宿泊のお誘い
結局、夏休みのほとんどを道場で過ごす事になった。館長直々に練習を付けてもらったり、小中学生に教えたり、大学生に勉強を見てもらったりと、かなり充実した日々だった。
相羽家の件は木下さんを中心に、女子は彩萌ちゃんなどに協力を依頼し、神崎君経由で島崎さんに好意を持っていない男子を翔真君に集める。
出来る限りの準備をして迎えた二学期は、それでも難しいスタートとなった。
教室から六名の生徒が姿を消し、島崎さんとその取り巻きが台頭してくる。私達を中心にして、真理佳ちゃんを事件の話から遠ざけ様とするけれど、割って入る様に事件の真相を聞こうとする子が後を絶たない。
一方の翔真君は、荒れていた事が嘘のように落ち着きを取り戻し、神崎君たちの協力も有ってクラスに居場所を作り、真理佳ちゃんの居場所を確保し始める。それもあってか、島崎さんがアプローチする隙は今のところ無く、水面下での嫌がらせも聞く限り見られない。
クラス全体でみると、常にカウンセラーが教室後ろに控えているし、圭祐さんが毅然とした態度でいてくれるので表立った混乱は無いように感じている。更には学年主任の先生が、よく覗きに来るようになっていた。
それでも真理佳ちゃんは日に日に口数が減り、私達とよりも翔真君と居ることが多くなってしまった。
何より不安なのは圭祐さんの顔色がとんでもなく悪い事で、計り知れない重圧に耐えているだろうことは判る。それでも弱音を吐かずに態度を崩さない姿に、改めて惚れ直してしまった。
本来は禁止されているのだけれど、再開した放課後の部活時間に何回か圭祐さんを更衣室に連れ込んで、膝枕などして癒してあげる。
そうして私たちの目が島崎グループに向き、真理佳ちゃん達が二人に慣れたタイミングで、島崎さん本人に先手を打たれてしまった。
最初の方は拒絶するそぶりを見せていた翔真君は、いつの間にか島崎さんとの会話を自然に続けるようになり、真理佳ちゃんの表情が曇ってくる。
部活を終えてスマホを確認すると、真理佳ちゃんの愚痴が並んでいて、美紀ちゃんが必死にフォローしている。ならばと、翔真君に悲しませるなとメッセージを送るが、珍しい事に電話をしてきた。
「沙織ちゃん達には申し訳ないけど、少し時間をくれないか」
「何の時間が必要か説明して!」
「真理佳との関係を公にせず断るためには、向こうから告白に近い言葉を引き出す必要がある。プライドが高そうだから、ある程度は近い位置まで許さないとならないから、その時間が欲しい」
「乗り換えようとか、二股かけようって事ではないのね?」
「比べるべきものではないけど、先生が沙織ちゃんに向ける一途さと同じくらいの愛情を、僕は真理佳に対して持っている」
「その表現はズルいよね。解ったわ、出来る限りフォローはするけど、貴方も安心させられる何かを示してあげてね」
電話を切って言葉を選ぶと、美紀ちゃんには会話の内容をメールで送り、真理佳ちゃんには別のメッセージを入れる。
『学校では人目が有るから、少しは我慢しなさい。その分、家で思いっきり甘えて、安心できる何かを要求しなさい』
そうして思う。
私も圭祐さんと今直ぐにでも暮らせるならば、人目も気にせず思いっきり甘えて甘えさせる事が出来るのに、と。それが出来ない今は、少し寂しい。
あんな事件が有ったにもかかわらず、文化祭は例年通りに行われることが正式に決まり、にわかに学校内が慌ただしさを増す。それは私たちのクラスも同様で、切羽詰った話し合いが行なわれる。
元々、出し物は喫茶店に決まっていて、夏休み前には役割決めも済んでいた。それなのに六名の欠員が出てしまったため、役割を決め直すことになってしまったのだ。
部活に所属している者の中には、二日間のどちらかを部活に当てる人がいる。それを考慮して組んだはずが破綻してしまい、今更の調整は難航する。
私も二日目に他校との練習試合が組まれているので、クラス側は初日しか手伝えない事から売り子に決まっていて、そちらのリーダーは島崎さんが二日間とも務める事も決まっていた。
まず問題になったのは調理側のリーダーで、初日を真理佳ちゃんが努め、二日目を須藤さんが努める事になっていたけれど、その須藤さんは事件で犠牲になっている。
そこを逆手にとって自分に近い者を調理側に集めて、真理佳ちゃんに二日間ともリーダーをやらせようと島崎さんが画策した。
