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月夜烏は焔に還る  作者: タカノケイ
イグマイの怪事件
7/17

悪夢

 もやもやとした現実と夢の狭間を漂う。ああ、またあの地獄を見るのだ、とフォルテナは薄れゆく意識の中で思った。繰り返し、繰り返し、繰り返し、何度も見た悪夢。それでも、幸せな日々を夢に見るよりもずっとマシだ、と思った。

 夢の中でフォルテナはゆっくりと目を開いた。地獄、という言葉しか出てこない風景が、あの日に見たのとそのまま同じに目の前に広がっていた。

 なぎ倒された街路樹に、レンガや家財が覆いかぶさり、その上にどこから運ばれたのかもしれぬ土砂が積み重なる。その間からは家畜や人の一部までが覗いていた。生きているものなど、どこにもいそうになかった。

 折れ曲がった魚尾灯ガスライトが土砂から突き出るように並んでいるから、そこがセンナの街の中心の大通りだとようやく判別がつく。美しい街の風景はもうどこにもない。

 何度も夢に見るうちに、フォルテナにはここが見慣れた景色になってしまっていて、センナと言えばこの光景が浮かぶようになってしまった。

 強い雨に打たれ、泥の河が生まれ始めているそこに、フォルテナは力を失ったように座り込んでいるのだ。


「ナギ、どこにいる?」


 自分の唇から零れ落ちた言葉を他人の声のように聴いた。強い雨は赤く長い髪を重く湿らせ、細い首を項垂れさせる。


――あの、黒い鳥が全てを壊し、全てを持ち去ってしまったんだ


 あの日、自分目がけて落ちてきた真っ黒な影。皆が必死で削って、ようやく飲み込めそうになったそれを浄霊するために、体を精霊トギに渡した。それなのに……目が自分の右手に吸い寄せられた。

 泥の詰まった爪は割れ、指先は破れて血がにじんでいる。右手の甲が、フォルテナが見たのを合図のようにして、チカ、と赤く光った。

 カッと頭に血が上った。夢と現実の境界線が薄くなり、冷静に傍観していたはずの自分は、怒りに飲み込まれた自分へと引き寄せられる。


「ねえ……」


 唇から恐ろしいほど冷たい声が零れる。左手が傍に落ちる石を掴んだ。泥にまみれた石は冷たく、思ったよりも軽かった。


「何でよ!!」


 右手に向かって石を握った左手を思い切り振り下ろす。鈍い音がして皮膚が裂け、血が滲む。夢だからなのか、本当にそうだったのか覚えていないが痛みは感じなかった。

 手から流れ落ちた血と泥が混ざって水たまりにおかしな模様を作る。それは歪んで笑っている二人の人間の顔に見えた。


「何で! 何で! 何で!」


 叫びながら石を打ち下ろす。神霊の欠片など砕けてしまえばいいと思った。甲の皮膚は更に破けたが、神霊の欠片は抗議するようにその光を増した。そのことが余計にフォルテナの神経を苛立たせた。

 口では何を言っても、姉が一番大切だったのは妹なんかではなかったのだ。それは構わない。でも、そのためにナギニーユが。皆が。胸が焼けるようだった。


「やめて!」


 その腕を、後ろから掴まれる。それもいつも通りだ。いつも通りだ、と感じる冷静な自分と、邪魔をするな、と怒り狂う自分が混じり合う。


「離せマレ! この……裏切者を!」


 腕にしがみ付くマレフィタごと、腕を振り下ろそうとするが上手くいかない。この時、マレフィタはフォルテナよりもまだ大きかったのだ、とこれもまたいつものように思い出す。

 マレフィタはやめてくれと懇願し、泣きながらフォルテナを抱きしめた。


「フォリー、お願い。治療させて」


 それを聞いて、フォルテナはますます暴れた。治療などされたくない。どうか、傷ついたままで居させてほしい。逆らうフォルテナを紫色の光が包んだ。


「眠って」


 マレフィタの涙声が耳を優しくなでる。途端に頭が軽くなって、意識がすうっと無に引き込まれていく。それはとても心地よい感覚で、だからこそフォルテナは抗う。


「……いやだ……やめて……ナギを探さないと……やめて!」


 叫んだところで、ふと、目の前の風景が変わった。自分の悲鳴で目を覚ますのもいつものことだし、見慣れた白い天井なのに、今がいつなのか、ここがどこなのか……咄嗟に思い出すことが出来ない感覚も馴染みのものだ。フォルテナは、茫とした目で天井を見た。

 冷たさを感じて手をやると、頬が濡れていた。フォルテナは水滴のついた自分の手のひらをじっと見つめた。


「ナギ……」

「って、誰よ」


 隣から聞こえた返事に驚いて、フォルテナは慌てて頬を擦った。首を回すとベッドの横に設えられた書き物机の椅子に逆向きに座っているジギー・ザックと目が合った。

 今はセンナの悲劇の五年後で、ここはヒヤシンス領センナから広大なデュモンド湖を挟んて東側、アマランス領のイグマイ、という現実に否応なしに引き戻される。


「出ていけジギー」


 すぐに目を逸らせて冷たい言葉をぶつけると、ジギーはため息をついてバリバリと頭を掻いた。フォルテナは二十三歳になっている。まだ二十代には見えないとしても、もう子供の体つきではない。街を歩けば男たちが振り返るくらいには女性らしくなっているのだ。

