彼女になれて
四月五日が私の誕生日で、クラス替えが無いタイミングでないと友達から祝ってもらえない。なので最近は、美紀ちゃんと真理佳ちゃんだけが誕生日のプレゼントを用意してくれる。もっとも、今年は用事が有るからと、昨日会って祝ってもらっていた。
快晴だけれど肌寒い風が吹いているので、お正月に買ったワンピースにコートを羽織り、ブーツを履いて伊達眼鏡をかけて家を出る。向かう先は道場で、圭祐さんが車で来る事になっている。
すでに車は停まっていて、近付くと助手席を開けてくれる。まだ私しか座った事のないシートに収まると「今日は綺麗だな」と言ってきて、慌てて「いつもは可愛いぞ」と言葉を足す。
走り始めると、平日の午前中という事も有って車の量は多いけど、高速道路に乗ってしまえば順調に進んで行く。向かう先は以前行ったアウトレットモールかと思ったら、抱き締めてもらった見晴らし台で停まり車を降りる。
エンジンが止まっている今は静寂が訪れ、鼓動の音だけが耳に響いている。
「一八歳の誕生日おめでとう。まずは沙織の話を聞こうか」
「子供っぽい言い訳に聞こえると思いますが。結婚できる年齢も過ぎてますし、選挙権をもらえる歳になりました。だから、成人したと認めて彼女にしていただけませんか」
「して下さい、じゃないんだな。では聴くが、彼女になったらどうして欲しい?」
「二人でいる時は抱きしめて欲しいし、キスもして欲しいです。でも、その先は正直解りません。友達には経験のある子もいますが、そうしなければ安心できないほど、私たちの関係が脆いものだとは思っていません。なにより、圭祐さんの立場を危ういものにしたくありませんから」
それが偽りない本心なので、迷う事無く言い切る。だからこそ、攻め切れずに確認になってしまったのだけど。最後まで優しい目をしたまま聞いてくれた圭祐さんは、優しく微笑むと返事をくれる。
「俺は、沙織に見合うほど器の大きな人間ではない。それでも俺を選んでくれるのならば、そこまで思ってくれるのならば、俺も自分の気持ちに素直になろう」
そこまで言うと近付き、抱き締めてくれる。
「俺は沙織を愛している。しばらくは寂しい思いをさせてしまうが、今は彼女として、将来は妻として、ずっと隣に居てほしい」
思いもよらないプロポーズに、溢れ出る涙を気にせず「はい」と答えて唇を重ねる。
その後向かったモールで誕生日プレゼントを探すことになった。
そもそも彼女にはしてもらえないと思っていたので、プレゼントも安い雑貨で良いと考えていた。それなのに、圭祐さんが「彼女として贈りたい」と言うものだから悩んでしまう。
普段身に着けるものとしては腕時計を既にもらっているし、穴を開けるつもりは無いのでピアスは論外。イヤリングは落としそうだし、指輪は早いと思っている。
「さりげなく恋人がいる事をアピールできる物って、どんなものが有りますか?」
ひとしきり悩んだ末に、アクセサリーショップの店員さんに聞いてみる事にした。
「輪になった物は『束縛』の意味合いが有りますから、指輪以外ならばブレスレットとかアンクレット等でしょうか。左に着けると『恋人がいる』の意味になるようですよ。他でしたらネックレスも良いのではないでしょうか」
そうすると、腕時計もそのような意味合いを含んでいるのかもしれない。圭祐さんがそこまで知っていたとは思えないけれど、改めて嬉しさが込み上げてくる。それならば敢えて目立つ物を着けるのも考え物だと思い、別の店へと移動する。
移った先はバッグ等の革製品を扱うお店で、小物の扱いも豊富だった。
「ちょうどお財布を買い替えようと思っていたので、それでも良いですか?」
「気に入ったのが有れば、遠慮なく言ってくれ。値が張っても構わないからな」
いろいろと見て回って気に入ったひとつを手に取り、ファスナーの引手にイニシャルを入れてくれると説明され、少し迷った末にS.I.(サオリ イグチ)とお願いする。そう先の話でもないだろうと、思ってしまったからだった。
