弱音を聞ける喜び
夏休みは祭日から始まる。もっとも世間は祭日なのだけれど、部活に入っている者にとっては部活に打ち込める夏休みの一日でしかない。そして成績の悪かった者にとっては、地獄のような補習初日であった。
補習に参加させられる真理佳ちゃんは、せっかく登校するのだからと言って、私にお弁当を作って来てくれた。お互い「頑張ってね」と言って別れ、道着に着替えをしていると校内放送で呼び出される。
周りの「バレタの?」「やらかした?」等の質問に首をかしげつつ、着替えを済ませて職員室に向かう。ふと、通った廊下に違和感を覚えつつ職員室に入ると、先生方が慌ただしく携帯電話で何処かと連絡を取り合っている。
「剣道部三年の橘ですが、放送を聞いて来ました」
そう声をかけると教頭先生が走ってくる。
「今朝、相羽さんに会ったそうですが相違ないですか?」
「はい。お弁当を作ってくれていたので、三十分くらい前に受け取って言葉を交わしました」
「なにか変わった様子とか有りませんでしたか?」
「——いえ。お互い頑張ろうねと話したくらいですが、いつもの彼女でした。彼女に何かあったのですか?」
「居ないのですよ。補習に来ていたはずの全員が居なくなってしまったのです」
さっき感じた違和感は、補習をしているはずの校舎に人気が無くて静かすぎた事だったみたいだ。それにしても、全員で補習をボイコットしたのだろうか。たしか翔真君も来ていたはずで、彼はこれ以上問題を起こせない立場だったし、真理佳ちゃんを騒動に巻き込むはずはない。
「すまない沙織。放送で呼び出したりして」
「井口先生。もう道場に通っていた中学生ではないのですから、呼び方気を付けてくださいよ」
シドロモドロになる圭祐さんのその様子から、ただ事ではない様子がうかがえてしまい、巻き込まれてしまった真理佳ちゃんが心配になる。
電話をしていた先生方からも、「来ているのを目撃した生徒はいるが、出て行く生徒たちを見た者がいない」と声が上がり、警察へ通報をと話が大きくなっていく。
そんな中に校長先生が現れ、指示を出し始める。
「教頭先生は警察へ連絡を入れてください。動揺を与えない様、生徒は帰宅させた方が良いでしょうから、顧問の先生はそれぞれの生徒に指示を出してください。その他の先生はもう一度、校内を見て回ってください」
「橘、聞いた通りだから部室に行こう。吉川先生、男子の方も私から話をしときますから、見回りの方をお願いします」
背中を押される様に職員室を後にして、武道場へ向かいながら説明を受ける。
「各コース合わせて六十人近い生徒が、忽然と姿を消してしまった。暫らくは警察が来たりで部活もままならないだろう。出来るだけ連絡は入れるようにするから、気をしっかりもっててくれ」
「解りました。先生も無理しないでください。先生まで居なくなってしまったら私、立ち直れる自信が有りませんから」
そうして武道場に付くと、「行方不明の生徒がいて、警察が来るので部活は暫く休みになる」と部員全員に説明がなされて急いで帰宅するよう指示が出されて、圭祐さんは職員室へと戻って行った。
「状況が解らないんだけど……」
東條さんが着替えをしながらそう話し掛けてきて、たぶん部室にいる皆の質問でもあるのだろう。
「三年生の補習が有ったのだけど、そこに参加する為に登校した全員が居なくなったらしいの。先生方も混乱していて、警察に捜索願を出すんじゃないかな」
「それじゃ、帰りはなるべく一緒に帰る様にしようね」
六十人もがまとめて消えているのだから、意味も無いような気もするけれど、学校を出ることが先決だと思えたので皆を急かして帰宅する。
当然の事だけれど、家に戻れば両親が何かあったのかと声をかけてくる。
「学校内で何かあったみたいで、全員帰らされてしまったの。連絡が有るまでは部活もお休みみたい」
とりあえずはそう説明して部屋に入り、真理佳ちゃんのスマホに電話をしてみたけれど、電源が入っていないのか通じない。翔真君のも同じ状況なので事件に巻き込まれたことは疑いようも無い。
心配はかけたくないけれど、美紀ちゃんに電話を入れて状況を説明し、補習に出ていた子で連絡付く子がいないか確認してもらう。しばらく経って返ってきた答えは『誰にも繋がらない』だった。私たちに出来る事は、無事を願う事くらいなのだろうか……。
それから毎晩、圭祐さんから状況の報告を兼ねた励ましの電話があった。
それでも何もしないでいると不安が募るので、日中は道場に顔を出して練習をさせてもらっていて、理由を聞かれない所を見ると、圭祐さんから説明がされているのかもしれない。
小中学生が来る時間になると、その子達の指導を手伝わされて、時には試合をする事も有る。けっこう教えるって楽しい事なんだな、なんて思い出し始めたりもした。
夏休み三日目の昼。道場から一旦帰宅して昼食を食べていると、圭祐さんから電話が入る。
