見る限り防火壁の間隔からワンルームか2DKくらいだろうか。正面に回って階段を上がり、二階の中ほどの扉を開けて招き入れられる。
狭い玄関と短い廊下を通ると八畳ほどのダイニングキッチンがあり、そこには二人用のダイニングテーブルとテレビくらいしかない。対面式の小さなキッチンも、大きめの冷蔵庫の他には電子レンジとトースター、コーヒーメーカーが置いてあるだけ。炊飯器や食器棚も無くって随分と広く感じる。
「コーヒーかお茶くらいしか出せないが、どっちにする?」
「牛乳が有るなら、甘めのカフェオレをお願いします」
冷蔵庫の牛乳パックを持ち上げて重さを確認し、コーヒーメーカーをセットして大きめのマグカップを二つ用意しつつ、緊張をほぐす様に言葉をかけてくる。
「とりあえず座ったらどうだ? それとも寝室でも覗いてみるか?」
寝室については興味があるものの、どうせ後で入るのだからと椅子に腰かける。全体的に清潔感は有る。一人暮らしなのだからと、物が散乱しているイメージを持っていたので、荷物が少なく少々意外な感じがする。住所的には教わっていた場所と相違は無さそうなので、六年近くは住んでいるはずなのになぜだろう。
「どうぞ」
私の前にカップを置いて正面に座った圭祐さんは、カフェオレに口を付けるのを待って話し始める。
「泊まって行けるんだよな」
「木下さんの家に泊まる事になっていますので大丈夫です。でも、どうして泊めようと考えたんですか。てっきり卒業するまではそういった関係には成れないものと思っていたのですが」
「あぁ、成らない様に努力はしている。今日もそのつもりは無いが、この前の続きは会って話さないとと思ったし、外でできる話でもないので来てもらった」
少しの安堵と少しの未練が入り混じって、カップに口を付けたまま上目使いに窺う。
「俺も健全な男なので、セックスをしたい欲求はある。そして沙織は魅力的なので、一度溺れてしまったら抑えが利かなくなりそうで怖い。そこは理解してもらえるだろうか」
私に不満が有るとかではなく、自分を抑える自信がないと言いたいようなので、カップを置いて頷くことで先を促す。
「翔真から何を聞いたか判らんのだが、彼女がいるのに女性目当ての店に行くのに違和感があるし、ましてや風俗店なんて浮気しているのと変わらんと思っている。だから、誘われたことはあるが行ったことは一度も無い」
「あの、それじゃ経験とかって……」
「一度も無いな。ただ、それが恥ずかしい事だとは思っていないし、若い彼女がいるのだから当然の事だと思っている」
そう言われると嬉しさはあるものの、申し訳なさが先に立ってしまう。それでも核心を口にすることが恥ずかしくて、言いよどんでしまう。
「あの、処理と言うか……、欲求を満たすと言うか……」
「それで謝罪をしたいのだが……。沙織を抱きしめた感覚とかキスした時の表情とかをオカズに、その……した事は一度や二度ではない。想像とは言え、沙織を穢すような行為をして申し訳ない」
思わず胸を庇いつつも、頭を下げる圭祐さんを見てしまうと申し訳ない思いが込み上げる。
「もし私がフレば、圭祐さんは苦しまなくてもすみますか? それなら、私……」
「フラれたら、か? それでも年頃の生徒を預かる身としては、やっぱり風俗とかは行かないな。それ自体が悪いとか働く子がどうのとは言わないが、立場的に良しとはしない。そして、フラれたからと言って、直ぐに忘れられるものでもないしなぁ」
そう頭を掻きながら話す圭祐さんの表情は、一人で留守番をする子供の様な寂しげなもので、ほっとけない思いが募ってくる。
「学校では先生ですが、今この時は先生ですか? 私の彼氏さんですか?」
「九割が彼氏で、残りが教師かな。学校でも、二割ほど彼氏の気持ちが抜けない。いや夏以降はその境があやふやになっていて、不測の事態が起こった時に沙織を優先する理由を、探している」
やはり夏の事件が圭祐さんの心に影を落としていて、葛藤が有るように感じる。
「ならば、少しづつ関係を深めませんか? キスもそこそこにホテルって子もいるようですけど、四カ月かけて徐々に深めて行っても良いでしょ」
「どう計算しても卒業式前なんだが……。もし、俺が急ぎすぎたら止めてくれるかい」
「どうでしょう、貴方のものになりたい気持ちも有りますし。でも、無用な心配だと思いますよ。貴方は翔真君の模範にならないといけないのですから」
笑顔で答えると照れ笑いを返してくれて、突然のアラームにビックリする。
「風呂が沸いたようだから先にどうぞ。バスタオルは出してあるから、使い終わったら洗濯機の中に入れといてくれればいいよ。消臭スプレーも出しといたから、制服はハンガーにかけてスプレーしときな」
驚いた私をひとしきり笑った後、お風呂を進めてくれる。
お言葉に甘えて先に使わせてもらい、圭祐さんを待つ間は冷蔵庫の中身やシンク下を確認して過ごす。案の定、冷蔵庫の中は冷凍食品とビールが充実していて、食材となるものは少ない。調理器具も一通り揃っているけれど、鍋以外を使った形跡がないので、インスタントラーメンが多いのかもしれない。
とりあえず飲み終わったカップを洗い、片付けようとしてある事に気付く。使いこまれた皿だの器だのが一人分あり、それとは別に真新しい皿が二枚ある。今洗ったカップも真新しいもので、圭祐さんがいつも使っている物では無さそうだった。
「もしかして、今日の為に買ってきてくれたんですか」
お風呂から上がって、こちらを覗くように立っていたので聞いてみる。
「最低限の物だけね。そのうち必要な物を一緒に買いに行こう。で、うまい物でも作ってくれると嬉しい」
「そうですね。不健康そうな食生活みたいですから、栄養バランスを考える必要が有りそうですものね」
特に見るテレビも無く、ダイニングだと寄り添えないので寝室に入れてもらう。
そこもシンプルで、大きめのベッドと本棚くらいしか物が無い。着る物などはクローゼットに全て入っているようだった。もっとも本棚は場違いなくらい大きく、そこに詰まった本には洋書も含まれていた。タイトルを見て行くと、教育関連だけでなく栄養学だのスポーツ医学だのも含まれていて、顧問としての指導に役立てているようだった。
「ベッドがセミダブルですけど、寝相が悪いんですか?」
「本を読みながらゴロゴロするのが好きでね。どちらかと言えば、寝た体勢のまま起きる方だと思うよ。ところで、沙織も彼女としてここに居るんだったら、もう少しそれっぽい話し方にしてほしいな」
確かに圭祐さんの口調は、お風呂前あたりから柔らかくなってはいたけど、どの辺りまでなら許されるのだろう。いや、思いっきり甘えてしまう方が良いのかもしれない。
「だったら、抱き締めていっぱいキスをして」
圭祐さんはベッドに腰掛け、微笑みながら腿を叩く。どうやらここに跨れと言いたいらしい。恥ずかしい事は確かだけれど要望に応えて跨ると、強く抱きしめられて吐息が漏れるほどキスをしてくれる。
当たっているその感覚で大きくなっている事は判っていたけれど、胸を揉まれて私も固く反応している事が伝わってしまい、そのまま夜がふけるまで抱き合い求め合った。