討伐作戦
精霊堕ち対策本部はセンナに一番近い都市、ミヴェに立てられた。フォルテナ、ナギニーユ。マレフィタの三人は山奥の村を出てから、汽車を乗り継ぎミヴェの駅に到着した。
「終点、ミヴェは終点です。センナには向かいません」
駅員が張り上げる声に、フォルテナは息を詰めて身を固くする。センナはどうなってしまったのか……センナにほど近い村にある実家も心配だった。ナギニーユがそっと背中に手を添えてくれ、ようやく思い出したようにゆっくりと息を吸いこんだ。
「精霊憑きさまですね? はい、こちらです、はい」
駅を出ると、汗まみれの中年の男が精一杯背伸びをして手を振っていた。一目で精霊憑きだと見分けてもらえたのは、マレフィタの髪の色のおかげだろう。
精霊憑きは、神霊の欠片を得たことで、それ以前とは多少外見が変わる。その中で一番顕著なのが髪の色だ。マレフィタのように、完全に変わった色になるもの、フォルテナのように半分程その色が混じるもの、ナギニーユのように光が当たらないと、ほとんど普通と変わらないものと個人差がある。
男に案内されて辿り着いた赤れんが造りの大きなホテルのロビーは、変わった髪の色で溢れかえっていた。特に多いのがフォルテナのように赤みがかっているものと、濃淡様々な紫色の髪だ。
「こんなに?」
フォルテナは思わず声に出す。
悪霊は、人に憑りつき殺すごとに力が強くなる。ごく稀にではあるが、山の奥深い山村などで悪霊が発生し、発見までに集落が一つ全滅するようなことがある。そうして強大化した悪霊は一人では浄化しきれない。作戦本部が立てられ、たくさんの精霊憑きが招集される。だが、これほどの規模のものは見たことがなかった。
――大変な事になっているんだ
フォルテナは唇をかみしめて、こぶしを握り締めた。雑踏から生まれる不協和音が鼓膜に響いて、上手くものが考えられないような気がした。
「こちらです、はい。こちら」
案内の男はフウフウいいながら、ホテルの階段を登りはじめた。もう何度も往復しているのだろう足元がおぼつかないようすだった。やっと目的の階に辿り着いたのか、男は肩で大きく息をついた。普段であればイライラしてしまうそうな時間だが、フォルテナはじっと男の息が整うのを待った。
「はい、それぞれのお部屋に案内する前にですね。はい、本部にですね、到着の連絡をですね、してください、はい」
再び動き出した男の後をついて長い廊下を歩く。一番奥に「精霊堕ち対策本部」と書かれた紙の貼られている扉が見えた。こちらです、と言って案内の男は一歩下がる。
ナギニーユが男に「ありがとう」と言ってから、ドアをノックした。
「どうぞ」
中から聞こえたのは、思ったよりも若く軽い声だった。ナギニーユが扉を開き、中に入って三人一列に並ぶ。
「ヒヤシンス教団付きセンナ事務局所属のナギニーユ・ノバーレンです」
「同じく、フォルテナ・フルスです」
「同じく、マレフィタ・モスティフです」
部屋の正面に置かれたマホガニーの机には、群青色の髪に白いものが混じった中年の男が座っていた。声で思い描いた姿よりずっと老けている。
男は一人挨拶するごとに視線を移しながら笑顔で頷いた。恐らく責任者なのだろうが、威圧的な空気を全く纏っていない。
「良く来てくれたね。僕はロウレンティア神殿付き事務局のポフィカント・ビントス」
「えっ」
思わずフォルテナは声をあげてしまい、口を押えた。
「トギノス……機関長?」
マレフィタも素に戻ってぽかんとした顔で聞き返した。神殿付き、という肩書は「精霊憑きのエリート」であることをさす。そして、ポフィカント・ビントスと言えば、精霊憑きであれば知らないものの居ないトギノス機関の機関長、つまり全ての精霊憑きのトップの名だ。
「本物だよ。そして、この対策本部の本部長を務めています」
にっこりと笑う顔はとても優しそうで、中年をも過ぎているような年齢なのに、可愛らしくすら見えた。
「明日にも作戦本部をミヴェに移す予定なんだ。物資と人を運ぶ馬車が足りてないから、君たちは連絡するまで部屋でゆっくり休んで、霊気を養ってください」
これで話はおしまい、とその声は言っていた。聞きたいことは沢山ある、だけど忙殺されているだろう機関長に、一介の精霊憑きである自分に細かい説明をする時間を使わせるわけにはいかない。フォルテナは頭を下げて退室しようとした。その横でナギニーユが一歩踏み出す。