 ジギーがフォルテナを女としてなど見ていないのはわかっているし、自分もジギーをそういう対象に見ることはないが、誰かに見られたら面倒だ、と思ったし、今は一人で居たかった。

 それに、精霊憑きワノトギは相棒になる者の過去を知る権利がある。組む前に渡される資料にはナギニーユのことも書いてあるだろう。知っているくせに聞いてきたことにフォルテナは鼻白んだ。


「おまえ……勝手な事をしてぶっ倒れたのは誰だ? それを運んで看病して」

「自分は何も頼んでいません」


 愚痴を並べるジギーをフォルテナは制した。出来る限り感情を押し殺した声に、拒絶を含ませる。はああ、とわざとらしい大きなため息をついてジギーが椅子から立ち上がった。


「パンとミルクと果物を買って来ておいたから、食えるようになったら食え。あと、水は飲んでおくんだぞ」


 自分の態度に気を悪くすることもなく心配そうに告げられ、フォルテナは少しの罪悪感に苛まれた。ジギーは少し変わり者だが、悪い人間ではない。こんな自分と組まされるなんて、運が悪いと思うし、それを申し訳ないとも思う。

 それでも、誰だろうと相棒だと思いたくなかった。フォルテナの相棒はあの日死んだのだ。ナギニーユ以外を相棒と呼びたくなかったし、それ以前に誰かと楽しく笑い合う、ということをしたくなかった。


「じゃ、ゆっくり休め」


 背を向けたままの頭を軽く撫で、床に置いてあった大きな紙袋を掴んでジギーはドアに向かった。せめて買い物の礼くらいは言わなくては、とフォルテナは痛む体を無理やりに起こす。それと同時くらいにドアに手をかけて出ていく寸前だったジギーが、気が変わったように振り返った。

 ごそごそと紙袋に手を入れて、中身をぽん、とフォルテナに放って寄越す。それは茶色いクマのぬいぐるみだった。思わず受け止めてしまってから、フォルテナは顔を顰めてジギーを睨む。

 ぬいぐるみなど、一体何のつもりなのかと思う。


「大人気でなかなか手に入らないシュライル製だぞ。大事にしろ」


 ジギーはにやりと笑ってそういった。


「こんなもの、要りません」


 フォルテナはぬいぐるみをジギーに向かって投げる。だが、ジギーはもう廊下に出ていってしまっていた。ぬいぐるみは閉っている扉にぶつかって、ぼてっと床に落ちる。


「なんなんだ、一体」


 フォルテナは憮然として呟いてから、はあ、とため息をついた。

 礼を言おうと思ったのに言いそびれた上に更に悪態をついてしまった。自分はジギーに頼りたくないという姿勢を見せつつ、結局は世話になっている。そして礼すら言わないというのはいくらなんでも甘え過ぎだ。わかっているのに、何故かジギーに対してはうまくやれないのだ、フォルテナは力を抜いて目をつむる。

 まだ頭が割れるように痛かった。神霊の力を使った代償。人の為に力を使ったはずなのに、どうしてこんな罰のようなものを受けなければならないのか、と思う。

 暫くして少し痛みが引くと、喉の渇きに気が付いた。何か飲まなくては……うっすらと目を開くと、床に転がっているクマが目に留まった。


「あんなもの」


 十二歳で力を手に入れてから十年、大人の精霊憑きワノトギと同じように生活をしてきた。元々が少女らしい可愛さなどとは無縁な性質で、ぬいぐるみが欲しいなどと思ったこともない。

 もちろん、周りもそれを知っているからプレゼントされたこともない。


「調子が狂うな、全く」


 両手で体を支えてベッドから降りる。ふらふらと歩いてぬいぐるみを拾い上げ、ベッドに置いた。机の上に睡眠薬を見つけたが、飲めばまた悪夢を見るだけだ。

 水だけを飲んで、ふう、と息を吐く。

 例外はあるが、力を持ったものはどうしても家族と疎遠になりがちだ。それでも、沢山の仲間がいた。センナでともに暮らした彼らはそのまま家族と言っても良かった。若いフォルテナは末っ子のように可愛がられていた。

 時々は自分の宿命を重く思うことがあっても、涙を流して感謝されることに悪い気はしなかった。幸せなのだと思っていた。多くの仲間を失うあの日までは。

 精霊憑きワノトギって何なんだろうな……ふと頭に浮かんだ言葉の先を考えないようにして、フォルテナはゆっくりとベッドに横たわる。

 ぬいぐるみを抱きしめて小さな子供のように丸まると、ぬいぐるみから優しい母のような匂いがした。ジギーの言ったなかなか手に入らない、という言葉から察するに、新しいものではないのかもしれない。

 その匂いはフォルテナに懐かしい子供部屋を思い出させた。明るく温かく、何も怖いものなどない空間で、姉が静かに本を読んでいる。

 フォルテナは風邪をひいて寝かされている。熱で潤んだ目で、何故か無性に幸せを感じながら、その横顔を見ているのだ。


「苦しいよ……お姉ちゃん」


 フォルテナは襲いくる頭痛と吐き気に、声を殺して耐えた。やはり、返事はなかった

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