当然、真理佳ちゃんは猛反対する。自由時間が無いだけでなく、翔真君を引き離すように売り側のリーダーに推薦したからだ。
これには私や木下さんも異を唱える。
「売り側のリーダーは二日間とも島崎さんが立候補して決まっていたのだから、翔真君に押し付けずにまっとうしなさいよ」
「調理側の人数が少ないから、家庭科部の木下さんを入れてあげてよ」
他にも佐々木さん等が抗議してくれたけれど、女子の半分が島崎さんの意見を受け入れていて、男子の大半が島崎さんに甘くて話にならない。こんな事でまで圭祐さんに負担をかけたくないのだけれど、遅々として話が進まない。
真理佳ちゃんも反対意見を言ったものの、島崎さんに一蹴されて俯いてしまった。こんな時こそ翔真君が守るべきだろうと睨み付けるけど、周りをうかがって出方を決めかねているようだったが、目が合った途端に苦笑いして言葉を発する。
「クッキーなら母の手伝いをしたことが有るから、僕は厨房側に回りたいのだけど」
するとすかさず島崎さんが反対に回り、しばらく押し問答が続く。そのなかで、真理佳ちゃんの表情がどんどん険しくなって行き、「妹ちゃんは……」と言われてついにキレてしまう。
貴女は翔真に相応しくないと言い出し、ブラコンだの目障りだのと言われた事で状況が見えなくなってしまったのか、思いを吐き出してしまったのだ。
翔真はだれにも渡さない。お兄ちゃんは、私だけのものなのだから。っと。
唖然として言葉を失う教室内で、事情を知っている私と美紀ちゃんだけが顔をしかめるが、当の翔真君は満更でもない表情でいるのが腹立たしい。
口を開きかけた私を制するように、翔真君が口を開いて場を鎮める。
島崎さんを恋人にするつもりは毛頭ないと、自分に喧嘩を売ったと言い出し、真理佳ちゃんを最愛の人だと開き直った。その上、血の繋がりが無い事も含めて二人の関係を暴露する。
当然ながら教室内は騒然とし始めるが、喧嘩なら買ってやるから覚悟して来いと一括し、役割について二択を提示して二人で出て行ってしまった。
教室の隅で成行きを黙って見ていた圭祐さんは、出て行く二人を止めようともせず、納得できる役割を決めてみろと促すような目で私を見つめている。
「最初の役割通り、島崎さんが二日間とも売り側のリーダーをやりなさい。厨房側は初日を相羽さんが、二日目を木下さんがリーダーをするで良いわね」
私がそう言い切ると誰からも反論が無く、美紀ちゃんも納得したようにうなずく。そして美紀ちゃんは黒板に厨房側に必要なメンバーを書き出して、島崎さん達に向けて言い放つ。
「書き出された人は調理をお願い。あとは要らないから売り側に入って。男子の役割は神崎君に一任するから。クラス委員なんだから任していいよね?」
神崎君は心得たとばかりに、真っ先に自分の名前を厨房の二日目に書き込むと、ブツブツ言いながらも綺麗に割り振って見せた。
「先生、これで役割決定です。時間がかかってしまって申し訳ありませんでした」
美紀ちゃんに軽く肘打ちされた神崎君が言い切ると、圭祐さんは「ご苦労様」とだけ言って私に目を向ける。どうやら二人を呼んで来いとの合図らしい。
後ろの扉を開けて廊下に顔を出すと、少し離れた所に二人が立っていて、良い雰囲気をかもし出している。これで真理佳ちゃんの気持ちが落ち着けば良いなと思いつつ、手招きして呼び寄せ段取りを含めて話し合った。
翔真君の発言から、教室の雰囲気は変わりつつある。
相羽兄妹をバカップル認識したせいか、二人でイチャイチャしていても誰も何も言わない。そればかりか、二人だけが高校最後の年を謳歌する事を良しとしない者たちが、いつの間にやらクラス内でカップルになっている。
幸いな事に、私に言い寄る男子はいないので安心していると、美紀ちゃんから注意される。
「沙織ちゃんさぁ、先生とのアイコンタクトがハンパないよ。たまに見詰め合っちゃってさ、みんな感づいているんじゃないかな」
文化祭の本番を明日に控えて準備でバタバタしている中、圭祐さんを目で追ってしまっている事は多くなっているかもしれない。でも、皆が見ている所で見つめ合って等いないと思うのだけど……。
午後になって材料の買い出し、と言うか注文しておいた品の引取りに出る。出先で圭祐さんへ、美紀ちゃんから言われた言葉をそのままメールで送信すると、直ぐに返答が返ってきた。