「あの、忙しいのはわかります。でも、状況を少しだけでも教えてもらえませんか」
ナギニーユが一歩前に出てポフィカントに懇願した。ポフィカントは一歩進み出た副官らしき女性を片手で制して、小さなため息をついた。
「今はなんとか結界の中に閉じ込めることが出来ているよ。交替しながら数人体勢で霊力を削っているところだけど、精霊堕ちは何せ百年ぶりらしくて、資料が少なすぎる。削りきれていないというのが実際だ。君たちもいつ出番になるかわからない。何もわからないのに、不安で難しい事だろうけど、しっかり心と体を休めておいてほしい」
ナギニーユに向かって一気に言ってから、ポフィカントはフォルテナに視線を送った。
「つらい時には、言うんだよ?」
「ありがとうございます」
数人がかりで交替で削っている……目の目が真っ暗になるようだった。なんとか助ける方法はないのだろうか、と言いたい気持ちを抑え込んでフォルテナはしっかりと頭を下げて、部屋を辞した。
廊下にはここまで案内してくれた男が待っていて、三人を手招きした。
「はい、お部屋、こちらです。はい。お一人様一部屋ずつ、はい。準備してあります、はい。お湯はですね……」
廊下を歩きながら男は忙しなくしゃべる。やたら「はい」を差し込むので聞きづらい。心ここにあらずなこともあって、説明の半分もフォルテナの頭には入ってこなかった。
「こちら、はい。フォルテナ様です、はい。鍵をどうぞ。はい」
男から鍵を受け取って、フォルテナはドアを開けた。
「じゃ、あとで」
何を言っていいかもわからずに、二人に向かって軽く手を上げてドアを閉める。廊下から「マレフィタさまは、はい。お隣です、はい」という声が漏れ聞こえ、遠ざかっていった。
フォルテナはベッドにすとん、と腰掛ける。一人で使うには少し広すぎる部屋だった。ベッドも二つある。
「ロウレンティア神殿はお金があるんだなあ」
大きな独り言を言って、大袈裟なため息をつくが沈黙しか返ってこなかった。フォルテナは少し項垂れて、荷物を解こうとトランクに手を伸ばす。その手が届かないうちにコンコンと控えめなノックが聞こえた。
「どうぞ、開いてます」
答えると、そっと開いたドアの隙間から、マレフィタが覗き込んできた。
「フォルテナ、あのね……」
マレフィタの眉が八の字に下がった情けない顔に、フォルテナはぷっと吹き出した。マレフィタが初めてセンナの宿舎にやってきた夜を思い出す。ホームシックで、一晩中泣いていたのだ。
「いいよ、今日は一緒に寝よ」
「ありがとう!」
弾けるような笑顔で、マレフィタはトランクを引きずって部屋に入ってくる。
「あたしの部屋、ほかの人が使ってくださいって言ってくるね!」
「え?」
トランクだけを残してマレフィタは駆け出して行った。ここに何泊するかもわからないのに、ずっと一緒の部屋にいるつもりだろうか。思わず呆れてしまったが、そのほうがいい、と思い直す。
「困ったマレフィタだね。ねえ、お姉ちゃん」
フォルテナは小さな声で囁く。わざと「お姉ちゃん」と呼んだのに返事がない。姉は精霊堕ちの話を聞いてから、一言も話さなくなってしまったのだ。フォルテナは指先に霊力を集中する。
「トギ、灯りを」
ぽっと指先に火がついた。フォルテナはそれを薄暗くなった部屋のランプに遠隔で移す。
「……いるん、だよね? お姉ちゃん?」
フォルテナの声は薄闇に小さく消えた。
****
三日後、フォルテナたちはセンナに近い小集落ウトゥワまで、馬車で移動した。ほとんどの精霊憑きはもう移動していて、フォルテナたちはほとんど最後の組と言ってよかった。
集落からは、天高く伸びる黒い靄がはっきりと見えた。
「なんて大きさだよ」
「あの下にセンナが」
ナギニーユとフォルテナは呆然と立ちすくむ。
「いや……いやだ」
「マレフィタ!」
マレフィタが崩れ落ちて、ナギニーユが咄嗟に腕を掴んで支えた。フォルテナも手を貸して、三人で支え合うようにして歩く。
靄の間には、時折赤い輝きや青い閃光が走った。悪霊の霊力を削るために精霊憑きたちが戦っている光だろう。早く自分たちも加勢しなくては……加勢して精霊堕ちを……止めるんだ。フォルテナは震える足に力を込めた。