「翔真たちが戻った。詳しい事はまだ聞けていないが、二人は無事だと連絡が入った」
「それで真理佳ちゃん達は?」
「病院に向かったらしいが、歩いて救急車に乗ったらしいから、夜には自宅に戻れるんじゃないかな」
ほっと胸を撫で下ろすが、圭祐さんの声に喜びを感じない。どちらかと言えば、口調が学校でのそれで別の不安が湧く。
「あの、二人以外は……」
「——まだ戻らない生徒もいるし、亡くなった子もいるそうだ」
「……」
「沙織にとっては酷な事で、電話で話す内容じゃなかったな。すまなかった」
「亡くなった子はかわいそうだと思いますが、私は圭祐さんが心配です。これから警察に呼ばれたり、遺族に謝罪に回ったりするんでしょ。無理だけはしないでくださいね。私に貴方を支えさせてください」
話してはくれなかったけれど、今回のクラス編成だってかなりの無理をしているはずだし、本人がいるから表立っては無いけれど、女子の対立は三竦みの状況が続いて雰囲気は悪い。そんなだから、圭祐さんに掛る負担は大きかったはずなのだ。
「本当に沙織は良い女だな。今度抱かせてくれ、それで元気になれるから」
「え! あの、はい。圭祐さんがそこまでを望むのならば……」
「ん? あ、いや。抱きしめさせてくれって事で、そんな構える話じゃなくてな」
「「……」」
どうやら私の勘違い、じゃなくて圭祐さんの言い方が悪かったみたい。かなり恥ずかしくって心臓がバクバクで、挨拶を交わして電話を切った。
美紀ちゃんには『二人とも無事に帰って来たと先生から連絡在りました。混乱しているようなので、連絡を待とう』とだけメッセージを入れておく。
夜になって私たち宛に真理佳ちゃんからメッセージが届いた。
『心配かけてごめんね。怪我とかも大した事なくて大丈夫だよ。翔真との事もパパたちに話して許してもらえた』
許してもらえたって、好き合っている事を? なぜ? どうして?
『ちゃんと説明して!』
それは美紀ちゃんも同じだった様で、言葉は悪いが説明を求めるメッセージが乗る。
『もしかして壊れた?』
真理佳ちゃんは気にした様子も無く、簡単な説明が届く。
『翔真が養子で、血の繋がりは無いの。だから、結婚前提に付き合う事を許してもらったの』
何とも唐突な展開に理解が追い付かなったけれど、『おめでとう。良かったね』と取り敢えず送っておくと、美紀ちゃんからは『ちゃんとした説明を! 直接、早いうちに聞きたい』と送られていた。
その夜、学校からの連絡を受けて両親が保護者向けの説明会に出向いて行った。
帰って来た両親は、学校側と説明に立ち会った警察の対応に不満を滲ませていたものの、聞いてきた在りのままを話してくれた。
夏休みの初日に五十三人の生徒が学校内から姿を消した。警察による捜査が行われるので、校内に残っていた生徒を帰宅させ、捜査の行方を今まで見守っていたが、今日になって二人が生還した。
しかし校内では十六名の遺体が確認され、未だ三十五名の生徒の行方のままでいる。
遺体の状況から生還した二人も被害者であり、二人に対する嫌疑は晴れている。
亡くなった生徒に関しては、死因含めて捜査中のため説明できない。
しばらくの間は、校舎の補修等で立ち入りを制限する必要が有り、その期間は夏休みの全てを予定している。各部の活動に関しては顧問の先生に一任しているので、指示に従っていただきたい。
生徒の精神面のサポートについては、県の教育委員会へ専門の要員要請を行っているので、何かあれば学校へ連絡を入れてもらいたい。
生徒の名前は公表されなかったそうなので、無事だったのは相羽さん所の二人よと教えると、母は慌てて電話をかけ始めた。
父には連絡が来るまで道場の方で練習させてもらうと言い置き、部屋に戻るとプレゼントされたアンクレットに圭祐さんの安寧を願った。
あれから四日経って、真理佳ちゃんから呼び出しを受ける。
相羽家に着くと真理佳ちゃんしか居なくて、美紀ちゃんも呼んでいるとの事だった。
「翔真君は?」
「ママと一緒に眼科に行ってる。左目の検査予約が入っていたから」
「で、まだ顔色悪いけど大丈夫なの? 無理していない?」
「無理は、してるかな。殺されてしまった子達も見ているし、私も殺されかけたしね」
そこまで答えてくれたところでチャイムが鳴って、美紀ちゃんがお菓子やジュースを抱えてやって来た。そのままリビングでお菓子をつまみながら話を聞く。
パッと言われたならば荒唐無稽のホラ話と真に受けなかっただろうが、人の生き死にで嘘や冗談を言う子ではないし、亡くなった子らの合同葬儀が昨日行われていて、その現実と辻褄が合う以上は事実なのだろう。
思い出したくはない光景なのだろうと、そちらの話はそこそこにして、翔真君との関係についての話を急かす。
こちらはこちらで、どこのおとぎ話だと思えるくらいに都合の良い話で、美紀ちゃんと二人して言葉が出ない。まあそれでも、双方片思いが両想いになって二人が幸せになれるならば、幼馴染としては祝福以外のものは無い。