『すまん、確かに目で追っていた。校長先生には既にバレていて、贔屓しない事と不幸にしない事を約束させられている』
『立場を危うくしてしまってますね。注意します』
『いや、節度を持てと言われているだけだよ。女性ながらも夏の件では陣頭指揮を執っていたし、翔真の親御さんから在学中の結婚について問合せされた際も、すんなり了承したぐらいだから、何か思う所が有るんじゃないかな』
『わかりました。最終日に打ち上げをしますから、圭祐さんも来てくださいね』
『神崎からも言われてるから参加するよ』
美紀ちゃん家にお泊りする事にして、打ち上げが終わったら圭祐さんの部屋に行ってしまおうかな。初めは困った顔をするだろうけど、最後は苦笑いして部屋に入れてくれるだろう。
文化祭初日は一般公開になっていないので、調理室までは喧騒が届いてこない。
真理佳ちゃんが最初に出すクッキーを自宅で焼いてきてくれたおかげで、ゆっくり手順の確認が行えて順調に作業が進む。何気に翔真君の手際がよくって、私も負けじと作業にいそしむ。
そんなだからか、午後も早い時間に全てのクッキーが焼き上がってしまい、翔真君に言われるがままに片づけをお願いして調理室を出る。
一緒に出て来た彩萌ちゃんが、寄る所が有ると言い出して販売側の教室に行き、島崎さんを呼び出して言葉を交わしていた。
「何かあったの?」
話が済んで戻って来た彩萌ちゃんに聞くと、「二人きりだから謝っておいでってね」と返してくる。この子なりにクラスの輪を大切に思っているんだとありがたく感じたけど、はたして真理佳ちゃんの気持ちに、許すだけのゆとりが備わっているのだろうか。
放課後直ぐ、美紀ちゃんは神崎君と帰ってしまい暇になってしまった。
本屋さんでも覗いて帰ろうかと歩き始めると、真理佳ちゃんが声をかけてくれる。お邪魔はしたくないと思ってはいたけれど、島崎さんとの事も気になっていたので、一緒に帰る事にした。
「島崎さんがそっちに行かなかった?」
「来たよ。私が彩萌ちゃんに頼んだことだから」
「それじゃ、謝罪を受け入れたのね」
「隠していた事も事実だから、『お相子だから普通にしろ』って言ってやった」
「僕はもう少し言い方が有るだろう、って思ったんだけどね」
「だからぁ! 私はあの子が嫌いだから、これで良いの!」
その割には来るように促すなんて、真理佳ちゃんも随分強くなったものだ。支え合っている感じがして微笑ましい。
私は圭祐さんを支えられているだろうか?
「沙織ちゃんは、今の関係が物足らなくは無いの?」
「物足らないと思うほど進めるつもりは無いし、そう感じるほど何もされていないわけではないわ。圭祐さんがどう感じているかは判らないけどね」
「まぁ、向こうは大人なんだし、足らなければ店でも行って発散してるだろ」
考えない様にしている事を翔真君に突かれて、やっぱり男性はそういうモノなのかと気が滅入ってしまって、真理佳ちゃんが発する言葉が頭に入ってこない。踏み出す勇気も無いのに滅入っている自分が、なんか嫌だなぁと思ってしまった。
夜になっても翔真君の言葉が頭を離れなくて、メッセージを送ってしまう。
『翔真君に聞いたのですが、どんなお店に行くんですか?』
『特定の店は無いが、歩いて行けるくらいの近場が多いな』
『そんなにお店が多い所なんですか』
『古めかしいが、安い店はけっこうあるよ』
『どのくらいの頻度で利用しています?』
『恥ずかしい話だが、ほぼ毎日』
『男の人って、そういうものなんでしょうか』
『他はどうだか知らないが、俺はどうも料理が苦手でな』
『何の話ですか?』
『飯屋じゃないのか?』
『あの、風俗的な……』
引かれてしまったかな、と思っていると電話が鳴る。
「断じて無いから! 行った事なんてないから! その、経験自体無いから……」
最後の方は声が小さくて、恥ずかしそうな感じが伝わってくる。
「それはそれで不健康と言うか、無理しなくても良いですよ」
「——打ち上げ後に、家に泊まれないか?」
しばしの沈黙を挟んで言われた言葉に「はい」とだけ答えると、「あしたな」と電話が切れる。
『どうしよう。もし求められたら、応えるべきなのか』
自分から振った話題なのに、想定外の展開になって尻込みしそうになる。
いや、そもそも泊まる気であったのだから歓迎すべき展開で、着替えとか下着とかをちゃんと準備しておかないといけないな。