「よく、来てくださいました。こちらへどうぞ」
泥で汚れた顔をした男に案内されたのは洞窟だった。入口は縦長で布が掛けてある。大地を司る神霊クヴォニスの欠片を受けた精霊憑きが作ったのだと思われた
布をめくると、思ったよりずっと中は広く、過ごしやすそうな空間が広がっていた。だが、その広い空間には簡易なベッドがびっちりと並べられ、数多くの精霊憑きたちが呻きながら寝転がっていた。白衣を着た人たちがその間を忙しそうに走り回っている。
「怪我を、怪我をしている方は!」
マレフィタは居ても立ってもいられないというように叫んだ。治癒の力を持つマレフィタといえど、代償を消すことはできない。だが、疲れや怪我は癒すことが出来る。何かできることがあればすぐにでも、と思ったのに違いない。
「神霊ミュナ様の欠片を持つ精霊憑き様ですね? お待ちしていました。どうかこちらへ!」
白衣を着た女性が、駆け寄ってきてマレフィタの手を握った。もう幾日も洗っていないように髪がベタついている。マレフィタはフォルテナを見て「わたし、行くね」と言って頷いて、女性と共に走り去った。
「お二人は奥へ」
案内されるままに、フォルテナとナギニーユはアリの巣のように続く土の廊下を奥へと進んだ。増築に増築を重ねたと言った感じで、案内が居なければ迷ってしまいそうだった。案内人はトギノス機関の象徴である葡萄の実が描かれた布の前で立ち止まった。
「フォルテナ様、ナギニーユ様、到着しました」
「入って」
中から聞こえたのは機関長ポフィカント・ビントスの声だった。疲れを隠し切れない声に胸を痛めながら、フォルテナは捲られた布をくぐって中に入った。
「ヒヤシンス教団付きセンナ……」
先に入ったナギニーユの声が止まる。ポフィカントはベッドに横になり、げっそりとやつれた頬を引きつらせていた。笑っているつもりだろうが、とても痛々しくて見てはいられなかった。二日前にミヴェの広場で見送ったときには、あんなにしゃんとしていたのに。それはこの作戦がいかに過酷かを物語っているようだった。
「よく、来てくれたね。ナギニーユ、フォルテナ。ごめんよ、こんな姿で」
あなたはトップなのだから、こんなになるまで戦わなくても、と言いたい気持ちをぐっとこらえて、フォルテナは首を振る。ポフィカントは今まで見た誰よりもやつれていた。
「それに、とても嫌なことを頼まなくてはいけない。フォルテナ」
泣き出してしまうのではないか、と心配になる程にポフィカントの目が暗く沈んだ。
「君に浄霊を頼みたい」
「だめです!」
フォルテナが何か考えるよりも先に、ナギニーユがフォルテナを隠すように、ポフィカントに近づいた。大きな背中が震えている。
「そんなの納得いきません! なんでフォルテナなんですか? まだ未成年です。浄霊は俺がやります!」
ナギニーユが本気で怒っている。その気持ちが泣きたいほど嬉しい。それでも。フォルテナはごくりとつばを飲み込んだ。
「ねえ、ナギ」
『嬢ちゃん、黙ってな。あれはマジでやばいよ。俺たちがやってやるから』
ナギの精霊のトラカトルに囁かれ、フォルテナは思わず黙る。
「フォルテナが、一番成功率が高いだろうと答えが出た。これは決定で、命令だ」
ポフィカントが苦しそうに言った。苦渋の決断だったろうことは想像できた。予想よりもずっと精霊堕ちの霊力は高かったのだ。強力な悪霊を浄霊出来るような霊力を持った精霊憑きたちは、浄霊が出来るところまで精霊堕ちの霊力を削ることに力を使い果たしてしまったのだろう。それに比べて、今着いたばかりの自分たちは十分に余力がある。そして、その中で最も総合的な霊力が高いのはフォルテナだ。トラカトルも高いのだが、ナギニーユの霊力が話にならない。
「私がやります」
フォルテナは、ナギニーユに庇われた場所から、一歩左にズレる。ポフィカントのうつろな目が心に痛い。まだ幼さが残っている自分にこんなことをさせたくない、と思ってくれていることがわかる。きっと反対もしてくれただろう。それでも自分を指名したということはそれだけ状況が切迫しているということだ。これは仕事で、命令なのだ。それに、あの精霊堕ちは――。
「フォルテナ、だめだよ。俺、いやだ」
振り返ったナギニーユの目が光っていた。この瞬間を自分は一生忘れないだろう、とフォルテナは思った。