私が財布を選んでいる間に圭祐さんも店内を見て回っていて、気に入ったものが有ったようで先に受け取っていた。
ちょうど十二時を過ぎたところなので、食事処は何処も外まで並んでいる。
「お昼は何処に入りますか?」
「ちょっと移動するけど、お店を予約してあるんだ。少し早いが行ってみるか」
十分ほど走った先に在ったのは老舗のうなぎ屋さんで、国産物しか扱っていないと言う話だった。通された四人掛けの個室でうな重の上を頼むと、ものの数分で出て来たので驚いた。
「ここはうなぎ物だけだし、繁盛しているから早いんだよ」
「大好物なんで嬉しいです」
トレーニングの一環でバランス栄養食を食べる様になって、メニューを考えるのに好き嫌いのアンケートを書いたから覚えていてくれたみたいだ。
「改めて誕生日おめでとう。そして、彼女になってくれてありがとう。財布の他にプレゼントが有るんだが、受け取ってもらえるか?」
そう言って差し出されたのは、さっき財布を買ってもらったお店の袋で、開けてみると細い革ひもで編まれたアンクレットが出て来る。そこに付いているシルバーのチャームは二つ、ハートにSが彫られたものとダイヤにKが彫られたもの。
「ありがとうございます。お財布もコレも、束縛したいって思ってもらっている気持も含めて、大切にしますね。でもちょっと残念なのは、ブーツで来てしまったので着けて帰れないんですよね」
照れ笑いの圭祐さんにお礼を言って、ふっくらした身のうなぎを堪能する。
食事を終え、席を立って圭祐さんの腕に抱きつくと唇を重ねてきた。舌を絡められて思わず吐息が漏れてしまって、恥ずかしさのあまり胸に顔を埋めてしまう。
顔の赤みが引くのを待って車に戻ると、つい文句を口にしてしまう。
「ズルいですよ、あんなキスするのは。私は圭祐さんとしかした事ないんですから、急に大人扱いされてもどうしていいものやら……」
「その言い方は傷付くなぁ。俺の初めては道場での沙織からのだし、その前からお前しか見えていないぞ」
ダメだ、恥ずかしくって顔をあげる事が出来ない。だから黙って指を絡めるように手を繋いで、幸せいっぱいで家の近くまで送ってもらう。
夜は家族そろって食事をして、父が買ってきてくれたケーキを食べた。
昼間の幸せな気分を引きずっていたせいか、両親に「何か良い事でもあったのか」だの「誰と出かけていたのか」なんて聞かれたので、告白されて嬉しかったとだけ伝えて部屋に戻ってしまう。
お風呂を済ませ、美紀ちゃん達に『彼女になりました』とメッセージを入れると、直ぐに既読が付いて返信が来る。どうやら今か今かと結果報告を待っていたようだ。
『おめでとう。プレゼントは何だった?』
『おめでとう。で、結ばれたの?』
『え? どういうこと?』
美紀ちゃんは去年の事を覚えていたようだし、真理佳ちゃんにはそこまで話していないから驚いているみたいだ。写真を添えてメッセージを返す。
『今日はキスまでです。プレゼントはお財布とアンクレットを貰いました』
すると、真理佳ちゃんからは『いいなぁ』で、美紀ちゃんからは『イニシャル入っているし』と返信されたので、『羨ましいでしょ。詳しくは始業式でね』と返して布団に入る。
そう言えば、聞こうと思っていた直談判の話をしそびれてしまった。彼女になったのだからメールで聞いても良いかとも思うけど、重いと思われるのも嫌なので今日は諦めよう。
翌日になってメールを入れたものの、『始業式で判る』と返されていて、不安を抱えたまま登校する。
クラス発表の掲示を見に行くと、美紀ちゃんが駆け寄ってきて私の手を引いてくるので、引かれるままに付いて行く。
「どうしたの?」
「みんなクラスが一緒なんだよ!」
「最後の年になってやっと三人一緒になれたのね」
「違うの! 四人なの!」
あと一人が誰なのか判らないまま掲示板の前に進むと、真理佳ちゃんと翔真君がいる。
まさかと思って彼の名前を探すと、進学コースではなく一般コースに有ってクラスも同じだった。