美紀ちゃんとは話していたけれど、須藤さんが亡くなってしまった今、クラスの女子は三竦みの状態には戻れない。島崎さんが台頭して、真理佳ちゃんを排除しようとするだろう。ならば彩萌ちゃんにも協力をお願いして、秘密を洩らさずに真理佳ちゃんを守れる体制を作る必要がある。
「島崎さんって、なぜか男子に人気が有るよね。それでも、島崎さんよりじゃない男の子ってどれだけいると思う?」
そう問いかけると、美紀ちゃんが「聞いてあげようか?」とスマホを取り出す。相手は誰だろうと考えるが見当が付かなくて、探るような目でいる私に笑いながら釈明してくる。
「夏休みに入るちょっと前に告白されてね。神崎君と付き合う事になって、メアドとか交換しているんだ」
最初に彼氏が出来た私が、一番険しくて何もかもが最後になりそうだと、釈然としないものを感じている間にも、目の前では恋バナが繰り広げられている。そうしているうちに翔真君たちが帰ってきて、入れ替わる様に私たちは相羽家を後にする。
「美紀ちゃん。彩萌ちゃんと神崎君の件、よろしくね」
「わかった。沙織ちゃんは彼氏を癒してあげてね」
そうして別れてすぐ、圭祐さんに『大丈夫ですか?』とメッセージを入れる。既読が付かないまま家に着いてしまう。不安は有るものの道着に着替えて道場へ向かうと、圭祐さんの車が停まってるのが見えて思わず駆け出してしまった。
「おう。子供たちに、ちゃんと教えられているそうじゃないか」
「そんな事より、大丈夫ですか? 無理してませんか?」
すでに事件はニュースに乗っていて、道場の誰もが圭祐さんの置かれた立場を理解しているので、奥で話して来いと部屋を貸してもらえる。
後から入って扉を閉めると、何も言わずに腕を広げて待つ。疲れ切った顔で振り返る圭祐さんは、恥ずかしそうに目を泳がせながらも近づいてきて、強く抱きしめて髪に頬を埋める。
「お前が巻き込まれなくて、本当に良かった」
安堵のその言葉は、教師として不謹慎なものかもしれないけれど、掛けてもらえた言葉の意味が、抱き締められる関係が、嬉しくて愛おしくて、このまま時間が止まってしまえばいいのにと思わせる。
「ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと寝ないとダメですよ。もしよかったら膝枕でもしましょうか」
「物凄くしてもらいたいが、道場ではダメだな。いつか俺の部屋に来た時にでもお願いしようかな」
聞こえやしないかと頭の片隅で考えながらも、吐息が漏れ出てしまうほどの激しいキスを続ける。どれくらいの時間が経ったか、脱力して立っていられなくなって椅子に座らされて、これからの話をする。
「聞いていないと思いますが、翔真君と真理佳ちゃんは本当の兄妹ではないそうです。そして、両親の承諾を得て付き合う事になったと聞きました。私と木下さん、佐々木さんや神崎君で二人を守るので、圭祐さんはクラス全体に目を向けてくださいますか」
「ははっ。どっちが教師だか判らんな」
そう前置きして、圭祐さんがそもそもの経緯を話し始める。
今年から担任を持つことは決まっていたが、出来る事ならば沙織の担任になって時間を共有したかった。そんな中で翔真の件が持ち上がり、優秀だった生徒を放逐する事に異議を唱え、コースを下げる事を落とし所とした。
翔真を立ち直らせるには家族の支えが必要なので、真理佳を同じクラスにすると同時に、その真理佳を支える存在として木下と沙織を集めた。そこに担任として関わる事を直談判すると、学年主任から条件の提案が入る。
翔真に対する、須藤と島崎に関しての悪いうわさが後を絶たず、水面下で物事が動くと把握しきれない事も有って、表面化させてしまおうと言う流れになった。毎年行われているアンケート等で名前は出て来るものの、被害者が訴え出てこないために処罰が出来ないでいたのだ。
そんな事から、当面は三竦みを狙って被害を抑えるとともに、動きが有れば詳しく調査を行う。
そんなだから、始めから沙織たちに半分くらい依存してクラスが成り立っていた。
そこまで話すと、「情けない先生ですまないな」と謝罪を口にする。
「たしかにズルい先生ではありますが、彼女として信頼して頼ってくれたのであれば、謝らないでください。ありがとうで良いんですよ?」
「ありがとう。おれにはもったいない程の伴侶だよ、沙織は」
再び口づけを交わして戻ると、館長が話しかけてきた。
「橘、部活の再開は難しいようだから、夏休み中は勉強もひっくるめて見てやる。授業料は、小学生への指導サポートでチャラにしてやるから、時間の許す限り道場に出てこい。圭祐も、ストレス発散に顔を出すようにするんだぞ。奥の部屋貸してやるから」
お互いの赤い顔を見合わせていると、そんな二人に館長が「わからいでか」と呆れ顔を向けてくるので、かなり恥ずかしかった。