トギノス機関センナ事務局
「はーあ」
フォルテナはトギノス機関センナ事務局の受付の椅子に腰掛けたまま、大きなため息をついた。
トギノス機関とは、精霊に憑かれた者――精霊憑きと呼ばれる異能者――による対悪霊の組織である。マスカダイン島には二十を超える事務局があり、基本的にはマスカダイン島に五つある神殿のいずれかに属している。フォルテナとナギニーユが席を置くセンナ事務局はヒヤシンス神殿の管轄だ。
精霊憑きは、必ず二人組で行動しなくてはいけないので、組んでいるナギニーユが寝込んでいる間、フォルテナはデスクワークをしなくてはならないのだ。どこの事務局でも、春先は悪霊が少ない。よって、目撃情報や、体調不良を訴えて受付を訪れる人も少ない。
フォルテナは、何事か考えてはうつらうつらし、かくん、と首が折れて驚いて座り直す、を何度も繰り返していた。
「あのう」
おずおずと声を掛けられて、フォルテナは慌てて飛び起きた。目の前には背中が少し丸まった、白髪の老婦人が立っていて、心配そうにフォルテナを見つめていた。どうやら、うとうとどころか熟睡してしまっていたらしい。機関の看板である受付で、不甲斐ないところを見せるとは……と羞恥で顔が赤く染まった。
「すみませんでした。何でしょうか」
フォルテナは背中を伸ばして返事をした。いかにも書類に集中していたのだ、というような振りをして、机の上に乱雑に散らかった紙片を集めて、とんとん、と整える。
「こんなに小さいのにお仕事してるのね。可哀想にねえ」
しみじみと言われて、フォルテナはぐっと拳を握り、少しでも大きく見えるように更に背筋を伸ばした。
「私たち精霊憑きは老化が遅れるんです。私は十二で精霊憑きになったので、こう見えても一八歳なんですよ。今日はどうしてこちらに?」
「そうなの、偉いわね。で、誰か大人の人はいるかしら。呼んでくださる?」
老婦人はにっこりと微笑む。話を聞いているのか? フォルテナはがっくりとうな垂れた。
仕方がない、もう一度説明しようと構えると、奥のドアがカチャリと開き、中からマレフィタ・モスティフが書類の束を抱えて出てきた。老婦人はマレフィタを見つけると、探し物を見つけたときのように「あら」と嬉しそうな声を上げた。
「どうかなさいましたか?」
輝くような薄紫の長い髪を耳に掛けながら、マレフィタは柔らかく微笑んで老婦人の前に歩み寄る。彼女もセンナ事務局の精霊憑きだ。研修を終えたばかりで、まだ相棒も決まっていない新人である。フォルテナは手でマレフィタを制する。
「マレフィタ。大丈夫よ。私が」
「あのねえ、困ってるの。聞いてくださいます?」
老婦人は既にフォルテナは眼中にないようすで、マレフィタの方に体を傾けた。マレフィタは困ったような笑顔をフォルテナに向ける。フォルテナは仕方ない、と肩をすくめて頷いた。
老婦人は話を聞いてないんじゃない、きっと耳が遠くて聞こえなかったのだ、とフォルテナが自分を納得させていると、マレフィタは老婦人の為にぐるりと受付の机を回って、椅子を引いた。
「もちろんです。どうぞ掛けてください。落ち着いて、ゆっくり話してくださいね」
「ええ、御親切にありがとう。あのね、昨夜からうちの犬が急に吠え出してね、普段は大人しくてとてもいい犬なの。それが……」
フォルテナは説明する老婦人と、頷きながらメモを取るマレフィタの横顔を見つめた。マレフィタはフォルテナと同じ一八歳である。
だが、マレフィタは精霊憑きになったのが半年前なので、見た目もちゃんと十代後半らしく、蕾が少し綻んだような美しさが滲んでいた。
なんとなく眩しくてマレフィタから目をそらして俯くと、動きやすいようにと高く一つに結んでいる髪の束が肩から零れ、レンガ色の毛先が視界に入った。精霊憑きになるまでは艶やかな黒髪だったのに、こんなくすんだ色になってしまった。どうせ赤なら、燃えるように真っ赤だったら、もう少し綺麗なのにと思う。
『フォリー、あなたの方が美人だわ。あと数年したら、あの子よりずっときれいになる』
俯いたフォルテナの気持ちを汲んだのか、フォルテナの精霊がそっと呟いた。フォルテナはちらりとマレフィタを見る。精霊の声は通常、宿主にしか聞こえない。わかっていてもなんとなく気になってしまうのだ。
フォルテナは立ち上がり、隣の家の猫の話をしはじめた老婦人に会釈をして立ち上がった。もちろん老婦人は気づきもしない。緩くため息をついて、お茶でも飲もうと給湯室に向かった。
「気休め言わないでよ」
給湯室の扉を閉めて、フォルテナは静かに言った。お昼が終わり、三時のお茶にはまだ早いため、レンジの火は消えてケトルは冷え切っていた。
『気休めなんかじゃないわ。フォリーは可愛い。とってもかわいい私の妹』
フォルテナの精霊は歌うように囁いた。