「進級は出来たけどコースは落とされたのね」
翔真君に笑いかけながらそう問うと、「いろいろとあってね」とだけ答えて行ってしまった。
「沙織ちゃん、ごめんね。もう少し時間がかかりそうだけど、私がちゃんと支えるから」
「井口先生が直談判したって言っていたのは、たぶんこの事だと思う。だったら、翔真君を支えるのは三人でなんだろうね」
「え〜、私も入っているのぉ。私は真理佳ちゃんだけを支えてあげる。翔真君を支えるより、彼氏が欲しいもん」
そんな事を言っていたって、いざと成れば美紀ちゃんだって支えてくれるだろうと思うので、ポンっと背中を叩いて教室に向かう。クラス発表を見て気になったのは、同じクラスに須藤さんがいた事で、彼女から真理佳ちゃんを守るのが私の役割なのかもしれない。
席に着いて待っていると、圭祐さんが入ってくる。
「みんな揃っているか。今年このクラスを受け持つ井口だ。担当は英語で、女子剣道部の顧問もやっている。担任を持つのは初めてだが、一年間よろしくな」
先月の翔真君との件を皆が知っているので、教室内がざわつく。私はと言えば、嬉しいやら恥ずかしいやらで言葉もない。
「さて、このクラスは問題児と英語を不得意とする者が集まっている。学年主任からは『遠慮せずにビシバシ指導する様に』と言いつかっているので覚悟しとけ。さて、それでは体育館に移動してくれ」
バラバラに移動を始める流れに逆らって、美紀ちゃんが近づいてくる。真理佳ちゃんは他の子と楽しそうに話をしながら、体育館に向かって歩いて行ってしまう。
「真理佳ちゃんは彩萌ちゃんにお願いした。気付いていると思うけど、須藤さんと島崎さんが同じクラスになっちゃった。二人共に翔真君狙いだから気を付けないとね」
「彩萌ちゃんって、どんな子?」
「去年同じクラスで、信頼は出来るよ。しかし、思い切ったクラス割りだねぇ。先生ってM?」
彼女だと解っている人に「お前の彼氏はMか?」なんて普通は聞かないと思うのだけれど、さすがに今回のクラスメイトを見る限り、疑いたくなる気持ちは理解できた。
クラスに戻ると恒例の自己紹介に移るけど、一般コースは四クラスなので知らない子は一握りしかいない。さっき真理佳ちゃんと一緒に居た佐々木彩萌さんは、マンガ同好会に入っているそうで、「危険な恋とかが好きです」なんて発言して引かれていた。天然なのかわざとなのか、美紀ちゃんから『安心できる人』と紹介されていたので判断に迷う。
唯一この中の誰一人として同じクラスになった事のない翔真君は、例の件で有名人なので皆が知る人となっている。もっとも「相羽翔真、帰宅部です」で済ませた挨拶に、男子の評価は好ましいものではなさそうだった。
クラス委員には神崎君と島崎さんが立候補してそのまま決まる。神崎君に関しては「内申点やるから誰かやらないか」と圭祐さんが言い出して直ぐに手を挙げたので、進学に関しては前向きなのかもしれない。美紀ちゃんが保健委員に立候補したのは、真理佳ちゃんを匿う目的が有ったように感じるけど気のせいかな。
ホームルームが終わると、東條さんがやって来た。彼女の部内順位は下の方だけれど、良く回りを見ていて世話好きも有ってか、前部長の推薦で部長をやってもらっている。
私に用だろうかと歩み寄ると、ニッコリ笑って肘打ちをして素通りする。どうたら圭祐さんに話が有ったらしく、部活紹介の挨拶文を確認してもらったり、仮入部中の練習方法を確認していた。
せっかくなので、一緒に部活へ行こうと待っているとニヤニヤしながらやって来る。
「今年は波乱の一年になりそうだね。くれぐれも問題を起こさないように」
「大丈夫よ。満足できる立場を手に入れたんだから、ふいにする様な事はしないわ」
「それじゃ、大会優勝に向けてお互い頑張りましょうか」
彼女の最初の言葉は私と圭祐さんに向けられたものだったけれど、学校全体に及ぼす言葉になろうとは、この時誰も予想だにしていなかった。